第33話 集団心理
ファルコの部下に案内されて連れて行かれたのは、ボリスのいる研究塔だった。
王宮よりも堅牢な研究塔。
実のところ、この建物が王宮よりも重大な情報が詰まった、リラリナ王国の心臓部である事を知る者は少ない。
ファルコは数年前から、通常の王族の業務に加えてこの塔の一室に研究室を貰い、研究を続けていた。
伝染病の薬などをいくつも開発したり、今では主に粗悪肥料に汚染された土壌の回復のための研究などをしてくれている。
案内されて連れて行かれたのは、長い長い階段を昇りつめた場所。
いつか皆で訪ねた最上階、ボリスの研究室だった。
「やあ、来たね。この塔はリラリナ王国の心臓だ。王宮よりも守りは固い。いつ襲撃が来るかと備えて待ち構えていたんだけど、全く人が来なくて寂しいくらいだ。」
ボリスが、5年前のあの日と全く変わらぬ穏やかさで出迎えてくれた。
同じ敷地内で起きている革命など、夢のように思えてくる。
「ボリス様!お久しぶりです・・・そうか。ファルコの近年開発している薬も、ボリス様の知識によるものだったのですね?」
率直に聞くミハイルに。
「ふふっ。僕は薬学の知識なんて今も“以前”もこれっぽっちもないんだ。多少のアイデア提供はしたけど。この世界の薬草の知識は、全てファルコ様のものだよ。」
「いえ、あの発想を思いつくのが大変なんです。さすがボリス・ルクセン様です。」
「ファルコ!!無事だったんだね。心配していたよ。」
「君もね、ミハイル。確かレノックス領へ視察に行っていたんだったか。お互い命拾いしたな。」
そう。ファルコはミハイルの視察の事を知っていた。
視察の事が革命側に漏れていないという事は、ファルコは味方だ。
一緒に星空を見たあの日から。
何かが通じ合ったようなあの日から、ミハイルはファルコを心から信頼していた。
それでも、明確に信頼していい根拠があることが、ありがたかった。
今回の革命、とても庶民だけのものとは思えない。
貧困する領があるといっても、レノックス家やルクセン家、リヴォフ家が、食糧をなんとか回していた。
とても王宮を襲うほど貧窮していたとは思えない。
人は変化を嫌うものだ。
王を倒そうなどという発想になるのは本当に生きるか死ぬかまで追い詰められてからのはず。
だから絶対に、誰かが裏で糸を引いているはずだった。
「本当に良かった。誰か貴族に手引きした者がいるようだ。ファルコも危ないと思っていた。」
「革命が起きた時、偶然この塔で研究していたんだ。例の肥料の研究で手を離せなくて。・・・・いつもなら王宮に勤務している時間だった。」
ファルコはそこで一度言葉を区切る。
そして少しの間、言いづらそうに迷った後、再び口を開く。
「首謀者かどうかは分からないが、それに近い貴族は分かる。」
「・・・・・誰?」
「私の父、王弟ブルクハルトだよ。」
研究室の応接室から、音が消えた。
「・・・・なぜそう思う?」
長い沈黙の後、ミハイルが尋ねた。
「実は王宮内部に一度様子を見に行ったんだ。以前私が住んでいた部屋までの抜け道がある。この研究塔に閉じこもって隠れていても、いつか終わりがくるだけだから。・・・・父は王様気分で、玉座に座っていたよ。」
「また抜け道・・・ですか。」
苦虫を嚙み潰したような護衛の唸る声。
まさか王宮がこんなにもどこもかしこも穴だらけだったとは。
「以前の私の部屋は、代々王の兄弟やその家族が住むような部屋だ。王様にも内緒の抜け道を作っているとは・・・・代々の王弟は随分屈折していたようだ。つまりこの抜け道は由緒正しい抜け道だ。警護の手落ちではないので、気にしなくて良い。」
「ユイショタダシイヌケミチ。」
「記録にも残っていないようで、自分で見つけた。今塞がれていないということは、あの抜け道は父上も知らないんだろう。」
王宮に住んでいた頃のファルコは、父親のいう事を大人しく聞くだけのお人形のようだった。
しかしちゃっかりと抜け道を見つけて黙っているあたり、意外と強かな面もあったらしい。
「父はずっと、王を羨んでいた。あいつは少し早く生まれただけで、私の方が優秀なのになぜだ。私の方が王に相応しいのに・・・・と。だけどあの人一人でこんなことを企むほどの実行力はない。グルグルと妬んで羨んでいるのがせいぜいのはず。そこを誰かに突かれて唆されたのではないかな。」
息子に酷い言われようである。
ファルコはもう20歳。立派な大人だ。
父親に怯えていた少年の面影はそこにはなかった。
「黒天使」などと、「黒公爵」のおまけのような名称で呼ばれなくなってから、もう随分経つ。
「私はここ5~6年、父上と連絡をほとんど取っていなかった。もしあのまま父の言いなりになっていたら、今頃こんなバカげた革命に参加していたのかもしれないな・・・・。」
*****
ファルコの部下が数人、既に王宮内部を調べてくれていた。
ファルコがスラスラと手書きした王宮の地図を、皆で囲んで書き込みしていく。
・・・・王宮内部の地図などという機密情報、普通はこの世に存在しない。
全体図を把握している者もそうはいない。
ファルコの頭の中にあった地図だ。
「すごいねファルコ。私もここまで色んなところ行ったことないよ。」
「そうか?とりあえず隅から隅まで探検してみたくならないか。自分の住んでいるところだぞ。」
自分の住んでいる建物が広すぎて把握していない場所があるとは。
しかし疑問を呈する者はいない。
この場を囲むのは皆、国内有数のお坊ちゃん達だ。
―――護衛達はもしかしたら、何とも言えない気持ちで見守っているのかもしれない。
「父ブルクハルトを捕らえるのは簡単だ。王の私室、王の執務室、玉座のどこかにいるだろう。」
「国王夫妻、王太子夫妻が捕らわれているのは恐らくこの部屋。」
「貴賓牢・・・・・・・・。」
まだ刑が確定していない貴族の容疑者が使用する部屋。
窓などがなく、警備が厳しい以外は、普通の貴族の部屋だ。
待遇は悪くないらしい。
少ない戦力をどう割り振るか。
もしも敵に伏兵がいたら・・・・?
せめてもう少し兵力を増やしてから・・・・。
「処刑は明日の朝なんだ。やるしかないだろ。」
そう言ったのは、誰だっただろう。
*****
「2、3人貸してくれ。火をつけて陽動作戦するから。」
貴賓牢に出来る限り近づいてみたが、やはり大勢の見張りの兵がいた。
ほとんどが烏合の衆のようだが、気づかれれば国王夫妻や王太子夫妻に手を出されると思えば、手を出せない。
そんな時、アレンが提案したのが、火をつけて煙を起こしての陽動作戦だった。
「できるだけ煙を起こして、火事だと叫ぶから。何人かは様子を見に離れるはずだ。」
「アレン様。それは私共がいたしますから。」
「いや、俺が行きたい。ちょっと考えがあるから。」
果たして火事だと叫んで、どれだけの見張りが貴賓牢から離れるか。相手も国王夫妻の見張りを最優先にしているはずだ。
自分たちで陽動をするという護衛に対して、アレンは自らが陽動部隊になると申し出た。
「ミハイル、ジャック。俺ができるだけ、見張りをおびき出すから。ギリギリまで引き付けて、突入するんだ。そのタイミングは任せたからな。」
アレンはそう言って、3人だけ護衛を引き連れて、離れて行った。
「アレン様。火を起こして騒ぐだけでしたら、我々だけでしますから。安全な場所でご指示ください。」
アレンについて陽動部隊としてきた護衛が提案する。
侯爵令息のアレンを、誰にでもできるような役割で、危険にさらすわけにはいかない。
「うん。煙を起こしてもらって騒ぐのは、君たちにやってもらいたい。俺には俺しかできないことがあるんでね。」
「・・・・アレン様にしかできないこと・・・・とは?」
「俺が合図をしたら、今から言うセリフを、大声で叫んでくれ。」
*****
窓の外に、大量の煙が上がる。
先ほど分かれたアレンたちが、煙を起こしているのだろう。
貴賓室へ至る道を警備していた敵たちも、何人かがその煙に気が付き始めた様子だ。
しかし、動く様子はない。
窓の外に煙があがったとしても、自分の判断で動くような者は、ここにはいないということだ。
ミハイル達は隠れながら、敵の様子を慎重にうかがっていた。
「おい!火事だ!!誰か来てくれーーー!!!」
外から大声で叫ぶ声が聞こえる。
隠れているミハイル達には、先ほどアレンと一緒に陽動へ向かった兵士の声だということが分かった。
窓の外に煙がモクモクとあがっていて、火事だから来てくれという助けを求める声がする。
それでも見張りの敵たちは、動かなかった。
ほんの2、3人だけが様子を見に、持ち場を離れて様子を見に行っただけだ。
国王たちが捕らえられている部屋の中にも、見張りがいるだろう。
まだだ。まだ突入できない。
きっと敵は、国王たちの見張りのために動かないのではない。自分たちで判断ができないから、ただ動かないように、ミハイル達には見えた。
――――あともう一息。もう一押しなんだけど。
動揺している様子の兵たちは、あともう一息で、一気にその場を離れそうだった。
その時。
「おい!アレンだぞ!!アレン・ウィズダムがいるぞ!!ミハイル王子の学友だ。ミハイル王子の居場所を知っているに違いない。捕らえて吐かせろ!!!!」
叫ぶ声はアレンと一緒に行った兵のものだ。
ということは、この言葉はアレンの指示なのだろう。
――――アレン!!!囮になってくれているのか。
声を出すことはできない。
ミハイルもジャックも、一緒に隠れている兵たちも、ただ無言で、息を潜めているしかできない。
火事などの緊急事態がおこった時、殆どの人間がパニックに陥り、冷静な判断が出来なくなる。
見張りの者達は、最初ただ硬直して、立ちすくんでいた。
そうして呆然と立ち尽くしている時に、誰かに強く指示されると。
「アレン・ウィズダムを、捕らえろ!!!!!」
一人、また一人と、その場を離れて、指示に従う。
最初の数人が走り出したら、後はもう雪崩のように、競うように、見張りの者達はその場を離れてアレン・ウィズダムを追い始めた。
―――――集団心理。かかった!!ネットで見ただけの情報で、本当にやれるか心配だったけどな!
「あっちだ!あっちへ逃げたぞ!!!」
「逃がすな!!追えーーーーーーー!!!!!!」
廊下に残っている兵はいない。
見張りに何人残すとか、そんな判断を冷静に下せる者は、いなかった。
ついに貴賓牢の扉を開き、中で国王夫妻を見張っていたらしい敵までもが姿を見せた。
「お、おい!火事ってどこでだ!?アレン・ウィズダムはどこに・・・・。」
「突入。」
ミハイルの指示に、潜んでいた兵たちが、一斉に貴賓牢へとなだれ込んだ。
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