第27話 無為な時間
6年生の夏季休暇になった。
ナタリー達はいつものメンバーでレノックス領に来ていた。
既に卒業してミハイル王子の側近として働いているユーグ様も一緒だ。
レノックス領はリラリナ王国の侯爵領の中でも一番の広さを誇る。
それは都市部が少なく農村地域、漁村地域が多いためであり、商業地域よりも収入は劣るものの、リラリナ王国の食糧庫としての機能を果たしている。
今回の旅行は、旅程のほとんどを視察が占めている。
ここ数年で、リラリナ王国では謎の不作が続いていた。
その原因を調べてみると、どうやらボリス製の肥料の真似をした粗悪品の肥料を安く仕入れて使用し、収穫量が落ちてしまった農家があるということらしい。
粗悪品の肥料を使っても、最初の年は普通に収穫があるそうだ。
しかし何年か使い続けていくと、土地の性質が年々悪くなり、徐々に収穫が減っていく。
一度“汚染”された土地はすぐには元に戻らない。
今のところは土全てを入れ替えでもしない限り。
粗悪肥料を使用したのが2~3回だけならまだなんとか持ち直せる。
多少の汚染はあっても、ほどほどの収穫はある。
ボリスの肥料に戻して、毎年着実に作物を作り続けていけば、2~3年で薄まって元の畑に戻る。
快復した畑は、不思議と以前よりも収穫量が増えるくらいだ。
ナタリー達は今、レノックス領の見渡す限りの小麦畑を万感の思いで見渡していた。
「良かった。もうこの辺の畑は大丈夫だな。」
ミハイルが呟く。その言葉は重かった。
「そうですね。レノックス領が持ち直してくれたおかげで、リラリナ王国は保っている。」
ユーグが答えた。
食糧庫であるレノックス領が汚染されたら、リラリナ王国は滅亡してもおかしくない。
それを分かっているからこその重い言葉だった。
安い肥料を使いたいというのは、農家として当然のことだろう。
商人が隣国から安い大量の肥料を買い入れるのも、きちんと検査され認められた範囲でのことだった。
特に毒が入っていた訳でもない。
でも確実に、収穫量の落ちる物質が入っていたのだ。
「5年前に、気がつけて良かったですね。」
「ああ。」
5年前のある日、地方の農家まで自ら買い付けに行くというオルチさんの「安物の肥料を使っていて収穫量が落ちた農家がある」という言葉が気になって、その後すぐに調査したのだ。
するとその時点で、既に何年か前からリラリナ王国には粗悪肥料が出回っており、その被害が出始めたところだと判明したのだ。
汚染された農地を二束三文で売り払い、収入源がなくなるような者も出始めていた。
でもそれはごく初期の状況だった。
あの時気が付けたのは、本当に僥倖だった。
気が付いたナタリー達は、それぞれの父親に働きかけて、王宮、議会へと進言してもらった。
ボリスや研究塔の人たちにも、対策と研究を依頼。
そして自分たちの領には自らが率先して赴き、粗悪肥料を使用しないように言って回った。
最初はとても苦労した。
粗悪肥料は最初の1~2年は普通に収穫できるのだ。
作物によっては収穫量が増えたりもするらしい。
実際に安い肥料で大量の収穫を得られた農家の人に、高い肥料を使えというのは無理な話だ。
レノックス領ではもう、ボリス製の肥料を無料で配る事にした。
馬車に大量に肥料を載せた役人が、地方の隅から隅まで配って歩き、場合によっては実際に使用するところを見張るまでした。
そこまでしないと、今度はボリス製の肥料を売り払って粗悪肥料を買いなおし、差額を懐に入れるような者までいたのだ。
ユーグのルクセン侯爵領、アレンのウィズダム侯爵領、ジャックロードのベリー伯爵領でも同様の事が行われ、これらの領の収穫量は、以前の水準まで回復している。
またファルコ様がリヴォフ公爵領の一角で、自らが開発した薬剤を撒いて畑の回復のための実験を進めている。
リヴォフ領に農地は少ないが、一定の効果を上げ始めているらしい。
希望の芽がでてきた。
なぜ法律で粗悪肥料の使用を禁止しないのか。
使用できる肥料をボリス製に限定しないのかといえば、その他の貴族による強硬な反対意見のせいだった。
安い肥料での大量の収穫を止められないのは農家だけではない。
それによって税収が上がった貴族たちも、上がっているうちに肥料の使用を止めさせる者は少なかった。
収穫量が減り始めてから使用を禁止しても、既に土地は汚染されている。
そこから収穫量を回復させるにはとてつもない苦労を要するため、諦めて農地を放棄する者も多い。
目の前に広がる黄金の絨毯。
ここまで回復するために、農家はもちろんのこと、実際に肥料を配って回った役人や、色んな人が必死になって頑張ったのだ。
最後まで強情でいう事を聞かない農家には、ナタリーや父のアレクセイ、そしてイヴァン様まで自ら農家まで行き説得した。
本当にイヴァン様には頭の下がる思いだ。
――――――――――――――ここまでくるのは大変だった。
「はあー、俺たちの領も持ち直したし、これで一安心だ。」
ジャックが気の抜けた声を上げる。
「そうだなー。まあお次は、今まで対策してこなかった貴族の領をどうするかだけど。」
アレンもフウッと息を吐いた。
自分たちの領の事で精いっぱいで、頑固に粗悪肥料を使い続ける他領の事までは、今まで手が回らなかったのだ。
これから対策していかないといけないだろう。
しかしもう――――――――
もう、リラリナ王国は大丈夫。
皆の思いは一緒だった。
「ん?」
その時、ユーグが何かに気がついてとある方向を見る。
方角的には王都のある方か。
続いて皆もすぐに気が付いた。
すごいスピードで数騎の馬が近づいてくる。
護衛達がすかさず前に出て警戒するが、どうやら見知った伝令の騎士たちのようだ。
一瞬安心しかけるが、近づいてくる騎士の様子が見て取れるようになるにつれて、心臓がドクドクと波打つような不安がおしよせてくる。
騎士たちの薄汚れた様子、緊張した表情――――――――尋常ではない。
「ミハイル様、ご無事で良かった。」
到着した騎士達の代表が、ミハイルの前に跪く。
どう見ても休息が必要な様子だが、それは勿論伝令の内容を伝えてからの事だ。
「昨日王都で民衆による暴動が起きました。手引きしている貴族がいる様子で、王宮が占拠され、国王ご夫妻と王太子ご夫妻が現在捕らわれています。」
「伝令の為とは言え、私共だけのうのうと王宮を抜け出し・・・・力及ばず、誠に、申し訳ございません。」
馬車で3日の道のり。
暴動が起きたのは昨日。
休憩などしたはずもない。
苦しそうな様子の騎士。
しかしその苦しさは、疲れからくるものではないだろう。
――――国王夫妻と、王太子夫妻が囚われた。
すぐに動かなければいけない。
すぐに、何かを――――――――――――――――――
立ち尽くしている時間などない。
しかし、しばらく。
ほんのわずかな間だけ。
誰も何も言わない時間が無為に流れていった。
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