第17話 父の友人
「ナタリー、今度の休みに街へ出かけないか。」
ミハイル様がそう提案してくれたのは、すっかり学園での生活に慣れ始めた頃だった。
今日はとってもお天気がいいので、珍しく庭園の一角の広場に敷物を広げ、その上でお昼ごはんを食べている。
「街へですか?行きたいです!」
実は私は街へ出かけたことがほとんどない。
幼少のころ、お母様と侍女に連れられてお買い物へ行った記憶は少しある。
それ以外は、王宮からの帰り道、マーシャが少し寄り道させてくれたことがあるくらいか。
「実は私はよく王宮を抜け出して、街へ出かけているんだ。今までナタリーも誘いたかったけど、警備に問題があって中々誘えなくて。あまりゾロゾロと護衛を引き連れて、大人数でいくのも嫌だし。」
「そうなのですか?」
「うん。でもやっと、一緒に行動できる護衛が出来て、許可が出た。」
「一緒に行動できる護衛?」
今までもよく見かけた、王宮の護衛のかたたちではないのだろうか。
ナタリーをいつも守ってくれるフランツとか。
「ジャックだよ。私とナタリーの二人なら守れるって、騎士団長からやっとお墨付きがでた。もちろん、私服を着た護衛が離れて、何人か見守っていることになるけれど。」
「まあジャックが!?」
ナタリーがジャックのほうを見ると、サンドイッチを美味しそうに頬張っているところだった。
「ふっふっふ~。ミハイル様に早く護衛できるようになれって言われ続けて頑張ったよ、俺。騎士団長にしごかれまくって。」
お行儀よく口の中の物をゴクリと飲み込んでから、得意げにニヤリと笑うジャック。
この年で王子の護衛の許可がでるって、すごいことなのではないかしら。騎士団長に鍛えてもらっていただなんて、初めて聞いた。
「では三人で街へでかけるのですか?ユーグ様やアレン様は。」
「侯爵令息をあと二人連れて行くのは、さすがに俺まだちょっと無理そう・・・。」
ナタリーの質問に、ジャックの方が先に答える。
忘れがちだけれど、確かにユーグ様もアレン様も侯爵令息だった。日本でのイメージで言うと、この国の侯爵というのは江戸時代の大大名くらいの位置づけだ。
それがあと二人も増えたら、確かに守る側としては大変な負担増だろう。
「あの二人もある程度自分を守れるんだろうけどね。人数増えるとそれだけ危険だから、今回は三人でどうかな。」
「はい!!楽しみにしています。」
『服はこちらで用意しても良いだろうか』というミハイル様にお任せしますと答えると、次の日にはレノックス家の屋敷に届けられていた。
「わー本当に、可愛い服。」
「そうですね。ナタリー様にとてもお似合いです。さすがミハイル殿下のお見立てですね。」
送られてきた服は、街娘のもののようだった。
ふわりと膨らんだ青いスカートがとても可愛らしい。上はシンプルな生成りのシャツだ。
試着してからも気に入ってしばらくの間着ている。
どうやら街へはお忍びでいくようだ。
「街娘にしては髪型がそのままでは豪華すぎますね。当日までに、流行の髪型を研究しておきます。」
いつもと違うナタリーの姿に、なぜか張り切って嬉しそうにしているマーシャ。
コンコンコン。
その時、部屋をノックする音がした。
「その、もう着替え終わっただろうか?入ってもいいかい。」
・・・・・・・・なんと父の声がした。
一体何の用事だろう。わざわざ部屋まで訪ねてきて、食事の時に話すのではだめなのだろうか。
そしてなぜナタリーが服を試着している事を知っているのか。
視線で良いか聞いてくるマーシャに、仕方なく頷いてみせる。入室を断る理由はない。
「はい。どうぞお入りください。」
マーシャが返事をすると、扉を開けた父親がしずしずと入ってきた。
「あー、その。とても可愛いね。似合っているよ。」
「・・・・・・・・・・ありがとうございます。」
よほどの急用かと思ったら、呑気に社交辞令で服装などを褒め始める。それで一体、要件はなんなのだろうか。
「あ、そうだ!今度私も新しいドレスを買ってあげようか。」
「いえ、あの。はい。」
ナタリーのドレスは、普段着る物から社交用まで、マーシャが来てくれてからはマーシャが全て選んでくれていた。
もちろんお金は侯爵家から、つまり父親から出ている。つまり今までも父が買ってくれていると言えば買ってくれているのだけど。
「私も」ドレスを買ってあげるとは、今までどおりお金だけ出すのではなく、父親がドレスを選ぶということだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
話が続かない。父親の真意が分からない。要件を切り出さない。
気まずげにソワソワしている父親は部屋を出ていこうとしない。
仕事の方は良いのだろうか。とても忙しいと聞いているけれど。
「こんなところにいた!!何をやっているんだアレクセイ。お前が領地へ行った時の仕事の遅れもまだ取り戻していないというのに。」
ちょうど仕事が大丈夫なのか心配になってきた時。
王宮から派遣されてきている、官僚のイヴァン様が父親を捜してやってきた。
イヴァン様は父を手伝って、侯爵領のお仕事を一緒にしてくれている。
・・・・やはり父は仕事の途中で抜け出してきていたようだ。
父と学園の同級生だったというイヴァン様は、男爵家出身でありながら、リラリナ学園をその代の首席で卒業したという、エリート中のエリートだ。
通常は国中から試験を勝ち抜いてきた平民か、幼いころから徹底的にエリート教育を受けて育った上位貴族が首席になるものだからだ。
なんでも男爵家出身だが次男で家が授業料をだしてくれないから、平民と同じ試験を受けて奨学金を獲得したという根性の持ち主だ。
イヴァンもフランツやマーシャと同じく、ナタリーの虐待が判明した後に王宮から送られてきた人材だ。
この方もいつまでうちの屋敷にいていただけるのかしら、と常々ナタリーは思っている。
「えーと、その時の遅れは、さすがにそろそろ取り戻したんじゃないかな。」
「その後ナタリー嬢の入学式に無理言って出席して、さらに一日遅れたのが痛くてな!俺はあの時働きすぎて死ぬかと思った。お前はどんだけ仕事を溜めこんでいたのか自覚を持て!頭だけは良いんだろうが。」
父と同級生ということで、爵位の差の割に遠慮が一切ない。
この人がいなければ、レノックス家は今頃領地を返上しなければならなかったかもしれない。
それだけ人材も財政もボロボロだったそうだ。
心底頼りない父だが、頭だけは良いらしい。
イヴァン様にやれと言われたことを言われたままに、ものすごいスピードで機械的にこなしているという。
当主が、人を言われたことを機械的にこなすだけの侯爵家。
・・・・・それで良いのかしら侯爵家。
イヴァン様が王宮に戻ったら果たしてどうなることやらだ。
「こんにちは、ナタリー嬢。やあ、可愛らしい服装だ。」
父親に向けていた顔とはうってかわって、ナタリーには優しい笑顔を向けてくれるイヴァン様。
人形のような美形ぞろいの高位貴族とは違うが、親しみやすくホッとする笑顔だ。
「お騒がせしてゴメンね。王子様から服をプレゼントされたと聞いてから、アレクセイが使い物にならなくて。だったら少しだけ見てスッキリしてこいと送り出したら、中々帰って来ない。」
中々帰ってこないとは?父は今しがた部屋に来たばかりなのだが。
呼びに来るまで5分といったところか。イヴァン様にしては、大分気が短い。
「でも父はつい今しがたこの部屋に来たばかりですが。」
「え!?じゃあ何をしていたんだ今まで。大分前に向かったのに。」
ナタリーの言葉に、イヴァン様は驚いたようだった。
「・・・・・・・・・中々声を掛ける勇気がでなくて、ずっと部屋の前にいた。」
「アホか!」
ドレスを買っても本物の愛情は買えないぞ!行動で示せ。
だったらもう少し休みをくれ。
そんな二人の声が、廊下を遠ざかって行く。
一時期父の周りには誰も近づかなかったが、意外にも、あの人にもとても良い友人がいたようだ。
――――まあ、父のことなんてどうでも良いけど。
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