第15話 ミハイル様にはかなわない
「また君かリリィ・ミリューチ。指定した範囲を読んできていただけていないようだ。」
ああ、またか。
ナタリーは暗い気持ちになってしまう。
最近はどんどん詩の授業が憂鬱になっていく。
自分が怒られているのではなくても、他の人が怒られているのを聞いているのも良い気分ではない。
「・・・・・・・・・・・・読みました。」
「はあ?今なんと?」
消え入るような小さな声。
本当に聞き取れなかったのかもしれないが・・・・・。
リリィが再び言い直すことはなかった。
リリィの代わりに抗議をすることはおかしいだろう。
リリィもそれを望んでいない。
「全く。君には家庭教師がいなかったのか?今まで何を習ってきたのだ。」
しかしナタリーは思った。
不愉快なのよ。私がね!
「はい!先生。」
勢いよく手をあげて、ついでに立ち上がってアピールする。
「・・・・ナタリー・レノックス?なんだね。」
ナタリーの勢いに、ゲオルグ先生は少したじろいだようだった。
「はい、先生。私もこれまでこの詩を習ったことがありませんでした。詳しく教えていただけないでしょうか。『これから』『ゲオルグ先生が』。」
大体おかしいのだ。
これまで何を習ってきたのかって?
知らないわよ。
これからあなたが教えなさいよ。教師でしょ。
「君の家庭教師は、こんな有名な詩を教えてくれなかったのか。」
「そうですね。」
「今から授業で教えていただけるんですよね?これまで習ったことがないことが、それほど重要なのでしょうか。」
「・・・・・・・・・予習で読んできてくれたのかな?」
「はい。読みました。」
「いいだろう、ナタリー・レノックス。授業を再開する。・・・・ではリリィ・ミリューチ。君は授業を聞かなくても結構だ。」
「リリィ様も先ほど、予習をされたと言っていましたよ。」
「はあ?」
「リリィ様も!!予習をされているそうです!!先ほど仰ってましたぁ!!!!!」
もうやけくそだ。
腹の底から声を張り上げる。
「・・・・ああ、すまない。そうなのか。最近少し耳が聞こえにくくなっているようだ。大きな声で答えてくれると助かる。」
ゲオルグ先生は、なんと予想外に素直に謝った。
え!
なんだか本当に聞こえていなかったようだ。謝る様子が、演技とは思えない。
そういえば確かに、リリィの声は消え入るように小さかった。
「リリィ・ミリューチ。すまなかったね。」
「・・・・・・・い、いえ。」
「はあ?今なんと?」
だから、その聞き返し方、止めて欲しいです。
なんとかなりませんか。
*****
「聞いたよナタリー。ゲオルグ先生に言い返したって?」
昼食の時間、いつもは休み時間がズレているため同学年のお友達と食事されているユーグ様が珍しくナタリー達のテーブルにやってきた。
「・・・・なんのことでしょう。」
先ほどのやり取りから2時間しかたっていないのに、4年生のユーグ様まで話が伝わっているというのか。
もうヤダ。
「・・・・・・・・・・・・・ふふっ。」
それまでギリギリ笑いをこらえていたミハイル様からついに抑えきれない声が漏れる。
もうやめてください。
「ゲオルグ先生はね。本当に悪気はないんだよ。口が悪いし、できない生徒に執拗に厳しくするから敬遠されるんだけどね。」
「そうなのですか?」
「うん。あと少し耳が遠い。何年かごとに言い返す生徒があらわれて、先生が素直に謝るのが恒例だ。・・・・・実は私も抗議した。」
「えっ、ユーグ様がですか!?」
ユーグ様が授業についていくのに困ったとも思えない。
それなのに抗議したというのか。
意外だった。
「苦手な生徒に集中して何度も質問して怒るので、皆が委縮して授業の雰囲気がとても悪くなってしまってね。あんなにピリピリしていては授業の内容も頭に入りにくいし、効率が悪いと思って。」
「効率が悪い・・・・。」
そこまで考えられていたのですか。
なんだか不愉快なのよ!と思って抗議した自分が恥ずかしいです。
「今年はミハイル様かナタリーのどちらかが抗議すると思っていたよ。ふふふ。」
そう言ってユーグ様はお友達の待つテーブルへと去って行った。
ユーグ様・・・・それだけ言いにいらしたのですね。
というかその情報、先に教えておいてほしかったです。
「さすがだねナタリー。惚れ直したよ。」
「はあ。ありがとうございますミハイル様。」
もう本当にそっとしておいて・・・。
ナタリーは思った。
「いやいやいや。さらりとなんかすごい事いったぞ。」
「あー。この二人いつもこんな感じだよ。」
アレン様とジャックがいつものように、なにやら楽しそうに話していた。
*****
「・・・・・・・・あの、余計なことは、止めていただけませんか。」
教室に戻って次の授業の準備をしていると、珍しくリリィの方からナタリーの席に近寄ってきた。
「余計な事?」
「ゲオルグ先生に抗議されていたことです。私、頼んでおりません。目立ちたくないのです。お願いします。」
可哀そうに、リリィはもう涙ぐんでいる。
何がそれほど彼女を怯えさせているのだろうか。
「はい、頼まれていません。私は私の為に抗議したのです。言い方が厳しくて質問などがしにくいと感じましたので、気持ちよく楽しく授業を受けたいと思いました。リリィ様は関係ありません。」
キッカケはリリィかもしれないが、抗議はリリィの為ではないと断言できる。
「・・・・・・・・・。」
その後、リリィは何も言い返せず、自分の席に戻って行った。
*****
「ゲオルグ先生!それは実際には300年前の物だと最近の研究で分かったのではないでしょうか。」
「その通りだネイサン。最近発掘された遺跡から、実は既に300年前からあったのだと言われるようになってきている。教科書に載っていないことを良く調べているな。」
それ以来、ゲオルグ先生の授業では、生徒は皆ハキハキと大きな声で発言するようになっていった。
たまに「はあ?」と聞き返されることもあるが、ハイハイ聞こえなかったのねと、普通に大きな声で言い直せば答えてくれる。
蓋を開けてみれば勉強の説明は上手く、授業に遅れる生徒を放っておくことのできない、不器用で少し口と耳の悪い先生だった。
最初は授業についていけなくて委縮していたような生徒も、先生の性格が分かって、遠慮せずどんどん質問をするようになってきた。
「ナタリー様。ありがとうございます。私は以前、ゲオルグ先生が怖くて、学校に来るのも憂鬱でした。でも今は毎日が楽しいです。ナタリー様のおかげです。」
わざわざお礼を言いに来てくれたクラスメイトもいる。
・・・勇気を出して、思ったことを言って良かった。
*****
「もう。リリィは本当に私がいないとダメねぇ。自分で考えて動くことができないのかしら。」
毎日の授業が楽しくなってきたが、たまにこんな声が聞こえてくるとイヤな気持ちになる。
「マリ様は妹思いの素敵なお姉さまですね。学園でもこれほど妹を気にしていらっしゃるような方は他にいませんわ。」
「リリィが心配で仕方がないのよ。小さな頃からこんなノロい子だったから。ねえ、リリィ?」
「はい、いつもありがとうございます。お姉さま。」
教室では下を向いて大人しくしていることの多いリリィだが、姉のマリやその友人たちに囲まれている時は、なぜか楽しそうに、いつもニコニコとしている。
ナタリー自身がマリに虐められていた経験がなければ、こんなにも気にならなかったかもしれない。
仲の良い姉妹に見えていたのかもしれない。
カフェテリアが混まないようにするためか、お昼休みの時間は学年によって少しずつズレている。
移動授業もあって大変だろうに、リリィはわざわざ自分から姉に会いにいく。
ナタリーは何とも言えないモヤモヤを感じながら、見ていないふり、聞こえないふりをしてそのテーブルを通り過ぎた。
*****
「次の選択授業の時間、私が詩の授業を出来なくなった。自習をしていて欲しい。是非学園の庭園などを散策してはどうだろう。国有数の素晴らしい庭園がすぐそばにあることに気が付いて欲しい。図書室も良いだろう。王宮図書室と国立図書館の次に蔵書が多い。今度から始まる作詩の授業の役に立つことだろう。」
ある日のこと、ゲオルグ先生が用事があるということで、詩の授業だけが自習となった。
――――あの庭園をゆっくり散策できる!
ナタリーの心は躍った。
庭園はいつの間にか春の花に代わって、目に鮮やかな緑が広がるようになっていた。
この時期だけの、みずみずしくて活気に満ちた、新しい葉だ。
夏に咲く花も少しずつ開きはじめている。
いつかのガゼボは大人気で、何人かの女生徒が楽しそうにおしゃべりをしている。
せっかく時間があるので、ナタリーは普段行ったことがないような、庭園の隅から隅まで、時間をかけて歩いて見て回りたくなった。
まだ暑すぎない初夏の陽気を感じながらのんびりと散策していく。
「あ・・・・・。」
そうしているうちに、ある人物を見つけてしまった。
リリィ・ミリューチ子爵令嬢。
こんなに奥まった誰も来ないようなところで、一人、まるで隠れているように、息をひそめるようにしてそこにいた。
また見ないふりをして、通り過ぎる?
いいえ。
そんな事をしては、この素晴らしい気持ちが台無しになってしまう。
何よりも、こんなにお天気の良い日に自習になって、こんなに素晴らしい庭園で偶然出会ったのだから。
これを縁と言わずして何と言おう。
話しかけてみて、何も起こらなかったら。
今度こそ、これからはリリィの事を気にすることは一切やめよう。
そう思った。
「リリィ様。ご一緒してもよろしいでしょうか。」
「・・・・・え・・・・・あ・・・・・。」
一応質問の形式をとっているが、返事を待つつもりは元々ない。
屋根などない、古びたテーブルの席に座る。
温かみのある木で出来ていて、しっかりと手入れがされていた。
「本当に、素敵な庭園ですね。」
「・・・・・・はい。」
「とても良いお天気。今日が自習になって、良かったです。」
「・・・・・・・・・・・・・はい。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
それからは、何を話そうか思いつかず、しばらく庭園を楽しんでいた。
初夏の日差し、さわやかな風、葉擦れの音、若葉のにおい、土のにおい。
「本当に、素敵。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・はい。」
ねえ、あなたお姉さんに虐められているの?
実は私もあなたのお姉さんに小さな頃虐められていたの。
結局、そんな事を聞く気は起きなかった。
どうせ答えはノーに決まっている。
代わりに思いついたことを、感じたまま、少しずつ話していった。
少しずつ、少しだけ。リリィも他愛ない、なんてことない話なら、少しずつ話してくれた。
「喉が渇いて、お茶が飲みたくなりますね。蓋のある薄い瓶か缶にお茶を入れて持ち歩けたら、便利だと思いませんか?」
「・・・・・・・それはただの水筒では?」
「まあ!たしかに。」
ほんの少しだけ打ち解けてきた頃、自習の時間の終わりを告げる鐘が鳴った。
「リリィ様。今日、お昼ごはん、ご一緒しませんか?」
二人で一緒に戻った教室で、ナタリーは穏やかにそう言った。
もう本当にこれで最後の最後のつもりだった。
この手を取ってもらえなかったら、もうきっぱりと諦めて、リリィのことは気にせずにいようと、心に決めていた。
「・・・・・・・・・・・申し訳、ありません。」
「そうですか。こちらこそ、これまでしつこくお誘いして申し訳ありませんでした。今日、庭園でお聞きした、リリィ様のお好きな新進気鋭の音楽家の方のお話など、詳しくお聞きしたいなと思ったのですが。」
「・・・・・はい。」
「新進気鋭の音楽家??もしかして女性音楽家のゾフィア・シャルロ??」
「・・・・え、は・・・はい。」
もう、気にすることはお終い。リリィに話しかける事はないだろう。
ナタリーがそんな事を考えていた時、一瞬で空気が変わる眩しい光のような声が響いた。
諦めていた心に、明るい光が差し込む。
もちろんミハイル様だ。
「リリィ嬢はゾフィアが好きなの?」
「・・・・・・はい。あの、小さな音楽ホールが、好きで。全然人がいないような。」
「うんうん。」
「ゾフィアの音楽も、最初は全然人がいなかったのですが、素晴らしくて。少しずつ・・・人が増えて・・・・。」
「それはすごい。誰も知らないような頃からゾフィアの音楽を聴いていただなんて。」
「え!ゾフィア!?俺でも知ってる!!!」
ゾフィア・シャルロといえば、今大流行の新進気鋭の音楽家だ。
あまりの人気に上位貴族ですら簡単には呼べないと評判の。
ジャックも驚いているようだ。
「それは私も話が聞きたいな。是非皆で一緒に食事をしよう!!!」
心底嬉しそうに笑う第二王子の誘いを断ることが出来る人物などいるだろうか。
・・・・国中を探してもいるはずがない。
さっきまでの決意が嘘のように、教室中の雰囲気を巻き込んで。
ミハイル様・・・・相変わらずですね。
本当に、かなわないな。
皆の輪の中で、恥ずかしそうに、少し嬉しそうに微笑むリリィを見ながら、ナタリーは思った。
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