第14話 気になる
「リリィ・ミリューチ。君はまた答えられないのですか。」
担任の冷たい声が教室に響く。
1学年Aクラスの担任教師は、毎年1学年のAクラスを担当しているという評判の良い先生だった。
男爵家出身という50代くらいの男性教師。
元々家庭教師などに、厳しくマナーや学科を習ってきた上位貴族で構成されるAクラスの生徒は、毎年すぐにこの先生の授業についていけるようになるという。
しかしナタリーはこの先生のイライラピリピリとした雰囲気があまり好きではなかった。
現在は選択授業の時間で、剣術実技と教室での詩の授業とに希望別に分かれている。
ほとんどの男子生徒と一部の女子が抜けたこの時間、この教師が特に厳しくなる気がする。
「まったく。これまで何を学んできたんだ。」
指名され立たされたままのリリィは答えられず下を向いている。
リリィ・ミリューチ。
ミリューチ子爵家の次女。
あのマリ・ミリューチの妹だ。
そういえば、ナタリーの9歳の時のプレデビューに当時12歳のマリがいたということは、9歳の弟か妹かの付き添いだったということだ。
クラス分けの名簿を見たときは、リリィ・ミリューチの名を見て、マリのような気の強い子だったらどうしようと少し不安を覚えたものだが、実際に見たリリィは自信なさげな大人しい女の子だった。
「もういい。座りなさい。授業も聞かなくて良い。」
リリィがノロノロとした仕草で席に着く。
少しうつむき加減なため、その表情を窺い知ることはできなかった。
詩の授業が終わって、ナタリーはゆっくりとカフェテリアへ移動する。
食堂に着くと、授業が終わると急いで教室を出て行ったリリィが、すでにテーブルの1つに座っていた。
ナタリーはいつも約束するまでもなく、自然とミハイル様やジャックと一緒に昼食をとっている。
時によって更にアレン様やその友人など、男女関係なくクラスメイトなどと昼食をとるナタリーだが、リリィと一緒に食事をした事はない。
・・・同じクラスだし、リリィも誘って大丈夫だろうか。
ふとそんな事を考えていた時、何人かの生徒が固まってカフェテリアへ入ってきた。
どうやら3年生のようだ。
「やだぁリリィ、こんな席しかとれなかったのぉ?1年生は授業が終わるのが早いのだから、もっと落ち着いた席をとれるでしょ。」
カフェテリアには広いテーブルが沢山あり、貴族といえど身分学年関係なく相席することになる。
しかし少人数で食べられるような小さなテーブルもいくつかあり人気だった。
植木のパーテーションで区切られているような落ち着いた席も、すぐに埋まってしまう。
「あ・・・・今日は、高学年の方々が先にいらしていて・・・・。」
「もう。本当にいつもリリィはのろまね。皆ゴメン!よく言っておくわね。」
「マリ様のせいではございませんわ。マリ様のせい、では。」
あっという間に3年生で姉のマリとその友人たちに取り囲まれてしまった。
「すっ、すみません。次は頑張りますね!」
無理に明るい声が聞こえてくる。
それを見ていたナタリーは、何とも言えない不快感を覚えた。
「ナタリー、どうしたの?元気ないね。」
なにやら考えながら座っていると、ミハイル様に声を掛けられた。
この学園の食堂は、貴族も平民も等しく自分で食事を受け取りにいくシステムだ。
詩の授業が終わったナタリーは、既に食事を受け取り、テーブルでミハイル様やジャックを待っていた。
今日はアレン様も一緒のようだ。
いつの間にか剣術の授業が終わっていたのだろう。
「・・・担任のゲオルグ先生って、厳しいですよね。」
少し迷ったが、思ったことを相談してみることにした。
家族に虐められていた時、何人かに相談しようとしたが、すぐに諦めてしまった。
でも最近思うのだ。
もっと諦めずに、色んな人に相談していればどうなっていただろうと。
きっとあの当時でも、諦めずに何度も相談していたら助けてくれたんじゃないかという人物が、今では何人か頭に浮かぶ。
あの時は誰に相談しても無駄だと信じ込んでいた。
誰に相談しても、まじめに取り合ってもらえないか、父親に言いつけられると思っていた。
でも本当にそうだったのだろうか。
・・・・そんなことは、9歳の子どもには難しかったのかもしれないが。
「そうだね。ゲオルグ先生、もう少し優しい言い方をしても良いよね。」
「男子生徒がいない授業の時が特に厳しい気がするのです。」
「そうなんだ。」
「ジャックやアレン様はどう思われます?」
「んー俺はあんまり気にならないかな。剣術の先生の方がよほど怖い。あと俺のマナーの家庭教師とかすっごい厳しかったし。」
ジャックロードは剣術馬術体術、体を動かす事ならなんでも得意だ。
剣術の先生などは大雑把な人が多く、厳しい師匠や教師に、普段から慣れているらしい。
「俺も別に気にならない。あのくらいならよくいるからな。厳しいなーとは思うが。授業の解説は分かりやすいんじゃないか?毎年1年生のAクラスを担当しているだけはある。」
アレン様も同意見のようだった。
「ナタリーはゲオルグ先生が怖いの?」
ミハイル様が優しく尋ねてくれる。
「いいえ。・・・・・・・・・実はそれほどでもない、のです。確かに厳しいは厳しいですが、教え方は分かりやすいと思います。予告された範囲を勉強していたら質問には答えられますし。私はそんなに厳しい事を言われた事がありませんし。」
「そっか。」
「でも、女生徒だけの授業だと、最近何だかムズムズするんです。特定の生徒何人かに、特に厳しいというか、対応が冷たすぎるような気がして。」
「・・・・・私が先生に言ってあげようか?確かに厳しいので、もう少し優しい言い方をしてほしいと。」
「え!いえ、それは結構です。」
ミハイル様に代わりに抗議してもらうなど、考えてもいなかったので慌てる。
それは何だか違う気がする。
「私が気になるのですから、ミハイル様に代わりに言っていただくのは、なんだか違うと思います。どうしても、どうしても困ったらもちろん、頼らせていただくかもしれませんが。」
「そう?ナタリーは強いね。もっと頼ってくれても良いんだよ。その方が嬉しいくらいだ。」
言いながら気が付いた。
リリィが困っているようだからと、ナタリーがどうこうしようと考えていたことに。
ナタリーが困っている時にミハイル様に抗議してもらうことが違うように、リリィが困っていることをナタリーが解決しようと思うことも、おかしいだろう。
しかも本人に頼まれてもいないのに。
とは言っても、気になるものは気になる。
詩の授業は週に3回と意外と多いのだ。
「もう少し、よく考えてみます。ありがとうございます。」
「うん。後でまた話を聞かせてね。」
「ハイ!!」
*****
「リリィ様。ごきげんよう。」
次の日の休み時間、さっそくナタリーはリリィに話しかけていた。
とにかく話してみようと思ったのだ。
「え!・・・・・ご、ごきげんよう。」
急に話した事がないナタリーに話しかけられたリリィは、驚き、緊張した様子だった。
気まずげに視線を泳がせている。
「もしよろしければ、今日のお昼ご飯ご一緒しませんか?」
「え!!」
今度は驚いただけでなく、どんどん顔色が悪くなっていく。
表情が強張って少し汗ばんでいる。
「・・・・申し訳ございません。姉と一緒に昼食をとる約束をしておりまして。」
「あ、そうですよね。それでは明日はいかがでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・申し訳ございません。」
「そうですか。」
子爵令嬢であるリリィが侯爵令嬢のナタリーの誘いを断るのは勇気がいるのだろう。
可哀そうなくらい怯えた表情。
そこまでして姉との約束を優先するとは尋常ではない。
幼少の時、義姉やマリに虐められていた時のことが思い出される。
そして昨日のカフェテリアでのやり取りも。
リリィがマリと一緒に昼食をとることが楽しそうには見えなかった。
ナタリーはリリィに近づき、声をひそめた。
「もしよろしければ、私に無理に誘われたということにしていただいても・・・」
「や!やめて下さい!!!!」
リリィが入学以来聞いたこともないような大きな声で否定した。
思わず言ってしまったのか、ハッとした後、また怯えた様子で周囲を見回している。
「本当に、やめて下さい。お願いします。申し訳ありません。」
消え入るような声で懇願されて、それ以上なにも言えなかった。
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