第2話 信じて大丈夫

「本当に、ほんっとーに申し訳ありませんでした。」


 医師の診察が終わりミハイル殿下の元へ案内され部屋に入るとジャックロード君が綺麗に120度ピッタリの角度で頭を下げていた。


 ちなみにこの国のマナーのお辞儀は90度ではなく相手の目を見ながらの120度である。

 この国に土下座があれば土下座していたことだろう。




「お気になさらないでください。あの状況では仕方のないことです。むしろ私の義姉が大変失礼をいたしました。」

 これはいつもの言わされているセリフではなく、本心である。

 本心からジャックロード君お気の毒に・・・と思っている。



「お心遣い痛み入ります。しかしやはり女性のドレスを褒めなかったり、髪型についてどうこういったのは僕の失態です・・・いえそれよりも、ミハイル様に助けてもらうまで何もできなかったのが・・・・。」

「そうだぞ情けない。私が場を離れる事すら気が付かずにアナスタシアの側に残った時は正気を疑った。」

 ユーグ様が呆れたように追い打ちをかけている。




 ユーグ様・・・・やはり早々に逃げたのですね。さすがです。





「ハハハ。ユーグも逃げる時に一声掛けてあげればいいのに。さすがにジャックをあの場に残すのは可哀そうすぎるし、ちょうど挨拶にも飽きてきたので見に行ったらすごい顔色をしていたのでビックリしたよ。人の顔が赤紫になるのを初めて見た。」




 優雅に紅茶を飲みながら笑うミハイル殿下。

 なるほど。ご友人のジャックロード様を助けにあの場にいらしたのですね。


「ジャックは私の学友候補ということで今まで変な奴は寄ってこなかったのだろうが社交界は魔窟だ。特にご令嬢の見た目に惑わされてはいけないよ。」

「こ」


「こ?」

「こ・・・怖かったです~~~。」



 先ほどの騎士様のような見事な礼から一転、思い出したのかカタカタ震え始めたジャックロード君がミハイル殿下に抱き着いた。

 まだ9歳だもんね。怖かったね。



 

 それにしてもユーグ様といいジャック君といい、ミハイル殿下への信頼がうかがえる。

 貴族の表面的な付き合いでない、気心の知れた付き合いをしている事が伝わってくる。

 私はこの世界に生まれてからはそんな友人がいなかったのでうらやましい。



「さて、これからナタリー嬢をどうしよう。このまま屋敷に帰して死なれたら寝覚めも悪いし。」

「やめて下さい!屋敷に帰すのなら僕の家に連れて帰ります。」

 青い顔で相変わらず震えているジャック君。

 

 優しい子だなあ。



「ジャックが侯爵令嬢なんか連れて帰ったらもう責任とって結婚するしかなくなるぞ。良いなら良いけど。」

「う・・・・い、良いです。」

 青い顔を増々青くして並々ならない決意を表明するジャック君。・・・あまり嬉しくない。


「やめておけ。そんな理由で結婚が決まってもナタリー嬢だって嬉しくないだろう。」

さすがユーグ様。その通りです。


「あの・・、私の事なら捨て置いてくださいませ。もしも少しだけ協力してくださるなら、一度だけ護衛の騎士様をお借りして帰宅してもよろしいでしょうか。」



この3人に少し元気をもらった私は、今後の事を考える気力がわいてきた。

とにかく、もうあのお屋敷には戻れない。王子に虐められていることをバラしたからには、これまで以上にいびり倒されることが確定だからだ。



「・・・護衛の騎士を連れて屋敷に帰る?それからどうするつもりなの?」

「実は3年前、継母と義姉が屋敷に来た日に母の形見など大事なものを急いでいくらか隠したのです。それを取り戻せばしばらくは暮らせると思うので、市井で平民として暮らしていこうかと思います。」


「市井で暮らす???貴族令嬢の君が?9歳だよね。」

「平民の子ならすでに働いている年齢なので問題はありません。母の縁戚の方に身分を保証してもらえば市民権をもらえるでしょうし・・」

「いや、その縁戚の方に匿ってもらいなよ。」



 思わず敬語を忘れて突っ込みを入れるユーグ様。

 同じ侯爵家の嫡子なので爵位的には問題ない。



 ちなみに義姉は対外的にはお父様の子とされているが正式な届け出はされていないだろう。

 この世界にはDNA鑑定などないのでよほどの事情がない限り私生児が貴族として認められることはない。

 貴族とは血筋が一番重要なのだ。

 そんなホイホイ認めていたら、大変な事になってしまう。

 本当に血がつながっていたとしても認められる可能性は低いだろうが・・姉は美しいが、お父様には全く似ていない。そういうことだ。

 なので対外的にはともかく、正式には私が侯爵家の嫡子で間違いないのだ。


「とりあえず、立ってないで皆座りなよ。お茶でも飲もう。」


 そうですね。

 立ち話もなんですしね。

 座ってゆっくり相談した方が建設的ですよね。


 ってミハイル殿下あなたこそ本当に9歳児ですかね。

 私は9歳は9歳でも60歳のおばちゃんの記憶もちですからね??


 そんな事言えるはずもなく、ユーグ様がすかさずひいてくださった椅子に座る。

 優秀な侍女さんたちが流れるように素晴らしい仕草でお茶の準備をしてくれた。







「・・・・という感じの3年間でした。」

 お茶うけに話せと言われてここ3年間の生活について洗いざらい話させられてしまいました。


「へー。レノックス家のここ最近の良くない評判は聞いていたけど、思った以上に大変だったんだね。」


 よくない評判、やはりたっていたのですね。

 確かに、表立ってどうこう言ってくる人はあまりいなかったけど、あそこまであからさまに前妻の子を冷遇していては気づかれますか。


「ユーグ。どう思う?」

「そうですね。まずダリヤ夫人とアナスタシアについては社交界から追放するように動きましょう。」

「ええ!?追放ですか。」


 表情一つ動かさず冷静に応えるユーグ様。

 ミハイル殿下のような人外の美しさとまではいかないが、クール系美少年で前世のおばちゃんの好みかもしれない。

 委員長タイプが好きだったのよ。


 いやそんなことより・・・


「そ、そんな。社交界を追放だなんてそこまでしていただかなくても。そこまでの事はされておりませんし。」

「そこまでの事をされていますよ。ダリヤ夫人は正式に結婚してしまっているのでともかく、連れ子のアナは養子縁組されていないのであくまで身分は平民のままです。侯爵令嬢である貴女への態度も問題ですが、社交界の伯爵家以下の貴族子女への振る舞いは許されるものではありません。すでに王家にまで苦情が何件もきています。今回のナタリー嬢の決定的な証言と医師の診断でようやく追放に動けます。」

「たしかに、平民と考えると・・・義姉の態度は問題どころではありませんね。」



「そう。そしてダリヤ夫人の伯爵以下の貴族への高圧的な振る舞いも問題になっています。レノックス侯爵にいくらいっても取り合ってもらえないとも。あわよくばアナとまとめて追放したいというところですね。」

「はあ。」

 お義母様は元平民とはいえ正式な侯爵夫人なので、高圧的だからといって普通は社交界追放は難しい。

高圧的な貴族って結構いるしね。



 まあお義母様はその中でも特にすごいけど。




 そこをアナスタシアお義姉様の監督不行き届き的ななにかでついでに追放できないかということですね。

 それほど周囲に嫌われていたとは・・・・・・・・・分かる。



「ナタリー嬢の処遇はダリヤとアナを追い出した後のレノックス家に戻って王家から使用人を派遣し監督する方法、親戚か他の貴族家に養子に入る方法などが考えられます。」

「あの、ありがとうございます。ですが私は本当に市井で生きていければそれで充分で・・・。」


「市井で生活したければすれば良い。だが一度レノックス家なり他家なりで静養してからが良いだろう。王家から信頼できる使用人を付け定期的に報告させるから安心して休めばいい。」



黙ってユーグ様の提案を聞いていたミハイル殿下が私の発言を遮った。



「ですが・・」

「大体なぜ市井で暮らすなどという発想が出てくるのかな。どうやって暮らしていくかも分からないだろうに。」

「実は私にはこことは異なる世界で平民として60歳まで生きた前世の記憶がありまして、市井の暮らしは何となく想像がつくのです。」

「そうか。まあとにかくレノックス家の問題が片付くまでは王宮で身柄を引き受けよう。それまでに養子先の候補を調べておく。」



 流された!!

 決死の思いで前世の記憶があることをカミングアウトしたのだが、サラッと流されてしまったわ。

多分本気にしていないのだろう。




「あの、ですが・・・」

「ですが?」

「ですが・・・。」



 言葉が出てこない。


 ここ3年間、誰にも頼らなかった訳ではない。

 なんとか隙を見てお茶会で見たことのある大人に訴えたこともある。

 皆「大変だね。」とはいうけど「貴女の将来の為を思って言ってくれているのでは?」とか、「うちも躾が大変で」とか・・・。

 最悪なのは「そうなんだ。注意しておくね。」と言われてお父様に報告がいくパターンで、その時のお仕置きは3年間で一番酷いものだった。


 

 それ以来、人に頼るのはやめたのだ。




  ポタ。ポタ。ポタ。


 気が付くと、着替えでお借りしているドレスにいくつもの水滴のシミが出来ていた。

 慌ててテーブルにあったナフキンで目を押さえる。


「ですが・・・誰に言っても・・信じていただけなくて。大丈夫かとは声を掛けてくれても、助けてはいただけなくて。お父様に言いつけられることもあるので、もう言わないようにしようと・・。」

「・・・・うん。」

「だから、もう少し・・あとちょっと、大きくなったら、屋敷から抜け出して、なんとか・・・一人で・・」


 それ以上は言えなかった。



 これからずっと、一人で生きていかなければならないと、決意していたのだ。

 それを突然、天使のような王子様が現れたと思ったら、これまで絶対に変わらないと思い込んでいた世界を切り裂いてしまった。


 家に連れ帰ってくれようとしたジャック君。何てことないように助ける計画を立ててくれるユーグ様も。


 もう大丈夫。


 ずっと私の心を支えてきてくれた前世のおばちゃんが言っている。

 この子たちは信じて大丈夫だよ。


 温かさを感じたと思ったら、ミハイル殿下が私を抱き寄せてくれていた。

 3年ぶりに感じた人のぬくもりに、ますます涙が溢れて声を出して泣いてしまった。


 令嬢が声を出して泣くなんて恥ずかしいだとか、9歳とはいえ男女で抱き合っていいのかなとか・・・そんな考えが一瞬頭をよぎるけど、まあいいや。




 そんなこと、この空気読まない人たちが気にするとも思えないから。






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