王子が空気読まなすぎる
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第1話 王子が空気読まなすぎる
「おいジャックロード。お前は私の学友候補なだけで伯爵家の三男だろ。なんで侯爵家のご令嬢の事をいじめているんだ。すごい度胸だな。」
優秀で歯に衣着せぬ言動も将来大物になると評判の第二王子のこの発言で、リラリナ王国で1番の広さを誇る王宮のダンスホールは完全なる静寂に包まれた。
それまで少しくらい率直すぎる発言をしても、まだ子供であるとか、王族なのだからこのくらいハッキリと発言出来た方が良い・・・・などとむしろ好意的に捉えられていた第二王子の評判が、『優秀だけどさすがに空気読めなすぎ』に変化した瞬間である。
そして、その日が私と第二王子の初対面であり、いじめられていた侯爵家のご令嬢と言うのが何を隠そうこの私である。
私が前世の記憶を思い出したのは6歳の時、お母様が亡くなってすぐ、葬儀の次の日だった。
気落ちに引きずられて重い体と泣きすぎてズキズキと痛む頭に、今日は一日お勉強を休ませて欲しいとお父様に頼もうかと思っていたところを、お父様に指示された侍女に問答無用で起こされ身支度させられた。
引きずるように連れていかれた応接室で、美しい継母と義姉にひきあわされた時、急に頭の中に自分であって自分でない、誰かの記憶が大量にあった事に気が付いた。
日本と言う国で生まれ育って、普通に結婚して2人の子どもと柴犬1匹の幸せな生活を送った記憶。
いつ死んだのかはハッキリとはしないが、子ども達が成長してしっかりと独り立ちしている記憶があるので60歳くらいまでは生きたのだろう。
自分が死んで家族は悲しんでくれただろうが、きっとあの子たちは乗り越えて逞しく生きていってくれるはず。そんな幸せな思いが胸を占めた。
おかげで毒々しいまでの美しさの継母に、部屋を明け渡して使用人部屋へ移るように言われても、お父様がそれを聞いて頷いていることにも、突然現れた腹違いの義姉とやらにお母様にプレゼントされたペンダントを奪われた時も、冷静に耐えることが出来た。
年の功で色々な経験を積んでいた前世の自分の記憶のおかげで、まだ少し(これでも!)継母と義姉が遠慮してる隙をついて、元の部屋からお母様の形見の装飾品などのいくつかを持ち出し隠す事にも成功した。
貴族として育ってきた6歳の子どもに貴重品を隠すなどという発想があるとも思われなかったのだろう。
その日から私は使用人に混ざって働かされた。・・・使用人以下の待遇で。
使用人ならお給金も払われるが私は完全なる無給で無休だ。
更にはお父様とお義母様とお義姉様からサンドバッグのように怒鳴りつけられる毎日。たまにだが、服で隠れる場所を殴られることもあった。
そんな日々を送りつつも、それまで母親に連れられてお茶会などに顔を出していた子供が急に消えるのはおかしいと思われたらしく、お茶会などには以前と同じように連れていかれていた。
お茶会に連れていくための最低限の食事と身支度。
それがなければ死んでいてもおかしくなかった・・・んじゃないかと、客観的に冷静に考えても思ってしまう。
そして10歳で社交界にデビューできるというこの国の慣習で、練習としてその年9歳になった貴族の子女が集められて行われるプレデビューの場で起こったのが冒頭の空気読めない事件である。
*****
母が亡くなってから3年の月日が過ぎていた。
その頃には私が侯爵家で虐げられていることは公然のこととなっていた。
たまにある子どもを連れていけるご婦人方のお茶会などで、子どもたちはその敏感さですぐにその事を嗅ぎ取った。
美しい継母は高級娼館出身との噂があるにも関わらず、侯爵家の妻の身分と義娘を見せしめに冷酷にいじめることで下位貴族を従えていった。
伯爵家以下の貴族とその子供たちは継母や義姉と一緒に私を貶めて機嫌をとる。
侯爵家以上の貴族は表面上の挨拶だけで、関わろうとはしない。
賢明だと思う。
その日もホールの隅で義姉や取り巻き達に囲まれていた。
義姉は流行の型の目の覚めるような深紅のドレスを着こなしている。
姉はその時11歳。少女から大人に変わる瞬間の、眩いばかりの美しさを放っている。
よく手入れされた艶のあるブルネットの髪にもとてもよく似合っていて誰もが目を奪われていた。
「ナタリー。あなたって本当に駄目ね。ここは王宮でプレとは言えデビューを想定した場なのよ。そのような古いドレス・・・頑固に気に入っているようだけど、この日に相応しくないわ。」
言葉だけを聞いたら出来の悪い頑固な妹に注意している義姉ととれなくもない。だから明らかに私がいじめられているように見えても、言葉の表面だけをとって、義姉は妹を可愛がる優しい子ということになっている。
お母様の縁戚の方などが何度か助けようとしてくれたようだが、決定的な証拠もなしにはどうしようもないだろう。
とっくに丈の足りなくなった薄汚れたドレスを着ている私。
これを着てプレデビューに臨むのは前世の記憶があっても屈辱だった。
前世の記憶があるだけで、あくまで私は今この世界に生きているナタリーなのだから。
「アナスタシア様はお優しいですわ。私の妹だったら恥ずかしくて一緒にはいられません。」
「忠告してあげるのも姉の責任ですから」
ちなみに義姉は元はアナという名前だったようだが、いつのまにか「アナスタシア」という貴族的な名前になっていた。
すぐに応えるのは義姉の親友という事になっているミリューチ子爵家の長女のマリである。
義姉がいなくても嫌味を言ってくるので、義姉の機嫌をとるだけでなく、元々人を虐げるのが好きな性質なのかもしれない。
大体取り囲んでいるのはいつも同じようなメンバーなのだが、今日はよほど領地が遠かったりデビューはともかくプレにまでお金を割けないような経営状況の貴族家以外の9歳児とその父母兄姉などは参加する大規模な舞踏会だ。
初めて見る顔もちらほらいて気まずそうにしているが、侯爵家の義姉に声を掛けずに場を離れられる者はいない。
というか、離れられる爵位の高い者は既に離れたので、これからが本番だ。
「ジャックロード様。こちらが私の妹のナタリーです。マナーや勉強をサボってばかりでお恥ずかしい。失礼なことをするかもしれません。その際はご遠慮なくご忠告ください。」
継母譲りの美しい義姉の見た目にフラフラと寄ってきてしまったジャックロード君(前世のおばちゃん目線)は端正な顔が引きつっている。
確か第二王子の学友候補とのことで、普段はお茶会などにはあまり参加していない。
たまに見かけたことはあるが、もっと上位の貴族と固まっていたりして関りはなかった。
今日は9歳の子が中心の会なのでジャックロード様のご友人が少なかったのだろう。
ここまで巻き込まれたら伯爵家三男では抜け出せない。
「いえ、僕はそんな・・・」
「遠慮なさらないでください。我がレノックス家は家臣や領民からも何でも思った事があったら忌憚なく発言するように、というのが家訓ですの。身分などに関係なく。」
「まあ素晴らしいお考えですね。」
もう何度も聞いた事があるはずの義姉のセリフに絶妙な合いの手を入れるマリちゃん。
この発言は新顔がいる時のお決まりの文句だ。
つまり、「そういう事にして一緒にこれからコイツ虐めようぜ。」という意味だ。
「この子の髪型、どう思われます?率直にご意見下さいな。」
櫛の一つももらえず普段お湯を使える機会もない中、手櫛とツバキに似た木の実で出来る限りのお手入れをしている髪はパサパサに荒れている。
その髪を薄汚れて捨てるようなレースを庭園に生えている花を潰して染め直したリボンで何とかまとめている。
そのことも義姉にはばれている。
「本当に困った子で、いくら言ってもろくにお風呂も使わないんです。このリボンなんて趣味で自分で染めたようで・・・本当にお恥ずかしい。」
違う。お風呂も入りたいし、色鮮やかな流行のリボンをつけたい。決してしたくてそうしている訳ではない。
「あー・・・素敵な趣味だけど、舞踏会では・・その。」
「ほら!ジャックロード様もそう思われますよね。ドレスはいかがですか?」
「・・・僕はドレスの事はよく分からなくて。」
「うふふ。お優しい方ですのね。ナタリー、男性がドレスのことを聞かれて褒めないなんて、ありえないことよ。どれだけ酷い恰好をしているか分るでしょう?」
「え!」
上手くはぐらかしたつもりだろうが、義姉の言う通り。子どもであろうとプレに出る年齢でドレスの事を聞かれて褒めないなんて褒めるところがないと言っているのも同然である。
こんな格好で参加するくらいならしない方がマシ。
でもこんな格好で煌びやかな場に引っ張り出して嘲笑するのが義姉の目的なのだ。
と、その時だった。逃れようのない姉の支配する空気を切り裂く声が聞こえたのは。
「おいジャックロード。お前は私の学友候補なだけで伯爵家の三男だろ。なんで侯爵家のご令嬢の事をいじめているんだ?すごい度胸だな。」
キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
という音が聞こえたかと錯覚するような静寂が一瞬でホールの端まで伝わっていく。
ここでの会話をうかがっていた周辺だけでなく、その凍り付いた空気を感じ取った人々も次々に黙り込み、正にダンスホール中が無音となった。
「ミハイル殿下!!!い、いじめてなどおりません。」
焦っているような、しかしどこかホッとしたような複雑な表情のジャックロード君。
「では大勢で一人のご令嬢を取り囲んで、ドレスや髪型について文句をつけていることを他に何と表現すれば良いんだ。」
前世でも今世でも見たことがないような白皙の美少年がそこにいた。
プラチナブロンドに目の覚めるようなロイヤルブルーの瞳。正に天使のようだ。
その天使がなんかすごい事を言っている。
「お・・恐れながらミハイル殿下。愚妹は好きでこの格好をして・・・」
「殿下は貴女の発言をお許しになっていません。」
義姉の発言を遮ったのは天使の横にいる少年。
こちらもご学友候補と言われているルクセン侯爵家のユーグ様だ。
確か9歳より年が上だったはずだが、今日はミハイル殿下の付き添いだろう。
そういえば先ほどまでジャックロード様と一緒にいたが、気が付いたらいなくなっていた。
「うん、ありがとうユーグ。」
ユーグ様の発言をミハイル様が肯定したことで、義姉の不敬が確定されてしまった。
アナスタシアはまだマナーを学び始めて3年。社交に驚くほどの適応を見せている義姉だが、とっさの時のマナー違反はいかんともしがたい。
王族の許しなく話しかけるなど、多少の失敗は見逃されるプレデビュでもありえない。
これまでは場を支配することで多少のマナー違反もねじ伏せてきたが、相手がミハイル殿下なのにマナーより言い訳を優先しようとした義姉の落ち度だ。
「さて、ナタリー・レノックス。先ほどは挨拶しにきてくれたね。私の友人が大変失礼したようだ。」
『いいえ、失礼などされておりません。私が好きでこの格好をしているのが悪いのです。』
喉元まで出かかったセリフがどうしても口から出てこない。
これを言って場の空気を収めなければ、屋敷に戻ってから酷い目に遭う事だろう。
『姉は私の事を思って忠告して下さっているのです。』
たまに「大丈夫?」と聞いてきてくれる大人にいつも言っているセリフを言うべきかと思ったが、不思議とそんな気が起きなかった。
「・・・・・・・・・気にしておりません。」
長い沈黙の後にやっと絞り出したのがこの言葉だった。
これでは「失礼した」という言葉を肯定した意味になる。
発言できない姉が恐ろしい形相で睨みつけてくるのを感じながら、それが見えないようにミハイル殿下の顔だけをまっすぐみる。
「ふーん。」
殿下が少し驚いたような、面白い物を見つけたような顔をした。
「ナタリー嬢は侯爵家なのに、プレデビューに新しいドレスを仕立てなかったのは何か考えがあるのかな?」
『このドレスが気に入っているからです』と言え、いつものようにそう言え。さもないと酷い目に遭わすぞ。
という空気が義姉から発せられる。
「いいえ。3年前にお母様が亡くなって以来、このドレス一着を残して全て捨てられました。新しいドレスも仕立ててもらえないので、このドレスを着続けているのです。」
空気を読まないミハイル殿下が重い空気を切り裂いてくれたおかげだろうか。
手足は震え目に涙が浮かぶが、事実を言うことができた。
「それは大変だったね。大切に手入れがされているのが分かる素敵なドレスで貴女にとても似合っているが、侯爵家がプレデビューに新しいドレスを仕立てないのはありえない。」
屋敷に帰ったら文字通り殺されるかもしれない。
貴族の屋敷で死人が出ても、お抱えの医師が診断してそのまま処理するなど容易い。
でもどっちにしろ死ぬ寸前だったのだ。心が。
前世の記憶を思い出したおかげで何とか耐えられた3年間。
さすがのおばちゃんの心も折れる寸前になっていた。
でも言えた。まだ折れてはいなかった。
「よく勇気を出して言ってくれたね。こんな事を言って、屋敷に戻ってから怒られるのではないかい?」
「・・・殺されるかもしれません。」
視界の端に、お父様と継母が近づいてきたのが見える。二人して睨みつけてくるが、それ以上近づくことは出来ないでいる。
さり気なく警備の騎士が両親との動線を遮っている。
「・・・なぜ殺されると思うのか理由を聞いても?」
さすがに殺される発言は驚いたのか、ミハイル殿下が神妙に聞いてくる。
「・・・私の食事は野菜のクズが食べられるかどうかで、もらえない日もあります。体が弱って病気になりやすく病気になっても労働を休ませてもらえません。この3年間いつ死んでもおかしくありませんでした。」
「・・・他には?」
「服に隠れる場所ですが、殴られることもあります。プレデビューに新しいドレスが欲しいと言った日に殴られた場所がもう1月以上経つのに未だに痛みがひきません。殿下にこのようなことを発言した以上、無事ではすまないでしょう。覚悟しております。」
「・・・・女性の医師・・・いるかな。すぐには無理か。侍女が何人か付き添う。父上か母上の信頼している侍女にも証言してもらおう。今すぐ医師に傷を見せられるかい。」
「はい。」
「では行こう。」
え?
殿下の差し出した手を思わず取ってしまってから気づいた。
え?ミハイル殿下も行くんですか?舞踏会は?挨拶だけは終わったけれどまだ始まったばかりですが。
殿下の付き添いのユーグ様も当然のように一緒に移動していく。
歩きながら他の者に何やら指示して、何人かがバタバタとどこかへ向かっていく。
「あ、そうだ。」
何かに気が付いた殿下が急に立ち止まって後ろを振り返る。
やはり舞踏会を抜けることはまずいと思いなおしてくれたのだろうか。
うんうん。私など誰か他の人に任せるか何ならなかったことにして捨て置いても誰も文句は・・・
「ジャック。怒ってないから君もおいで。」
「は、はい!!」
先ほどの場所から一歩も動かず死人のような顔で立ち尽くしていたジャックロード様がハッと顔を上げ走り寄ってくる。
泣きそうというか既に泣いている。
大好きなパパに呼ばれて尻尾を振りながら走り寄ってくる前世のペットの柴犬が思い出された。
ジャックロードは黒髪黒目なので柴犬というより黒犬だけれど。
「急用が出来たので失礼する。皆は気にせずプレデビューを楽しんでくれ!」
いやいやいや。こんな重苦しい静まり返った空気から舞踏会の続きを楽しめる人などいるだろうか。
葬儀会場の方がもう少し賑やかだ。
空気読め。
誰もが心の中で同じことを思ったことだろう。
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