勇者サイド 8
ベルナデッタは真っ赤に染まった腹部を押さえながら、青い空を見上げていた。
副都からしばらく南へ下った森林地帯。
その開けた河原において、ベルナデッタは瀕死の重傷を負った。
彼女のギフト〝
不意打ちを受けた際、彼女は一時的に意識を失い、目覚めた時には
「シャイン……様……」
彼女が視線を下ろした先では、グール達に囲まれたシャインの姿がある。
両腕を失ったシャインは、その傷こそベルナデッタの奇跡で完治していたが、戦闘力は大幅に低下していた。
何せ両肩から先の腕がそれぞれ存在しないのだ。
剣を持つことはおろか、脇に何かを抱えることすらできない。
彼はすでに戦士として終わっていた。
「うぐおおおぉぉぉっ!!」
シャインは口にくわえた短剣を振り回し、迫りくるグール達の首を
何度目かの攻撃で、短剣の刃が砕け散った。
即座に柄を吐き捨てたシャインは、背後から不意打ちを狙うグールに回し蹴りを繰り出し、その反動で自らは後ろへ飛んだ。
直後、背中がぶつかったのは切り立った断崖。
もはや逃げ場はなかった。
「くそがぁぁぁっ!!」
シャインは欠けた前歯を晒しながら絶叫した。
聖闘気によって肉体の強化を図ってはいるが、今のシャインは攻撃にしても防御にしても限界があった。
さらに、グール達の絶え間ない一斉攻撃で体力をことごとく奪われ、身を守る聖闘気すら心許ない状態になりつつある。
しかし、シャインはこの状況でも自分が死ぬことなど考えていない。
それは最高峰ギフト〝
そして、それは現に彼の命を救うことになる。
「ボス、落盤だ!」
「なんだと!? 一旦引けぇぇ!!」
突如、シャインの周囲に岩石が転がり落ちてきた。
彼が勢いよく断崖にぶつかったことで、上層にあった岩だなが崩落したのだ。
長い間、風雨に晒されて脆くなっていたがゆえの
「ぐああぁっ」
「ぎゃあっ!!」
断崖に近づき過ぎていたグールの半数は逃げ遅れ、落盤によって圧死、あるいは瀕死の重傷を負った。
一方で、断崖に背中を張りつけていたシャインは無傷で済んでいた。
「おおおぉぉぉっ!!」
シャインは岩の下敷きになってたグールの頭を蹴り砕く。
そして、その死体が持っていたロングソードへと噛みつき、同じく岩に圧し潰されているグール達の首を斬り裂いていった。
顎を聖闘気で強化しているとは言え、人間の口は剣をくわえて振り回すようにはできていない――すでに彼の顎も限界に近づいていた。
「はぁーっ、はぁーっ」
顔面血まみれで、猛獣のような前屈みの姿勢を取るシャイン。
その姿を見て、グール達のリーダーは冷や汗を浮かべた。
「その腕でここまでやるかよ。腐っても元勇者ってことか……!」
グール達はシャインの放つただならぬ気配に気圧されていた。
すでに三分の二の戦力が彼によって殺され、その被害はまだまだ広がることは確実。
リーダーが攻めあぐねるのも無理からぬことだった。
「ちぃっ。
リーダーからの号令を受けて、縮こまっていたグール達に闘志が蘇る。
それぞれ武器を構え、じりじりとシャインとの距離を詰めていく。
「はぁーっ、はぁーっ」
シャインは河原の向こうに血まみれで倒れているベルナデッタへと視線を送る。
彼女は小さく呼吸をするのみで、もはや助かる見込みはない。
そう判断したシャインは、自分一人でいかにこの場から脱出するかに思考を集中させた。
体力的に残りのグールを全滅させるのは困難。
かと言って、この足場の悪い場所をあの数相手に逃げきるのはさらに困難。
もはや後はないと誰もが思う状況ではあるが、今までいかなる危機も〝
それほどの信頼を自らのギフトに置いているのだ。
シャインとグール達の睨み合いが続いてしばらく――
「オマエ達邪魔、もう下がるネ」
――攻撃に移ろうとしたグール達を止める者が現れた。
「なんだてめぇ!? 俺達は
「その
「ちぃっ!」
リーダーが片手を上げるや、生き残っていたグール達が次々と撤退を始めた。
最後にリーダーも
「……いいザマネ。オマエのその姿見てると、ワタシの溜飲も下がるヨ」
シャインはその人物を見て、口にくわえていたロングソードを落とした。
困惑の色がすぐさま表情へと表れる。
「な、なんでてめぇが……!?」
「驚いたカ? そりゃ驚くだろうネ」
「死んだはずだ! てめぇはもうとっくに死んでるだろうがぁぁ!!」
「だったら、今ここにいるワタシは何なのサ?」
不敵な笑みをたたえているのは、ヤン・シェンロン。
かつてマリオに代わる人形使いとして旧勇者パーティー〈暁の聖列〉へと加入し、魔将タルーウィとの戦いの折に死亡したはずの人物。
そんな彼女がなぜこの場にいるのか、シャインは理解が及ばなかった。
「俺への恨みを晴らすために、化けて出やがったか……っ」
「それは間違てないネ。オマエへの恨み、ワタシ今まで一日だて忘れたことナイ」
「……」
「怯えてるネ。もう前みたいにオマエの味方いない。勇者じゃなくなて、オマエもうこの世界から用済みヨ!!」
「だ、黙れぇぇぇっ!!」
激昂するも、シャインにとってその指摘は図星だった。
視界にベルナデッタが死にゆく姿が映っていることもあり、シャインは耐えがたい孤独感に苛まれ始めていた。
「ワタシ
「あの方だぁ!? てめぇ、グールなんかと手を組みやがって……魔王軍に尻尾を振りやがったか!!」
「オマエに尻尾振るより、ずっとマシだたネ。オマエの下で働いてた時のこと、今思い出してもヘドが出るヨ」
「てめぇもベッドの上で散々楽しんでただろうがっ!?」
「もうその口閉じろヨ。下衆野郎」
シャインは足下に影を見つけた。
それが上空からの不意打ちだと気づき、とっさに身を躱す。
直後、シャインがいた場所に落ちてきたのは、人型の剣士人形だった。
「フェンサー!? 修復してやがったか! ってこたぁ――」
背後に攻撃的魔力を感じ、シャインは横へと飛び退いた。
「――あぐぅっ!!」
しかし、わずかに身を躱すのが遅れて、背後から飛んできた火球に足をかすめた。
火球の飛んできた方向にいたのは、狼頭の魔導士人形。
「やはりウルファー!!」
シャインは足下に転がっていた短剣をくわえ、二方向から迫るフェンサーとウルファーを交互に警戒する。
否。その間からゆっくりと近づいてくるヤンも含めて、警戒すべき相手は三人。
「シャイン……たっぷり苦しむヨロシ」
ヤンが腰の鞘から短刀を抜いた。
刀身には禍々しい色の液体が塗られており、シャインにはそれがすぐに猛毒だとわかった。
「
限界に近い体へと鞭打ち、シャインは最後の聖闘気を燃やした。
フェンサーが剣で斬りかかる傍ら、ウルファーは魔法でシャインに狙いを定めていた。
シャインはフェンサーの剣と打ち合いながらも、ウルファーの魔法射出タイミングを見計らうことに努める。
間もなくして、ウルファーが
「
シャインはフェンサーの腕の関節部に切っ先を突き刺し、その動きを止めた。
さらに体当たりをぶちかまし、フェンサーが体を支えようと
フェンサーは頭部が吹き飛び、行動不能に。
それと時同じくして、ウルファーが追撃に入ろうと魔力を高め始める。
「んぐうおおぉぉぉ~~~~!!」
その隙を逃さず、シャインは全身を回転させてくわえていた短剣を投擲。
切っ先はウルファーの胸元に突き刺さり、
「は……ははははっ!! てめぇの自慢の人形はこの様だぞ、ヤンッ!!」
シャインは人形二体を破壊し、勝ち誇った笑みを浮かべた。
〝
しかし、ヤンは焦ることなくゆっくりとシャインとの距離を詰めるばかり。
「猛毒の短剣だぁ? 人形使いごときに何ができるってんだ!」
「……」
「澄ましたツラしてるが、内心は焦ってんだろ? 手足を潰した後、前みたいにたっぷりと楽しんでやるからなあぁぁ!!」
「……」
「その後でぶっ殺してやる! 俺を見下す奴は許さねぇぇぇ!!」
「……」
どんな言葉で挑発を重ねても、ヤンは顔色一つ変えない。
握った短剣を構えながら、ただゆっくりと迫ってくるのみだった。
不気味――ヤンの様子はその一言に尽きる。
しかし、シャインの確信は揺るがない。
ヤンの隙をついて、足元に落ちているロングソードを蹴り上げる。
その切っ先を喉元へとぶち込めば、容易に即死たらしめることができる。
シャインがそう思い至った瞬間、ヤンが仕掛けてきた。
「死ねっ!!」
ヤンが踏み込むのに合わせて、シャインは爪先でロングソードの柄を蹴り上げた。
目論見通り、その切っ先はヤンの喉元を貫いた――
「!?」
――が、ヤンは何事もなかったかのように短剣を振り下ろした。
毒の塗られた刃はシャインの左胸へと突き刺さり、間を置いて彼の体内を焼くような激痛が襲う。
「ぎゃああああぁぁぁっ!!」
息ができないほどの痛みに耐えかねて、シャインは地面に倒れ込んだ。
毒は瞬く間に全身を巡っていき、勝利の確信から一転――彼の心は絶望に飲まれた。
「いい声ネ。もっともっと泣き叫ぶいいヨ」
ヤンは嬉々とした表情で、シャインの胸に刺さる短剣の柄を踏みつける。
もはや声すらも出せないほどの苛烈な痛みがシャインを襲う。
「~~~~~っ!!」
シャインは困惑していた。
ヤンが急所を貫かれて平然としていることもそうだが、それ以上に不可解に思える点が彼にはあった。
ヤンのギフトは
自分の〝
にも関わらず、今の攻防でまったく自分に利することが起きなかったことを、シャインは不自然に思ったのだ。
それは、過去の魔将との戦い、そしてシャナクとの戦いでも同じだった。
直前でフェンサーやウルファーには〝
なのに、どうしてヤンにはギフトの効果が発動しない?
不可解。不自然。不本意。
納得のいかない事実に、シャインの敗北感はより一層増すこととなった。
「はぁ――」
ヤンの表情からは、すでに先ほどまでの喜びが失われていた。
「――これでコイツも
シャインは薄れゆく意識の中、考える――
すでに死んでいるはずのヤン。
その口が漏らした不可解な言葉。
――不意に、認められない答えがシャインの脳裏に浮かんだ。
「動く……死……体……?」
〝
無論、その対象は天が干渉しうる範囲にまで限られる。
従って、天命の外に在る者には、その力が作用することはない。
天命の外に在る者とは、すなわち死者のことである。
「あ~あ。死んじゃった」
ヤンが冷めた眼差しで見下ろす中、シャインはその生涯を閉じた。
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