44. 英雄へのご褒美

 ……明けて翌日。


 僕は義足の修理のために人形技師の工房を訪ねていた。

 工房の窓からは、倒壊した建物や瓦礫を撤去する王国兵達の姿が見える。


 勇者シャインによる副都の被害は甚大だった。


 彼の放った勇者の闘技は副都の一区画をことごとく破壊し、実に百名以上の死傷者を出すに至った。

 しかも、犠牲になったのは兵士や冒険者ではなく、何の力も持たない副都民だ。


 副都を占拠していた魔将タルーウィよりも、シャインが与えた被害の方が遥かに大きい。

 人類を守る側だった男が、まさかこんな悪逆非道な事態を引き起こすなんて。


「あの男は危険です――にもかかわらず、みすみす逃がしてしまった。完全に私の落ち度です。申し訳ありません、マリオ様」

「済んだことは仕方がない。もうその話はよそう」

「はい……」


 シャナクがしゅんとした表情でうつむいている。


 今回の件は、何も彼女が悪いわけじゃない。

 落ち度と言うなら、最後の最後でベルナデッタを逃がしてしまった僕にこそ責がある。

 結果、シャインは混乱に乗じて逃げおおせたのだから。


「王国兵によれば、副都周辺でシャイン達の確保はできなかったそうです。今は捜索範囲を広げて追跡を継続しているとのことですが……」

「きっと捕まることはないだろうね」


 シャインは僕とシャナクに激しい復讐心を燃やしている。

 わざわざ追いかけなくても、いつかまたきっと僕達の前に現れるだろう。

 二度とこんな事態を招かないためにも、次に相まみえたならば確実に――


「どうしたの、マリオ。怖い顔になっているわよ」

「えっ。そ、そう……?」


 ――ルールデスに言われて僕は我に返った。

 後ろ暗いことを考えていて、すっかり悪い顔になっていたみたいだ。


「いつまでもつまらないこと考えていないで、少しは喜びを噛みしめなさい。この町の者は皆、お前を英雄と称えているのよ」

「英雄? 僕が……?」

わらわとシャナクを率いる勇者パーティーのリーダー。少々不本意だけれど、都ではそういうことになっているみたいよ」

「勇者パーティー、か」


 改めてそう言われると、なんだか畏れ多い。

 シャナクとルールデスを差し置いて、僕が勇者パーティーのリーダーだなんて。

 彼女達を動かしているのは確かに僕のギフト〝人形支配マリオネイト〟だけれど、実際に戦果をあげているのは彼女達だからなぁ。


「ご主人様、自信を持ってください!」

「マリー」


 デクが抱えている鞄の中から、マリーの声が聞こえてくる。


「私は、あなたがこのパーティーのリーダーとして申し分ない資質を持っていると思ってますよ。あなたの強い意思と勇気ある選択がなければ、この場にシャナク様とルー様はいませんでした。それは紛れもない事実です!」

「……そうかな」

「そうですよ! みんな信頼しているんです。だからドンと構えてくださいなっ」

「ありがとう、マリー。ちょっと自信がついてきたかも」

「ちょっとぉ~?」

「し、しっかり自信がついたよっ!」

「良し!」


 僕とマリーのやり取りを見て、シャナクとルールデスが口元を緩める。

 僕も釣られて笑ってしまった。


 マリーには本当にいつも助けられる。

 ……そろそろちゃんとしたボディを与えてあげないとな。


 その時、部屋の扉が開いた。

 工房の主が大きな木箱を抱えて入ってきたのだ。


「義足の調子はどうだい?」

「はい。問題なく動けるようになりました」

「ならよかった。良い素材が使われてたから、修理は思ったよりも楽だったよ」

「自分で整備するばかりだったので、本当に助かりました」

「気にすんな! あんたは副都の英雄だからな、当然の礼さ」


 そう言いながら、工房主は僕の前に木箱を置いた。


 箱の中には見覚えのある物が入っている。

 地味な色に塗り替えられているけれど、それはシャインが装着していた籠手ガントレットに間違いない。


「あの、これは……?」

「例の男の籠手ガントレットな、幸いなことに右腕の前腕部だけが綺麗に残っててくれたんだ。これなら使えると思って修理してみた」

「はぁ。使えるって何に?」

「お前さんの右腕、こいつが代わりになるんじゃないかと思ってな」

「まさか僕の義手に!?」

「ああ。寸法を測ってみたとこ、あんたの腕にぴったり合う。どうだい、これを義手として使ってみないかい?」


 ……驚いた。

 たしかに僕とシャインの身長はほとんど変わらない。

 だからって、まさか僕の欠損した腕とまったく同じ部位が残るなんて。

 なんだか運命めいたものを感じてしまう。


「いいんじゃないかしら? 右手が戻れば、少しは生活が楽になるでしょう」

「私もそう思います。ぜひその義手をお付けになってください、マリオ様」


 ルールデスとシャナクも義手を勧めてくる。


 失った右手が義手として復活するのなら僕としても断る理由はない。

 でも、今一番気になるのは……。


「この籠手ガントレット、闘気や魔力を吸収して力に変える特性があるそうなんですが、それって生きてます?」

「ああ。王国兵に協力してもらって魔力の吸収・蓄積は確認できた。その機能はしっかり生きてるよ」

「そうですか。なら……お願いします!」


 僕は義手を受け取る覚悟を決めた。 


 人形使いである僕自身に戦う力はない。

 それがシャナク達に対する引け目でもあった。

 でも、この義手があれば、いざと言う時に彼女達の盾くらいにはなれる。

 勇者パーティーのリーダーとして、一層自信がつくというものだ。


 ご褒美――と言うには、ちょっとばかり上等過ぎる贈り物。

 しかも、それがシャインからとあっては、本当に皮肉な話だと思う。





 ◇





 その後、ちょっとした接続手術も行われたけれど、完全に日が暮れる頃には義手の装着は完了した。

 この籠手ガントレット――シャインはグロウアームと呼んでいたっけ――は、重量も普通の腕と変わらず、神経系が繋がっていることもあって自在に動かすことのできる優れものだった。


 七人のアリスにもまったく引けを取らない技術。

 こんな優れた義手を製作したのは、一体どんな人物なのだろう。


「どうだい?」

「まったく問題ありません。違和感なく動きます!」

「そりゃよかった。耐火処理や防水処理も施されてるが、関節部の扱いには注意してくれな。定期的に人形技師に整備依頼するといい」

「はい。あの、お代は――」

「恩人にそんなもの要求しやしないよ。ま、領主宛てに請求書は書くけどな?」


 工房主との別れ際、少し気になることがあったので尋ねてみた。


「接続手術、お見事でした。こんな未知の義手なのに、よくあれほど卒なく神経系を繋げることができましたね」

「ああ、それはな……ちょっと見知った技術だったもんでな」

「この義手の製作者に心当たりが?」

「ないわけじゃないが……もう世の中には存在しない男の技だ。俺の口から話すことは何もないよ」

「そうですか」


 彼の口ぶりから察するに、すでに引退した者ということか。

 ……これ以上は聞くまい。


 工房を出て、僕達は宿へと向かった。


 今後の旅程はおおむね決まっている。

 冒険者ギルドで耳にした拳聖勇者――その遺体を探すために南方へ向かう。

 三人目の勇者を味方にできれば、魔王打倒にまた一歩近づく。


 明日、侯爵と軍将に挨拶を告げて副都を出よう。

 できれば、その時に軍の知り得る魔王軍の情報も提供してもらって――


「マリオ様」


 ――不意に、シャナクが僕の耳元で囁いた。


「今夜は両手で力いっぱい抱きしめてもらえますね」


 僕は顔が熱くなった。





 ◇





 そして、深夜。


 僕は薄暗い自室でベッドに仰向けになっていた。

 灯りは机の上に置かれたランプのみ。

 鎧戸を締める一方で、来訪者のために部屋の鍵は開けてある。

 邪魔者デクとマリーはよその部屋に置いてあるから静かだ。


 今夜はいつになく緊張する。

 シャナクをこの腕に抱いたのは一度や二度ではないのに、なぜだろう。


『今夜は両手で力いっぱい抱きしめてもらえますね』


 あんなことを言われたからか……っ。


 たしかに彼女のことを両手で力いっぱい抱きしめたことはない。

 でも、今夜は違う――僕の右腕には、自由に動かせる新しい手がついている。


 この両腕で力いっぱいシャナクを抱きしめる――否。抱きしめたい。

 今夜、ようやくそれが叶うんだ。


 心臓の鼓動が高鳴ってくる。

 そんな頃合いに、部屋の扉がゆっくりと開き始めた。


「待っていたよ」


 身を起こして来訪者の人影を出迎える。

 すでに宿舎の消灯時間を過ぎているので、廊下の灯りは消えていた。

 暗がりの中、ランプの灯りがにわかに照らすその人影は――


「そう。嬉しいわ」


 ――ルールデスだった。


「あえっ!? な、えぇっ!?」

「どうしたの、そんなに驚いて。まるで別の人間を予期していたかのようね?」

「いや、それは、その……っ」


 なんでルールデスが僕の部屋に!?

 いや、彼女が部屋に押しかけてきても不思議じゃないんだけれど、今夜に限ってどうして……!?


「義手の具合はどう?」

「え? 特に問題はないけれど……」

「それはよかったわ」


 ルールデスは肩から毛布を一枚羽織っていた。

 その下には何も着ていない――すっぽんぽんだ。


「ちょ、ルールデス!? 一体何しに……っ」

「わからないなんて言わせないわよ。よもやわらわに恥を掻かせたりはしないでしょうね?」


 言いながら、彼女は僕の隣へと腰かけた。

 ベッドに人一人の重みが加わり、にわかに軋む。


「……っ」

「この義手、従来のものと違って指先まで細やかに動くのですってね」


 ルールデスは艶めかしい笑顔を浮かべて、僕の義手を指先でなぞってくる。

 触れられているのは義手の部分なのでくすぐったさはないけれど、その行為があまりにも淫猥なのでドキドキしてくる。


「ルールデス、ちょっと待った! 僕は――」

「シャナクなら来ないわよ?」

「えっ」

わらわの魔法で眠らせてあるの」

「な、なんで!?」

「この腕に抱きしめられるのなら、一番がいいでしょう?」

「うわっ」


 彼女は毛布を払い落し、生まれたままの姿で僕に寄り添ってきた。

 豊満な胸を押しつけるようにして、僕を今にもベッドに押し倒そうとしてくる。


 その間も、彼女は僕の義手を撫でるのをやめない。


「魔導義手――わらわの時代にはなかった代物よ。どこまで生身のそれに近しい動きをするのか、確かめてあげる」

「ルールデス……」

わらわも少しはお前を見直しているのよ。シャナクを想うお前の姿には感じ入るものもあったわ――」


 ルールデスの妖艶な笑みにすっかり見惚れてしまった僕は、されるがままベッドへと押し倒されてしまった。

 彼女の柔らかい手のひらに胸を撫でられて、いよいよ体が熱くなってくる。

 しかし、次の瞬間。


「――だからこそ気に入らない!」


 彼女の両手の爪が僕の胸に食い込んだ。


「痛っ!?」


 突然の痛みに、夢心地だった僕は現実に引き戻された気分になる。


「お前がわらわの他にああいった感情を向けるのは、なぜだか気に入らないのよ。それが例えシャナクであってもね」

「ちょ、何を……っ!?」

わらわ以外がお前を自由にするのは不愉快だわ。お前が熱い視線を向けるのも同様に、ね」

「……もしかして、妬いているのか?」

「なんですって!?」

「あぐぁっ」


 ルールデスの爪が僕の胸を引っ搔いた。

 爪が尖っているから、それだけで十分に痛い!


わらわが他人を妬むなんてありえない。むしろその逆、誰もがわらわを妬むのよ。この絶世の美貌と唯一無二の才能を併せ持つわらわのことをね!!」


 彼女の指先が胸元から下っていく。

 みぞおちを、へそを通過し、そして――


「!?」


 ――部屋の扉が開いて、黒い影が飛び込んできた。


「ルールデス!!」

「なっ!?」


 その影はルールデスに組み付き、ベッドの上へと押し倒した。

 部屋の中には毛布が舞い、緩やかに床へと落ちていく。


 ……影の正体は考える間でもない。

 全裸のシャナクが、僕の目の前で押し倒したルールデスを睨みつけている。


「シャナク、どうしてここに!? あなたは眠らせたはず……っ」

「ええ、してやられましたよ! だから眠気を晴らすのにずいぶんとてこずりました!!」


 ランプの灯りでシャナクの横顔が照らされた時、その唇に血が滲んでいるのがわかった。

 彼女は唇を噛み切ることで、魔法による眠気を無理やり覚ましたらしい。


「……やれやれ。あなたのことを甘く見ていたようね、シャナク」

「そうですね、ルールデス。あなたは私のマリオ様への想いを甘く見た」

「で、どうするの? 嫉妬の果てにわらわを殺すのかしら?」

「嫉妬ですって? それはむしろあなたの方でしょう!」

「勘違いしないで。わらわは自分の所有物を自由にされるのが気に入らなかっただけ」

「嫉妬じゃないですか。ルールデス、もう少し自分に素直になったらどうです」

「……ふんっ」


 ルールデスは鼻を鳴らすや、シャナクを押し退けて身を起こした。

 彼女は大きな胸を揺らしてベッドから腰を上げる。


 ……行ってしまうのか?


 そう思った矢先、僕は彼女の手首を掴んでいた。


「何よ」

「行かなくても……いいんじゃないか」


 それは僕の口から自然と出た言葉だった。


「あ、あの……マリオ様?」


 シャナクが困惑した様子で僕を見つめる。

 気持ちはわかるけれど、ここでルールデスをのけ者にすることははばかられた。


 僕が特別に思っているのは、何もシャナクだけじゃない。

 ルールデスだって十分に特別な存在なのだ。


「マリオ。一体何のつもり――っ!?」


 不意に手を引かれたことで、ルールデスは僕の方に倒れ込んできた。

 シャナクもそれに巻き込まれて、僕の胸元にちょうど二人の頬が触れる形に。


 僕の右腕がルールデスの背中に触れた時、小刻みに身を震わせているのを感じた。

 彼女にも〝人形支配マリオネイト〟の副作用が発生しているのだ。


「寒いんだろう。素直に言ってくれればいいのに」

「マリオ……」


 僕が背中に手を回しても、ルールデスは嫌がる素振りを見せない。

 むしろ僕の胸に顔をうずめてじっとしている。


 その一方で、シャナクは複雑そうな表情を見せている。

 左腕をそっとその背中に回すと、やはり彼女も身を震わせていた。


「無理して僕の傍に居てもらっているんだ。だったら、僕も責任を取らなきゃな」

「マリオ様」

「マリオ」


 僕はシャナクとルールデスを抱きしめた。

 冷え始めた二人の肌に、僕の体から熱が映っていくのを感じる。


 ランプに照らされているせいか、二人とも頬を赤らめているように見える。

 きっと僕も同じ顔をしているのだろう。


「二人とも、これからも僕と一緒だ」


 ひとりでに出た言葉。

 でも、それには僕の本音が表れている。


「この身果てるまでお供します、マリオ様」


 シャナクは目を潤ませながらそう答えてくれた。

 口元に滲む血を見て、僕はそっとその唇を舐めあげた。

 直後、唇が重なる。


 しばらくして唇を離した後、僕はルールデスに視線を移した。


「マリオ、お前がわらわを自由にできると思っているの? 自惚れるのも――」


 口上の途中でルールデスと唇を重ねた。

 抵抗する様子もなく、僕から唇を離すまで彼女はされるがままだった。


 ……温かい。

 二人分の胸の重みが、熱と共に伝わってくる。


 シャナクもルールデスも、決して死体なんかじゃない。

 生きている――その温もりを確かに感じる。


「マリオ様、お慕い申し上げております」

「仮にもわらわの主なら、少しばかり寄りかかってあげてもよくてよ」


 熱は生きている証。

 僕達は鎧戸から日が差し込むまで、それを感じ合った。

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