40. 剣聖勇者VS魔将タルーウィ

「さぁて、勇者シャナクよ。我をとことん楽しませてもらうぞ!!」


 タルーウィの体を取り巻く炎が、一段と勢いづいた。

 赤かった炎が徐々に黄色へと変化していく。


 ……熱い。


 唇がかさついてきた。

 周囲の温度が急激に上がっているのがわかる。

 奴の纏う炎が、周りの空気を熱しているのか?


「タルーウィ、覚悟!!」


 シャナクが聖光剣を構えた。

 そして、片足を踏み込んだ瞬間――消えた。


「!!」


 僕が視線を移した時には、シャナクの剣はタルーウィの胸を斬りつけていた。

 深く斬ったように見えたけれど、どうやら薄皮一枚だったよう。

 その証拠に、傷口から血が一滴も出ていない。


「素晴らしい速さだ! まさに光の如し!!」


 タルーウィの剛腕がシャナクへと振り下ろされる。

 彼女は巧みに身をのけぞらせてその一撃を回避し、さらなる斬撃を浴びせていく。


 僕の目には到底追えない速さでの連続斬り。

 けれど、やはり効果は薄い。


「くっ!」

「どうした、もっと踏み込め!!」


 タルーウィの反撃。

 奴は四つの腕を広げて、シャナクに掴みかかろうと身を屈めた。


 普通なら掴まれるのを嫌って後ろに飛び退きそうな場面。

 しかし、シャナクは飛び退くどころか、さらに懐へと踏み込んだ。


聖なる光の剣閃シャイン・グリント!!」


 超至近距離で勇者の闘技が直撃!

 タルーウィは吹き飛ばされたかに見えたが――


「……くっふっふ。その技は弱い。もっと別の技で来い!!」


 ――両足で踏ん張りながら、広場を数mほど押し出されただけでその場に踏みとどまった。

 しかも、ダメージらしいダメージが見て取れない。


 ……嘘だろ?

 胸部の筋肉が抉れて、内側の筋繊維が剥き出しになっているのに平気なのか。

 あの傷で血が一滴も流れないし、悪魔の体はどうなっているんだ。


「どうしたシャナク。なぜ全力を出さぬ!?」

「……っ」

「わかっているぞ。周りの人間どもを気遣って、真の力が出せぬのだろう?」


 広場で戦いを見守っている人達がざわつき始める。


 わかっていたことだった。

 僕を含めた広場の人間全員がシャナクにとっては足手まとい。

 僕達が近くにいるせいで、彼女は真の実力を発揮できずにいるんだ。


「それではつまらん。全力が出せないと言うのであれば、全力を出せる環境を作ってやろう!」


 そう言うなり、タルーウィは二対の腕を周りに向けて構えた。

 四つの手のひらには黄色い炎が燃え盛っていく。


「何をする気!?」

「しばし待て。すぐに済む」

「!! やめ――」


 シャナクが叫ぶのと同時に、タルーウィの手のひらから巨大な火炎が放出された。

 その炎は広場へと吹き付け、戦いを見守っていた人々を飲み込んでいく。


 ……否。炎は彼らに達していない。

 タルーウィの放った火炎は、人々のすぐ手前でせき止められている。

 まるで目に見えない透明の壁でもあるかのよう。


「意中の相手を前にして、他の人間に手を出すなんて……殿方のすることではないわね?」

「ルールデス、あれはきみが!?」

「炎を通さぬ護りの結界よ。あなたの命令通りに愚民どもを守ってやっているのだから、文句はないでしょう?」

「あ、ありがとう……!」


 黙ったまま僕の後ろに立っているだけだと思っていたのに、ルールデスはしっかり仕事をしてくれていたのか。

 さすがは賢聖勇者、彼女を味方に引き入れたことは正解だった。


 タルーウィもこの状況がルールデスによるものだと気づいたようで、彼女に視線を向けている。


「……ふむ。いつの間にやら、人間どもを結界で守っていたか」

「あなた達がじゃれ合っている間に済ましておいたわ。悪かったわね、格好のつかない真似をさせてしまって」

「その身を取り巻く魔力を見ただけでわかるぞ。人の限界を遥かに超えた高みにまで達しているな……お前のような魔導士は初めてお目にかかる。そそられるわ!」

「悪魔に劣情を向けられるのは不愉快だわ――」


 タルーウィの視線を受けて、ルールデスが露骨に嫌そうな表情を浮かべる。


「――シャナク。もたもたせずにさっさとその悪魔を始末なさい! 結界もそう長くはたないのよ!?」


 ルールデスの言葉を受けて、シャナクが頷く。

 一方、タルーウィも炎を放つ手を止めた。


「さて、どうするか――」


 タルーウィは両腕を組んで、何やら考え始めた。


「――人間どもがいるとシャナクが実力を発揮できん。拳で結界を破壊することはできようが、それでは我がシャナクにつまらぬやられ方をしよう。どうするべきか?」

「四の五の言わずにかかってきたらどうです!?」

「……」

「タルーウィ!!」

「……ふむ。決めたぞ」

「!?」

「人間を殺すのに火で焼く必要もあるまい」


 言いながら、タルーウィは腕組みを解いた。


 奴の全身を覆う炎が見る見るうちに強くなっていく。

 炎は凄い勢いで燃え盛り、まるで火柱のように空へと伸び始めた。


「何をする気です!?」


 シャナクの問いにも答えず、タルーウィは無言で炎を盛らせるばかり。


 ……時間にして、ほんの数秒。


 不意に、僕は体に違和感を感じた。

 急に眩暈めまいがしてきた。

 頭痛も……それに吐き気まで。

 息も苦しくなってきたし、どうして突然……?


「あが……がっ」

「ううっ。苦し……ぃ」


 広場の人達が倒れ始めた。

 僕のようにうずくまって苦しそうにしている人や、すでに意識を失っている人もいる。


 何かわからないけれど、不可解な異常が広場に蔓延している。

 一体、何が起こっているんだ?


「ここは危険だわ。離れましょう」

「ルールデス!?」


 ルールデスが僕を背後から抱きしめてきた。

 大きな胸が背中に当たって一瞬ドキリとしたけれど、そんな考えはすぐに頭から吹き飛ぶ。


「何言ってるんだよ! シャナクの戦いを見届けずに離れられるわけ――」

「ここにいたら死ぬわよ?」

「えっ」


 耳元で囁く彼女は、いつになく凄みのある声色だった。


「タルーウィが操る炎の勢いが強過ぎて、広場の酸素が急激に失われているのよ」

「サンソ? 失うって……それが無くなったらどうなるんだ?」

「まぁ……一言で言えば、生物は死ぬわね」

「なんだって!?」


 生物が死ぬ?

 タルーウィが何らかの方法で毒をばら撒いているってこと?


 学のない僕にはよくわからないけれど、ルールデスが無理やり僕を連れ出そうとする以上、この場に残るのは危険なのだろう。

 でも、一番危険なのは戦っているシャナクじゃないのか?


「だったらシャナクは……」

「あの子は聖闘気に包まれているから平気でしょう。聖闘気あれを纏っていると、常に正常な酸素が供給されるみたいだし、肉体も内臓も強化されるから」

「でも、周りの人達を置き去りになんて僕には……っ」

「だからさっさと全力で仕留めに掛かればよかったのよ、シャナクは」


 ルールデスが不機嫌そうに僕を睨んだ。

 ……怖い。


「くっふっふ。我がこの場にいる限り、燃焼時に顕れる有毒ガスは広場に留まり続ける――放っておいても、人間どもは助かるまいよ」

「周りの人達を巻き込むのはやめなさい! あなたの狙いは私でしょう!!」

「それはそうだが、我は真の力を発揮したお前と戦いたいのだ。そのために人間どもが邪魔ならば、始末するのみ」

「く……っ!!」

「よいのか? 直に周囲の酸素は失われる。そうなれば、何の力もない凡夫など瞬く間に死に至る。さすがにあの魔導士でもこの数は助けきれぬだろう」

「この……外道め……っ!!」


 すでに広場に囚われていた人々の三分の二は倒れてしまっている。

 広場の外側にいた人達はなんとか逃げおおせたようだけれど、家族や友人を助けようと留まっていた人は次々と倒れている。

 このままだと大勢が犠牲になってしまう。


「シャナク……早く奴……を……っ」


 声が出せない。

 視界まで狭まってきた。

 僕自身、いよいよヤバい状態になってきたってことか……。


 こうなったら仕方がない。

 ルールデスに加勢に入ってもらうしかない。


「ルールデス、タルーウィ、を……っ」

「嫌よ」

「えっ」

「これはシャナクの戦いでしょう。今さらわらわが割り込むのは美しくないわ」

「そ、そんな……っ!?」


 最初は自分が戦いたいって言っていたくせに!


「でも、愚民の犠牲でシャナクが真の力を発揮できるなら、わらわが加わるよりも早く片付くと思うわよ?」

「……!」


 ルールデスの顔に笑みが戻っている。

 まさか彼女は、シャナクに真の力を出させるためにこの状況を静観するつもりなのか……!?


 ろくに声も出せなくなった今、ルールデスに命令を強制することはできない。

 まずい……こんな多くの犠牲者を出すわけには……!


「許さない――」


 その時、シャナクの声が聞こえてきた。


「――罪なき人々を、貴様のエゴで死に至らしめる行為――決して許さないっ!!」


 激昂したシャナクの体から、今まで以上の凄まじい聖闘気が立ち昇った。

 タルーウィから噴き出す炎と同等か、それ以上の勢いで。


「いいぞ、もっと怒りに身を任せろ! 怒りを力に変えるのだ!!」

「うわあああああっ!!」


 シャナクが地面を蹴った。

 彼女の体は流星のような尾を引き、一瞬にしてタルーウィの目前まで迫る。


 しかし、タルーウィもその一瞬で四つの腕に炎の剣を形作っていた。

 奴は四つの剣を重ね合わせることで、虹色の軌跡を引く聖光剣の一撃を受け止めてしまう。

 その瞬間、二人の足元が深く陥没した。


「素晴らしい! だが、我を討つにはまだ足りぬぞ!!」

「はああぁぁぁぁ!!」


 怒りを露わにするシャナクと、不敵な笑みを絶やさないタルーウィ。

 二人の間で鍔迫り合いが始まる。


 一見、互角に見えた鍔迫り合いだが、すぐに状況が変わった。

 炎の剣の接触部分から、黄色い炎が聖光剣を伝ってシャナクへと向かい出したのだ。


「うっ!?」


 シャナクがとっさに離れたことで、その炎は彼女の手を焼くことはなかった。


「油断するなよ、シャナク。我は炎と一つ――この身は炎であり、炎は我が身でもあるのだ」


 ……厄介だ。

 タルーウィの炎は、ただ燃え上がっているだけじゃない。

 まるで意思を持つかのように、隙あらばシャナクを焼き殺そうと襲ってくる。

 これじゃ近づくだけでも危険だ。


「どうした。やはり人間どもを始末せねば全力は出せぬのか!?」

「戯れるな!! 今すぐ食らわせてやる――」


 シャナクの聖闘気がさらに大きく膨れ上がった。

 まるで台風のように、周囲の床を抉りながら破片を空へと巻き上げていく。


 次の瞬間、シャナクは床石を砕いて姿を消した。

 否。超高速でタルーウィの周りを走り始めた。

 余りの速さに、僕には黄金色の光線がぐるぐると奴の周りを回転しているようにしか見えない。


 光線は回転を繰り返すうち、突如として屈折し、タルーウィへと向かう。


「――神撃舞錬剣セイクリッド・ストライクダンス!!」


 ひと際強く輝く光が、タルーウィに衝突しながらその背後へと駆け抜けた。

 その刹那、奴の全身に何十本もの光の線が重なるのが見えた。


 加えて、衝撃波の発生。

 僕はとっさに磔台はりつけだいにしがみついたから助かったけれど、衝撃波は広場の床石を砕き割りながら、人々を吹き飛ばしてしまった。


 勇者の闘技をまともに受けたタルーウィは――


「くっふっふ。……良い。良いぞシャナク! 我も熱くなってきた!!」


 ――無事!?

 なんてタフな奴だよ!


 でも、奴の全身には無数の切り傷が見られる。

 素人目に見ても、あの傷で立っていられるのは不自然だ。


「この技でもダメなの……っ」


 シャナクは唇を噛んだ。

 彼女は周りの状況を見渡して、自分が被害を拡大させたと思っているのだろう。

 それは事実ではあるのだけれど、それを理由に彼女が力を抑えてしまうのは怖い。


「やはりダメか――」


 タルーウィが纏う炎に再び変化が生じた。

 黄色い炎が、今度は白い色へと変化していく。


「――ならば、次はこの都を消し飛ばしてくれよう」

「なんですって!?」

「我が奥義ならば、あの魔導士の結界でも防ぎきれまい」

「や、やめてっ!!」

「やめる理由はない。お前は我の求めに応じて、真の力を発揮せねばならん。それが敵として我が前に立った者の務めよ!!」


 短い会話の後、白炎が空へと向かって噴き上がる。

 そのせいか、ますます気分が悪くなってきた。


 広場の気温もすでに異常だ。

 喉は焼けるように痛いし、肌を伝っていた汗はすべて蒸発してしまってる。


 僕の視界に収まる範囲で立っている人は、ルールデスを除いてすでにいない。

 弱っていた軍将はおろか、三人の勇者候補達も地面に伏している。


「うぅ。シャナク……ッ」


 今にも意識が途切れそうだ。

 でも、シャナクが頑張っているのに、僕が意識を失うわけにはいかない。

 肩を並べて戦えないのなら、せめて彼女の戦いを最後まで見届けなければ……!


 ……いや。それじゃダメだ。

 見届けるだけではなく、なんとかしてシャナクをサポートするんだ。


 考えろ――どうすればこの状況を打開できるか!


 副都の人々が。

 軍将が。

 シャナクが。

 僕が。


 みんなが生き残るために考えろ!!


『タルーウィが操る炎の勢いが強過ぎて、広場の酸素が急激に失われているのよ』


『くっふっふ。我がこの場にいる限り、燃焼時に顕れる有毒ガスは広場に留まり続ける――放っておいても、人間どもは助かるまいよ』


 ……タルーウィが毒をもたらしているのなら……。


「――リオ。マリオ!」

「はっ」

「ちょっとあなた、大丈夫? こんなつまらないことで死なれても困るのだけれど」

「……ルールデス、きみに、頼みたい、ことが……」

「何?」


 ……元凶をこの場からいなくしてしまえばいい……。


「タルーウィとシャナクを……! 今すぐ空高く打ち上げろ!!」


 ……これが……みんなが生き残るための……答えだ……!


「なるほど、ね」


 僕の耳元でくすりと笑った彼女は、僕から体を離した。

 そして――


「面白い閃きアイディアだわ!!」


 ――広場に凄まじい風が吹き荒れた。


 目に見えない衝撃が広場の中央で爆ぜ、荒れ狂う竜巻が勇者と悪魔を飲み込む。

 天に向かって舞い上がる風――シャナクとタルーウィは、一瞬にして遥か彼方へと追いやられてしまった。


「ぷはぁっ!」


 今の風で有毒ガスとやらも吹き飛ばされたのか、いくらか楽になった。

 周囲を見回す限り、なんとか犠牲者は出さずに済んだようだけれど……。


「いつまでそうしているの。わらわ達も行くわよ!」

「えぇっ!?」


 ルールデスに襟を引っ張られて、引き倒されてしまった。


「おあつらえ向きに、ちょうどいい物がそこにあるわ」

「ちょ、何を言っているんだよ、ルールデス!?」


 僕が困惑していると、ルールデスが傍に倒れている磔台はりつけだいに触れながら何かをつぶやいている。

 この磔台はりつけだいは、さっきの風魔法で根元からへし折れたものみたいだ。

 それにしても何を――


「これでいいわ」

「うわっ!?」


 ――と思った瞬間、磔台はりつけだいがふわりと浮かび上がった。


「自由自在にとはいかないけれど、あなたのような凡夫でも短い空中遊泳をするくらいならできるようにしたわ」

「ま、まさか……これに乗ってシャナク達を追いかけろと……?」

「シャナクの戦いを最後まで見届けるのでしょう。男なら、一度言った言葉を飲み込むなんて真似は許さないわよ?」

「……わかった。行くよ!」

「よろしい!」


 ルールデスがふわりと浮かび上がるのを横目に、僕は浮遊する磔台はりつけだいに飛び乗った。

 また気分は回復していないけれど、そんなことを言っている場合じゃないしな。


「ところで、空で移動するにはどうやっ――」

浮上アセンド!!」


 彼女が何かを口走るや、僕の体が一瞬にして浮かび上がった。

 否。打ち上がった――そう表現するのが正しい。


 背中に圧し掛かる圧力で、あわや磔台はりつけだいから落ちそうになるも、気が付いた時には……。


「シャナク!!」


 僕の勇者のお尻が、すぐ真上に見えていた。

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