39. 灼熱のタルーウィ

 ルールデスの唱えた縮地の魔法は、僕達を大空の旅へと連れ出した。

 術者の定めた目的地への距離を縮めるという魔法効果で、副都セレスヴェールの方角へと投擲された槍のように勢いよく飛んでいる。

 ……思っていたより怖い!


 流れる雲は後方に過ぎ去っていき、眼下の景色は見る見る移り変わっていく。

 まるで自分が鳥になったかのようにすら感じる。

 束の間の空中遊泳――そして、間もなく大きな都の上空へとたどり着いた。


縮地オーバー・シュリンク、解除!」


 ルールデスが叫ぶと、副都の遥か上空で僕の体は安定感を失った。

 飛んでいる最中は感じられなかった気持ちの悪い浮遊感が押し寄せ、突然足場を失った感覚に身が強張る。

 まさに言葉通り、僕の体は宙に投げ出されたのだ。


「う、うわあぁぁぁっ!!」

「マリオ様!」


 思わず情けない悲鳴を上げてしまった僕に、シャナクが抱き着いてきた。

 足下の浮遊感は相変わらず気持ち悪いけれど、彼女が傍にいてくれるおかげで不思議と恐怖はなくなった。


「見せつけてくれるじゃない、あなた達」


 僕とシャナクが落下する傍ら、ルールデスはドレスのスカートを押さえながら同じ目線で下に落ちていた。

 魔法で空を飛び慣れているからか、こんな状況でも表情は平然としている。


副都したまで3000mといったところね。自由落下で、あと60秒ほどで敵の目に留まるわ」

「ルールデス、きみの役割はわかっているな!?」

「わかっているわ。今回はシャナクに華を持たせてあげる」

「副都はおそらくグールの群れが占拠している! 囚われた人達に危険が及ばないように立ち回ってくれ!!」

「善処するわ」


 そうこうしているうちに、あっという間に真下の副都が大きくなってきた。


「マリオ様、副都から火の手が上がっています!」

「くそっ。魔王軍の奴ら、ずいぶんと街で暴れてくれたみたいだ!」


 眼下にはいくつか倒壊している建物が見える。

 それらを見渡していくと、副都中央の背の高い時計塔が目に留まった。

 時計塔の正面には広場があり、そこには大勢の人が集められている。

 集団の周りには武器を持ったグール達が徘徊していて、広場には死体らしきものまで転がっている。

 副都の人々を従えるため、何人か見せしめに処刑したと思わせる光景だ。


「マリオ様、広場の南東を」


 シャナクに促されて視線を傾けてみると、広場にそびえ立つ四つの柱が見えた。

 否。あれは磔台はりつけだいだ。

 四つの磔台はりつけだいに、それぞれ一人ずつはりつけにされている。

 それらの手前にいるのは――


「あれがタルーウィか!!」


 ――明らかに人外の容貌。

 頭や肩から生えた角、背中にある一対の翼、尻から伸びる鉤型の尻尾。

 その姿はザリーツと酷似しているが、奴よりも二回りほど大きい。

 しかも、筋骨隆々の腕が二対――四本も生えている。


 やはり上空からの侵入は想定外だったのか、奴はまだ僕達には気付いていない。

 これなら奇襲は成功する公算が大きい。


「あぁっ!?」

「シャナク、どうした!」

「なんてこと! あれは……磔台はりつけだいを見てください、マリオ様!!」


 シャナクの言葉に従って磔台はりつけだいに視線を戻すと、驚いた。

 磔台そこはりつけにされているのは、僕の知る人物達だったのだ。


「シャリア、シャーリィ、シャッテ!」


 魔法都市で僕達と揉めた勇者候補の三人。

 あいつら実家に帰ったと思ったら、副都に来ていたのか!

 しかも、あの様子から察するに戦いに敗れてはりつけにされているといったところか……。


 そして、はりつけにされている四人目の人物は――


「あれは……軍将!?」


 ――セレステ聖王国の軍将その人に違いなかった。

 魔王軍の制圧後、副都を取り返すために討伐隊が送られていたことはエゼキエル侯爵から聞いていたけれど、まさか指揮官である彼が囚われの身となっていたなんて。


 勇者候補はともかく、軍将は王国軍の要とも言える人物。

 彼の身に危険が及ぶのは避けたいけれど、タルーウィの傍に居られたら否応なしに戦いに巻き込んでしまう。

 けれど、もうそれを気にしている状況では……。


「マリオ様、作戦通りに動いて構いませんね!?」

「……」

「マリオ様!!」

「……ああ!」


 僕から返答を受けてすぐ、シャナクは鞘から聖光剣を抜剣した。


「ルールデス、マリオ様を頼みます!」

「承知したわ」


 僕の体から離れる間際、シャナクは僕に微笑みかけながら言う。


「マリオ様……私、必ずあなたのご期待に応えてみせますから」


 彼女は僕から離れるや、全身に黄金色の光を纏わせて流れ星のように落下していく。

 標的は広場にいる魔将タルーウィだ。

 奇襲作戦の肝は、最初の一手でタルーウィを葬り去ること。

 その結果次第で副都の戦いに犠牲者が出るかが決まる。

 頼んだぞ……シャナク!


 一方、シャナクの代わりにルールデスが僕の体へと腕を回してくる。

 彼女に地上まで下ろしてもらわないと墜落死してしまうので、この状況はやむを得ないのだけれど……なんとも気まずい。


「さて。地上したに下りるまではわらわから離れてはダメよ」

「ああ」

「シャナクに華を持たせた分、お前のサプライズに期待しているわ」

「……っ」


 ルールデスが僕の耳元で囁いたので、首筋がぞくりとした。


 ……いかんいかん。

 これから戦いだっていうのに、何を考えているんだ僕は。


飛翔戯遊フライヤー!!」


 ルールデスが魔名を唱えた瞬間、僕と彼女の周囲に風が巻き始めた。

 間もなくして、全身に不可解な浮遊感を覚える。

 ……徐々に落下速度が遅くなってきた。


「これって……」

「飛翔魔法よ。高位の魔導士ならば、当然修めているべき魔法ね」


 ジジも箒に魔法をかけて空を飛んでいたけれど、それと同系統の魔法か。

 そう言えば、ルールデスは鎮魂の塔ではヒュンヒュンと空を飛んでいたっけ。


 その時、副都の方から大勢の声が上がった。

 とうとう広場にいる連中に僕達の存在を気付かれたのだ。


聖なる光の剣閃シャイン・グリント!!」


 風切り音に混じって、シャナクの声が聞こえてきた。

 直後、広場で眩い閃光が煌めく――タルーウィへの先制攻撃が決まった!


 僕がルールデスと共に広場へ降りたのは、その数秒後。

 すでに光は止んで、奇襲の結果が露わとなっていた。


「……!!」


 僕は目を疑った。

 大柄な四本腕の悪魔タルーウィは、四つの手のひらを合わせてシャナクの剣を受け止め、まったくの無傷だった。

 それどころか、そのギラギラした双眸そうぼうはシャナクを見て狂気染みた笑みを浮かべている。


「くっ」


 シャナクはとっさにタルーウィの腕を蹴り、距離を取った。

 一方で、ルールデスが不満げな表情を見せる。


「愚かな。初手を誤ったわね、シャナク」

「え?」

「彼女の放った聖なる光の剣閃シャイン・グリントは、勇者の闘技の中でも低位。広場にいる愚民どもを巻き込まないために、あえて威力が控え目な技を選んだのよ」

「そうだったのか……」

「でも、これで証明されたわ。あのタルーウィという悪魔は、周りを気遣っていてはとても殺せる相手ではないことが」


 ルールデスの言う通り、シャナクの攻撃に巻き込まれた者はいない。

 完全にタルーウィだけに絞った一撃だったが、彼女の気遣いがかえってチャンスを潰す羽目になってしまうなんて皮肉だ。


 周りにいたグール達が動き出す。

 僕とルールデスが身構えた瞬間――


「待て!!」


 ――タルーウィの声が奴らの動きを止めた。


「くっくっく。今の一撃、なかなか良かったぞ……腕が痺れたのは久しぶりだ」


 奴はシャナクに向かって喋っている。

 でも、その後方にいる僕達に対して奴の意識が向いているのを肌で感じる。

 と言うか、奴の視界に入っているだけで鳥肌が止まない。


 ……ザリーツとは次元が違う。

 さすが魔王軍三魔将最強と言われるだけのことはある。


「私の名はシャナク! 今すぐ副都の人々を解放しなさい!!」

「お前が当代の勇者か? そこにはりつけにされている奴らもそうだが、ここ最近はケツの青い勇者候補の相手ばかりで退屈していたところだ。よくぞ来てくれた!」

「……っ」


 タルーウィは攻撃を仕掛けるどころか、まるで客をもてなすかのような態度でシャナクに接している。

 その言動が不可解過ぎて、逆に怖いくらいだ。


「安心しろ。グールどもをけしかけるようなつまらん真似はしない。一対一だ」

「……あなたの目的は何です!?」

「我が望みは唯の一つよ。強い者との血沸き肉躍る戦い……この身を屠る者を求めて、我は戦場を征くのみ」

「ならば改めてあなたに決闘を申し込む! 私と戦い、敗北したならば兵を引いて副都を解放せよ!!」

「よかろう。お前には我と対等に語らう資格がある」


 そう言うと、タルーウィは右腕の一本を掲げた。

 身構えていたグール達は臨戦態勢を解き、二人から離れるように後ずさっていく。


「悪魔の分際で武人気質とは笑わせるわね。今なら不意打ちで魔法を討ち込めるけれど?」

「それはダメだ、ルールデス」

「なぜ? 奴の意識の大半はシャナクに向いているわ。今なら確実に――」

「もうそんな形の決着は認められない。シャナクはタルーウィに決闘を申し込んでしまったんだから」

「はぁ? 決闘? この期に及んで、正々堂々と一騎打ちをしようと?」

「そうだよ。それがシャナクなんだ」

「騎士道精神というものかしら。馬鹿馬鹿しい……不合理だわ!」

「元々シャナクはこの奇襲に乗り気じゃなかった。けれど、副都の人達の犠牲を可能な限り減らすために渋々受け入れてくれたんだ。でも、決闘で決着がつくなら……」

「愚かね。お前もシャナクも」

「え?」

「タルーウィ――あれは悪魔よ。この世でもっとも狡猾で邪悪な種族。奴らは常に戦禍を巻き起こす災厄の側にくみする。そんな奴が、本当に心からシャナクとの一対一を望むと思う?」

「そ、それは……」


 悪魔という種族は、エルフほどじゃないにしても稀有な存在だ。

 600年前に現れた大悪魔ベルゼバブ以来、400年前の邪竜エビルドラゴンや200年前の暴食獣ベヒモスにも、それぞれ悪魔が関わっていたらしい。

 言わば人類の仇敵なのだ。

 たしかにその発言を素直に信じるのは危険だと感じる。


「とは言え、わらわが居れば決闘を成立させることは造作もないけれど」

「え?」

「おあつらえの位置関係ね――」


 ルールデスは不敵な笑みを浮かべたまま、手元に大きな魔法陣を創りだした。 

 タルーウィを始め、グール達の視線を一斉に集めた瞬間。


「――螺旋土牢ウォーム・スクリュン!!」


 彼女が唱えた魔法が地面を揺らし始めた。

 広場の石床を砕いて土が盛り上がり、渦を巻くようにしてシャナクとタルーウィを囲っていく。

 そして、瞬く間に二人を閉じ込めた半球の土牢が完成した。


「タルーウィ様!」

「女、貴様何をした!?」


 周りにいたグール達が武器を構えて向かってくる。

 しかし――


炎陣衝壁ファイアウォール!!」


 ――ルールデスが顕現した魔法で一蹴。

 突っ込んできたグール達は、突如顕れた炎の壁にぶつかって真っ黒な炭へと変わってしまった。


「雑兵がわらわに敵意を向けるなど不愉快よ」

「ちょ、ルールデス!?」

「安心なさい、マリオ。こんな雑魚の群れなど犠牲者を出す間もなく終わるわ――」


 言うが早いか、ルールデスは両手を空に掲げた。

 彼女の全身には視覚化された魔力が螺旋状に絡まっていき、それは手のひらの方へと凝縮されていく。


「――屍食鬼に捧ぐ絶死絶唱グールド・デスローア・シングス!!」


 突如、耳をつんざくような音が周囲に響き渡った。

 思わず耳を押さえてしまったけれど、すぐにグール達の異変に気付いた。

 奴らは僕のように耳を押さえているものの、次々と悲鳴を上げて倒れていく。

 一度倒れたグールは白目を剥いたままピクリとも動かない。

 何が起こったんだ……?


「終わったわ」

「え?」


 広場を見回してみると、グールだけが倒れているのがわかった。

 周りにいる人々もこの状況に困惑している様子。


「即死魔法をグールだけに絞って顕現したのよ。わらわから半径500m程度の範囲にいたグールは全滅しているわ」

「そ……そりゃ凄い……」


 グールだけを殺す魔法?

 そんな魔法が実在するなんて信じ難いけれど、現にグール達は全員死んでいる。

 やっぱりルールデスはとんでもない魔導士だな……。


「お、おいっ。早く降ろしてくれ!」

「いつまであたし達をこのままにしとく気よ!?」

「早くウチらを助けるじゃん!」


 はりつけにされている勇者候補の三人が声を掛けてきた。


 まったく……。

 勝手にタルーウィに挑んで捕らえられた癖に、態度が大きいな。


「うるさいムシケラどもね。標本にしてやろうかしら」

「待った、ルールデス! 彼らを解放してやってくれっ」

「はぁ。ご主人様の命令では仕方ないわね……」


 ルールデスが軽く手のひらを振ると、空中を刃物のような光が煌めいた。

 直後、はりつけにされていた四人の縄が切れて、それぞれ地面へとずり落ちていった。


「くっ。た、助かったぜ……」

「もうダメかと思ったわ……」

「礼を言うじゃん……」


 三人の勇者候補はずいぶんと痛めつけられているが、重症と言うほどでもないようだ。

 むしろ、以前会った時に感じられた覇気がまるでない。

 シャナクに敗れた時以上に、タルーウィにコテンパンにされて自信を失っているように感じられる。

 でも、今は彼らよりもう一人の人物の方が気に掛かる。


「軍将、無事ですか!?」


 勇者候補達に比べて、軍将は疲弊していた。

 もはや立つこともままならないようで、かろうじて磔台はりつけだいに寄りかかって身を起こしている。


「……マリオ・ルーザリオンか」

「そうです。しっかりしてください、軍将!」

「きみの噂は聞いている。まさかここまでやってくるとは、な……」

「軍将?」


 幸いなことに軍将も致命傷を負ってはいない。

 でも、僕を見つめる彼はどこか遠くを見ているかのようだった。


「借りを返したつもりが、新たな借りを作るとは……因果なものだ」

「何を言っているんです? 大丈夫ですか!?」


 意識が朦朧もうろうとしているのか?

 僕を見たまま、よくわからないことをつぶやいているけれど……。


「マリオよ。私は――」


 軍将が何か言いかけた時、広場に出来上がった土牢が轟音と共に揺れ動いた。

 凄まじい衝撃……それが立て続けに起こっている。


中では・・・シャナクがてこずっているようね」

「……っ」


 ルールデスが表情を硬くして土牢を見上げている。


 土牢の中では、今まさにシャナクとタルーウィが戦っているのだ。

 おそらくは半径10m程度の狭い空間で、僕の想像を絶する死闘が繰り広げられているに違いない。


 土牢の揺れは止むことがなく、戦闘の壮絶さを物語っている。

 しかし、何度目かの震動でついに土牢に亀裂が生じた。


「……まずいわね。どうやらタルーウィとやら、想像以上の強さのようだわ」

「なんだって!?」


 その直後、土牢が真っ二つに割れた。

 最初に中から飛び出してきたのは、魔法銀の鎧がボロボロに焼け爛れたシャナクだった。

 彼女は受け身も取れずに石床に背中を打ちつけ、咳き込んでいる。

 思わず駆け寄ろうとすると、シャナクが手をあげて僕を静止した。


「こ、来ないで。奴が……来ますっ」


 突然、土牢から炎が上がった。

 否。裂け目から巨大な火の玉が外へと這い出してきた。


「我の攻撃をまともに食らって五体満足とは、大した耐久力だ。素晴らしいぞ!」


 その火の玉は、タルーウィが全身を炎に包まれている姿だった。

 勇者が黄金色の聖闘気を身に纏うように、奴もまた灼熱の炎を纏っているのだ。


「シャナクと言ったか。我はお前のような真の勇者が来るのを待っていた! 紛い物などとは比ぶべくもない真の強者――さぁ、思う存分殺し合おうぞ!!」


 タルーウィの傲慢とも取れる物言いに、僕は圧倒された。

 すでに磔台はりつけだいから解放されている勇者候補達も同じようで、その表情には怯えすら見られる。

 この場で奴の圧を跳ね返せているのは、ルールデスと――


「ええ。決着を……つけましょう!」


 ――立ち上がったシャナクだけだった。


 髪は焦げ、全身には擦り傷や火傷。

 魔法銀の鎧は焼け落ち、その武装は聖光剣のみ。

 しかし、彼女の目は死んではいない。


 今の僕にできることは……。


「シャナク、頑張れっ!!」

「頑張ります!!」


 僕の勇者の勝利を信じることだけだ。

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