03. 雨の日の来客
「はぁ……」
宿に部屋を取ってからというもの、溜め息ばかり出てくる。
この溜め息は、シャインからパーティーを解雇されたことだけが原因じゃない。
僕の財布に思いのほかお金がなかったことで、真っ当な宿に泊まれなかったことが一番の原因なのだ。
しかも、宿の主人にマリーと二人で一部屋使うと言ったら、ベッドの脚が脆いからあまり激しくしないでくれ、と言われた。
きっと僕とマリーが
人形ですから! あり得ないですから!
……と言えなかったことが悔やまれる。
「ご主人様、ベッドメイキング完了いたしました!」
僕がぼけ~っと窓の外を眺めていると、マリーが話しかけてきた。
見れば、ベッドのシーツや布団が入ってきた時よりも綺麗に整えられている。
さすがメイド型人形、家事全般は本当に何でもこなしてくるな。
もし人間だったらきっと良いお嫁さんになったに違いない。
「雨、止みませんねぇ」
「そうだね」
空には真っ黒な雲がかかっていて、まだまだ雨が止む気配はない。
そろそろ夕方になる頃だと思うけど、この安宿には置時計なんて上等なものはないから、今が何時なのかすらわかりゃしない。
こんなどしゃ降りの空を眺めていると、ますます気が滅入ってくるな……。
その時、教会の鐘の音が聞こえてきた。
「これはきっと晩課の鐘ですね」
「……六時か。もう今日は雨が止みそうにないな」
隣の部屋からガタゴトと物音が聞こえてくる。
きっと隣の宿泊客が教会にお祈りに行く準備をしているのだろう。
生活音が普通に漏れてくるとは、さすが安宿なだけある。
窓から前の通りを見下ろしてみると、白い布を頭から羽織った人の列ができていた。
彼らはこれから教会へ行って女神セレステに祈りを捧げるのだろう。
「お食事はいかがいたしますか? 昨日、お屋敷で配膳されたパンの残りなら少しありますが」
「とても食事する気分にはなれないよ」
「そうですか。……そうですね」
マリーはベッドに腰を下ろすと、シーツの上をポンポンと叩いた。
「こちらへどうぞ」
「なんで?」
「いいから」
マリーに言われるまま、僕は彼女の隣に腰を下ろした。
安宿に似つかわしい硬くて冷たいベッドに、尻が冷えそうだと思った。
「なんだよ、急に」
「辛かったでしょう。信じていた人に裏切られて」
「……」
「今までずっと頑張ってきたのに。お父様の形見のフェンサーもウルファーも取り上げられて、これからという時の都落ち。本当に残念でなりません」
「……仕方ないだろ」
「泣いてもいいんですよ」
「泣くかよ。僕は男だぞ!」
「男の子でも泣いていいんです。感情は吐き出さないと体にも心にもよくありませんよ? ただでさえご主人様は一人で抱え込みやすいんですから」
「でも、恰好悪いじゃないか」
「今さらそれを言います? ここには私とご主人様の二人しかいないんですよ?」
「う……」
「さ。私をお母様だと思って、ガツンと!」
そう言われた瞬間、今まで胸の奥に押し止めていた感情が溢れ出した。
驚くほどに涙が出た。
嗚咽を我慢できなかった。
体が勝手に動いて、マリーへと抱き着いてしまった。
……硬い胸。
人肌に似せた木製の胸部へと額を打ち付けて、あわや意識が飛びそうになった。
マリーの顔は実物の人間と遜色ないほど精巧に作られているけれど、服で隠せる首から下はそういう風には作られていないのだ。
触り心地も木のそれだし、体温だってない。
それでも、この時のマリーは――
「頭撫でてあげますね。なでなで」
――とても温かく感じた。
僕はしばらくマリーの胸の中で泣いて、心の中の悪いものを吐き出した。
次第に気持ちは落ち着いていき、耳には再び雨の音が聞こえるようになっていた。
「これからはご主人様のやりたいことをして生きていきましょう。人形使いを続けてもいいですし、故郷の墓守を継いでもいいですし」
「それはヤダ」
「ですよね。だからご実家を出たのですものね」
「じいちゃん、今頃何してるかな……」
「きっと相変わらずの怖い顔で霊園の見回りをしてらっしゃいますよ。あの方のライフワークでしたから」
「……だね。久しぶりに会いたいなぁ、じいちゃんに……」
祖父のことは正直好きじゃなかった。
父さんが継がなかった墓守の役目を、今度は僕に押し付けようとしてくるものだから、村にいた頃は毎日のように鬱陶しく思っていた。
なのに、そんな人でも今は凄く会いたい気持ちになってしまう。
やっぱり唯一血の繋がった肉親だから、かな……?
僕はマリーから離れて、彼女の顔を見つめた。
「ありがとう。ずいぶん心が楽になったよ」
「どういたしまして。今日は久しぶりに一緒に寝て差し上げましょうか?」
「さすがにそれはいいです……」
マリーには敵わないな。
僕が悩んでいると、いつもこうやって僕の悩みを自然と引き出してしまう。
そして、空のように広い心で僕を包み込んで、優しく慰めてくれるんだ。
セレステ教の人々が女神セレステに救われているように、僕もマリーに救われている。
やっぱりマリーは僕の心の清涼剤みたいな存在だ。
その時、扉がコンコンとノックされる音が聞こえた。
「? 誰だろう」
「ルームサービスでしょうか」
「こんな安宿にそんなものないでしょ」
ベッドから立ち上がるや、僕は扉へと向かった。
窓の外からは雨の音が変わらず届いてくる。
隣の部屋の物音は今は聞こえない。
僕は扉を開けた。
「!?」
廊下に立っていたのは、白い布を羽織った人――たぶん男性――だった。
セレステ教の信者?
今は晩課の時間なのに、どうして僕の部屋なんかを尋ねてきたんだ?
「あの、部屋をお間違いでは……?」
「……」
彼は布の隙間から覗く目で、部屋の中を確認するような仕草を見せた。
なんだか妙だな……。
「ちょっと。一体何の用――」
言い終える前に、男がいきなり僕の胸倉を掴み上げてきた。
とっさに相手の腕を掴むと、その拍子にはらりと布が滑り落ちた。
男は、とても教会の信徒とは思えないような服装だった。
しかも人相がすこぶる悪いし、腰には短剣まで差しているじゃないか!
まさか強盗!?
こんな安宿に泊まる僕を狙って?
否。狙いは――
「マリーか!!」
――見た目だけなら上品で美少女。
ここは貧民街も近いし、人さらいが現れてもおかしくない場所だ。
迂闊だった。
マリーは精巧に作られた女性型の人形だけれど、それを知らない連中からすれば、思わず目が釘付けになるほど見目麗しい外見なのだ。
こんな場所をうろついていては、人身売買を生業にするような悪党に目を着けられてもおかしくなかった。
……冗談じゃないぞ。
フェンサーとウルファーを失って、その上、家族のように思っているマリーまで失ってたまるか!
マリーは絶対に僕が守る!!
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