第2話悪役転生

 そこは深夜の訓練場。

 レクス・サセックスは当たり散らすように剣を振りまわしていた。

 彼はこのエルロード王国における、有数の貴族サセックス家の嫡男として生まれ、ちやほやと甘やかされて育ってきた。

 他の追随を許さない程に秀でた才能。

 彼の内面を知らなければ、数多の女性を虜にしてしまいそうな整った容姿。

 全てを与えられた様な少年。  

 世界は自分を中心に回っている——そんな思い込みすらあった。

 

 だが、それ故に、彼は、自分の思い通りに行かない事に対する、免疫も忍耐も持ち合わせてはいなかった。


「あの女ッ! この俺に恥を——ッ!」


 思い返せば思い返すほど、湧き上がってくる怒り。

 衆目の面前で大恥をかかされた。


「この俺が……ッ! あんな無様に……」


 彼は今日の昼間、その場所で——大敗を喫した。

 剣で負け、魔術で負け、卑怯な手段を用いてもその顔に土をつけることさえ叶わなかった。


「クソが……ッ! クソが……ッ!」


 敗北を碌に知らないが故のその感情。

 それを、当たり散らすように剣を振り回すことでしか、発散する術を知らなかった。 

 頭に血が上り、レクスは、等々地団駄を踏み始めた。

 ドン——ドン——という地鳴りが鈍く訓練場に鳴り響く。


 だが、突然——。


「うッ!?」


 体に強い衝撃が走り、レクスは思わずその頭に手を当てた。

 それは、強い頭痛を伴う目眩の様な感覚。

 頭の中で何かが爆発する様な感覚と共に、膨大な情報の奔流が巻き起こる。


(なんだ……? この感覚は……ッ!)


 15年間の人生の中で初めて感じた衝撃。

 しかし、何故かとても懐かしく、まるで——ずっと忘れていた事を思い出している感覚にも似ていた。


(これは、き、記憶……? 記憶だというのか……ッ!? 誰のだ……ッ!)


 脳内で処理しきれない程の映像や音声。

 知識、経験を強引に流し込まれている感覚。

 膨大な情報の大海に自分という存在が飲み込まれていくような気さえした。


「き、消えていく……お、俺が……。俺が消えていく……ッ!? ああああああぁぁぁぁッ!」

 

 悲鳴を上げるレクス。

 自分という存在が、別の何かに塗りつぶされていくような気がした。

 倒れ込み、地面の土を握りしめ、瞳から涙が溢れ、意識は徐々に薄れていく。


「俺は……ッ! 俺はッ! 俺がぁうぅぅぅぅ……。 俺は……まだ……、まだぁ……—」


 消えたくない。そんな言葉にならない呟きを最後に遂に、彼の意識は途絶えた。





 ――ここは一体何処だ? 俺は一体誰だ?

 

 途切れた意識の隙間から引きずり上げられるような感覚に目を覚ますと、しかし、同時に

 口の中は先程まで感じていた筈の鉄の味とは違う、泥の味を感じていた。


「うぅ……」


 どうやら、地面に倒れていたようだ。

 地面から体を起こすが、割れるように頭が痛かった。

 辺りを見渡すと、そこは、少し埃臭い運動場のような場所だった。


「……俺に何が?」


 自分が誰なのかすら分からなかった。

 自己同一性アイデンティティを失ったような感覚。

 まるで、さっきまでの自分が別の誰かと混ざり合ったような感覚。


「俺は……泣いていたのか?」


 頬を伝う涙の跡を指先でなぞると、悲しかった感覚が残っていた。

 朦朧とした意識でヨロヨロと立ち上がる、とその足は答えを提示するようにどこかへ向かう。


「これが俺……?」


 その足は、近くにあった手洗い場と思われる場所の鏡の前へ彼を連れてきた。


 そこには、少し土で汚れた、の、しかし——同時に大人に成りかけている、少年の顔が映っていた。

 その髪は美しい金髪で、その瞳は碧色ターコイズの輝きを放っていた。


「そう……、これは俺……。俺だ……俺の顔だ……」


 鏡に映った自分の顔を触る。 

 他人のようにも思える顔だが、それは確かに自分の顔だと分かった。





 水場で、顔を洗い口を軽くゆすぎ、顔を洗うと、その足は自然とある方向へと向かった。

 最初に倒れていた場所からそう離れていない場所に豪華な屋敷が立っているのを見つけた。

 屋敷のいくつかの窓からは灯りが漏れていたが、多くの部屋の灯りは消えていた。


「……サセックス公爵邸。ここは俺の家か?」


 だが、自らの生家であって、他人の家であると言う違和感を拭えない。


 扉を開け、屋敷に入ると、そこには高い天井。

 廊下には敷き詰められた真っ赤な絨毯に、台座に乗せられた数々な美術品が展示してあった。


 しかし、それらに気を留める事もなく、その足は迷わずある部屋の一室へと向かう。


「……ここ……、そう、俺の部屋だ……」


 ドアを開けると、そこは初めてくるような新鮮な感覚と、しかし、同時に慣れ親しんだような安心感を混ぜ合わせたような感覚がした。


 その部屋は子供一人に割り当てるには広すぎる室内にアンティーク調の家具が配置してあった。

 自分で、めちゃくちゃにした筈の部屋は綺麗に清掃されていた。


「片付けておいたのか……良い仕事だミリアムよ……」


 その口は、それを行ったであろう少女の名を自然と呼ぶ。

 そして、その足は吸い寄せられるように鏡に向かう。

 自分で叩き割った筈の姿見は新しいものに取り替えてあった。

 

「そう、俺はレクス。レクス・サセックス……」


 そこには、先ほどと同じ少年の顔が映っていた。

 少年でありながら美しいと形容して差し支えないの無い顔だ。

 昨日までと同じ顔の筈。


 しかし――同時に昨日までの自分の顔とは違う顔だ。


「だが……俺は鈴木守だった筈だ……」


 彼の頭の中にはもう一人の別の人間の記憶が宿っていた。

 彼の名を鈴木守と言った。

 数多の不可能を可能とするような犯行を成し遂げ、決して捕まらない神出鬼没の怪盗として、世間を大いに賑わせたものだった。


「俺は死んだはず……。あの女に撃たれた跡もない……?」


 自身の腹部を触るがそこには弾痕のような跡はなかった。

 多少の打撲や擦り傷などこそあれ、美しい肉体だ。

 引き締まった筋肉質でありながらも、しなやかな細身の体躯。


 そして――。


「う……ッ!」


 二つの人間の記憶が頭痛と共に、ある答えを提示する。

 

 それは――。


「この世界は……【ブレイヴ・ヒストリア】の世界?」


 今までレクス・サセックスとして生きてきたこの世界は、鈴木守が幼き日に遊んだゲームの世界と酷似しているという事。

 受け入れがたいような考えだが、そんな非現実的な考えを今のレクスは否定できなかった。

 だが、あれこれと悩み始める前に、猛烈な疲労感と睡魔が襲ってきた。


「………とりあえず一旦、寝るか……」


 かろうじて、レクスは寝間着に着替え終えると、部屋にあったベッドに潜り込み、深い眠りの底へと落ちて行った。

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