第35話
竜之進が治療院に赴いたのは、ヤドヴィカの屋敷を訪ねて三日後だった。まだ知らせはなかったが、あえて動いてみた。
治療院の区画は貧民街の北にあり、石壁で囲まれていた。高さは三丈にも達し、乗り越えるのは到底無理だ。
竜之進は一周して様子を見たところで、正面門に足を向けた。
出入口は鉄の門扉で守られており、さながら城門を思わせる堅牢さだった。詰所に守る男は槍を手にしており、兵隊と変わらぬ雰囲気だった。
竜之進は門番に用がある旨を告げたが、治療院に入ることはできなかった。粘っても門番の反応は変わらず、逆に殺気が高まったほどだ。
情勢は変わらぬと見て、竜之進は詰所を離れた。
細い道を抜けて貧民街から出ると、ナム地区に向かう。
殺気が厳しくなってきたのは運河に近づいた時だった。
先刻とは違う。
守るのではなく、攻めの意志が明快だ。
竜之進は足を止めると、鯉口を切った。
「何者だ。出て来やがれ」
返答はない。
「伯爵家の奴かい。腹を探られて気分が悪いのはわかるが、こそこそつけ回すのは虫が好かねえな。顔を見せたら、どうだい?」
ラセニケ伯爵家の者が動いているという話は、ベルトランから聞いていた。
当主が廃嫡に動いていると知れば、跡継ぎとしては気になるだろう。少し調べれば、竜之進が動いていることはわかる。跡をつけるのは当然か。
「腹を割って話をしようじゃねえか。いろいろと面倒だ」
答えはない。高まるのは殺気だけだ。
どういうことだ。動きを探っているだけではないのか。
竜之進を始末すれば、それなりの騒ぎになる。下手人の探索もおこなわれ、それにラセニケ家の者がからんでいるとわかれば、御家騒動が明るみに出ることもありうる。
腹を探られるぐらいではすまないが、それでもよいのか。
竜之進は運河を背にして、柄に手をかける。
陽が沈んでしまったこともあって、周囲に人影はない。
急速に殺気が高まった瞬間、小刀が飛んできた。
竜之進は右に跳んでかわす。
つづけて、二本、三本と小刀が闇を切り裂く。
竜之進は刀を抜くと、あえて前に出て、すべてを叩き落とした。
居場所はすでにつかんでいる。
「出てこい!」
柳の影から、黒い上着を身にまとった男が現れた。短刀を抜いて迫る。
強烈な突きを、竜之進は刀を振るってかわした。
男は跳ねるように下がり、小刀を投げる。
竜之進が下がると、そのすべてが彼がいた場所の石畳を叩く。
すさまじい腕前だ。並の剣士ではない。
本当にラセニケ家の家臣なのか。もっと何か、そう、忍びに近いような……。
竜之進が刀を構えたところで、頭上から小刀が来る。
敵は高く跳んでいた。
竜之進は右に跳んで、刀を振るう。
三本の針が地面に落ちる。
含み針だ。おそらく毒が塗ってある。
「おぬしら、何者だ?」
二人とも、おそろしく陰の戦いに慣れている。ラセニケ家の家臣とは思えない。
「間者か。もしや……」
竜之進の脳裏に閃きが走る。
「おぬしら、北部連合の者か。この町を探っているという」
気配がかすかに揺れる。二人は顔を覆面で覆っており、表情を見ることはできなかったが、動揺していることは察しがついた。
「その間者がなぜ俺をねらう。探られて困ることでもあるのか」
「……」
「もしやラセニケ家とかかわりのあることか。内情を知られると、北部連合が困るのか」
殺気が高まる。どうやら図星らしい。
ベルトランは噂と行っていたが、彼が考えていた以上に、ラセニケ家と北部連合のかかわりは深いらしい。食い込んだのか、食い込まれたのか、そのあたりははっきりしないが、竜之進に探られるのはうまくないようだ。
「ならば、すべて素っ破ぬいてやる。今日のことも含めて、市長や貴族たちに知らせる。さて、どうなるかな」
「許さぬ。そのようなことは……」
低い声が響く。
話しているのは、目の前の男ではない。どこか遠くから語りかけている。
「帝国にいいようにさせるわけにはいかぬ。邪魔をするおぬしは敵」
「俺は、ヴァルドタントの同心だ。この町を守ることができれば、それでいい。おぬしたちの争いにはかかわらぬ」
「ヴァルドタントもこのままにはしない。いずれ焼く」
「ならば、おぬしたちは敵だ。許さない」
竜之進は脇構えを取ると、敵との距離を詰める。
二人の間諜は左右に広がる。
緊張が一気に高まったところで、竜之進は神速で飛び出す。
敵は下がろうとしたが、遅い。
強烈な右からの一撃が脇腹をえぐる。
そのまま容赦なく竜之進は突きを放って、首筋を切り裂く。
噴水のように血をまき散らしながら、間諜は倒れた。
殺気が右から来る。
もう一人の敵が短刀をかざして迫る。
切っ先が胸元をねらうも、それを竜之進は払いのける。
なおも敵は間合いを詰め、竜之進の腹に切っ先が迫る。
生死を考えてない。差し違えも辞さないつもりだ。
竜之進は身体をひねって、短刀をかわうと、その右腕を切り飛ばす。
さらに胴を払って、致命傷を与える。
これならと思った竜之進だが、間諜の勢いは止まらず、彼にぶつかってきた。余った左腕で彼を抱えこむ。
「しまった!」
左手前に、黒い影が現れる。先刻、声をかけてきた敵だ。
手には赤い炎がある。
魔術かと思った時には、強烈な火炎弾が竜之進を直撃していた。
吹き飛ばされて、運河に落ちる。
手を動かそうとするも、激しい痛みに襲われて、まるでいうことを効かない。
竜之進の意識は薄れ、水の流れに逆らうことはできなくなっていた。
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