第34話
翌日から、竜之進は隠し子の探索に入った。
ヴァルドタントは広く、そこから一人の人間を探し出すことは困難を極める。
しかし、身を隠して暮らすのであれば、場所は限られてくる。
目立つ商業地や顔見知りの多い庶民街はむずかしい。歓楽街も顔役によって人の動きは把握されており、かえって危険である。
人の出入りがあっても、気にならない場所。
誰がどこに住んでいるのか、まるでわからず、役人も入ることのできない地域。
竜之進が目星をつけるまで、さして時はかからなかった。
「ひどいや、親分。おいらに言ってくれれば、すぐに案内したのに」
「悪かった。あの時は急いでいたんだ。エマもいたから、何とかなると思った」
「このあたりは、おいらの庭なのにさ」
オックは頬をふくらませて、横を向いた。まさか、ここまで機嫌を損ねるとは。
竜之進は、彼を伴って貧民窟に入っていた。
ヴァルドタントで身を隠すなら、ここしかない。人の出入りが多いわりに、つながりも希薄で、複雑な事情を抱えていることもあり、自分のことを語りたがない。接触することすら嫌がる。ヴァルドタントの闇が凝縮している。
「もういいよ。親分なんか知らない」
竜之進が魔術師を追って貧民窟に入ったことを告げると、オックにさんざんすねた。ききわけない子供のようで、ろくに視線をあわせようともしない。
「まあ、そういうな。今度、飴を買ってやるから」
「食べ物なんかじゃつられないもん」
「なら、一番街の菓子はどうだ。餡が練り込まれている団子だ」
「あれ、並ばなきゃ買えないんだよ」
「だったら、並んでやる。俺も食べてみたかったからな」
「なら、いいけど、今度、ここへ来る時、ちゃんと声をかけてね。忙しいとか、相手が誰だとか言っちゃ駄目だからね」
「わかった。そうするよ」
竜之進の言葉に、オックは笑みを浮かべた。邪気がなく、さながら赤子を思わせる、明るい表情だった。
しばらく二人が連れだって歩くと、壁を茶色に塗った家が視界に入ってきた。
二階建てで、窓はすべて閉ざされている。出入口はひどく小さく、竜之進ですらかがまなければ入れそうになかった。
オックは屋敷に駆けよると、呼び鈴を鳴らした。
「おばちゃん。オックだよ。開けておくれよ」
「わかっているよ。しばらくお待ち」
間を置かず扉が開いて、背の低い女性が姿を見せた。
コボルトで、赤いローブを身にまとっている。目付きは険しく、声も荒々しいが、不思議と嫌悪感はおぼえなかった。
「この人は、ヤドヴィカおばさん。おいらがこの町に住んでいた頃に世話になったんだ。宿屋をやっているんだけど、ここいらのことに関しては本当に詳しいんだ」
「はいんな」
ヤドヴィカは顎をしゃくった。
竜之進がかがんで屋敷に入ると、思いのほか広い部屋が待ちかまえていた。天井は高く、奥行きも広い。中央にはテーブルがあり、その上で灯りが輝いている。
きれいに片づいており、余計な本や紙の束はいっさいなかった。
「あんたが水野竜之進だね。話は聞いているよ」
「よろしく頼む」
「アデールからも、あんたのことは頼むと言われている。まあ、できることはするさね」
「知り合いなのか」
「長い付き合いだよ。この町に住み着いた頃から喧嘩ばかりさ」
面倒くさげに語るヤドヴィカの表情には、不思議と邪気を感じなかった。
「それで、どんな奴を捜しているんだい?」
問われて、竜之進はすべてを語った。隠し子の情報についても、包み隠すことなく伝えた。
「悪いが、風袋はまるでわからん。髪や瞳の色もな。はっきりしているのは若い男ということ。人目に付かれぬように隠れて暮らしているということだ。年齢は16か、17だと思うが、これも怪しいな」
「そうだろうね。わかっていたら、とっく網にかかっていただろうね」
「あやふやな言い方ですまぬが、手がかりが欲しい。何とかならぬか」
「ああ、見当はついたよ」
あっさりヤドヴィカが応じたので、竜之進は驚いた。
「どこにいるのかわかるのか」
「ああ。治療院にいる男の子だね。間違いない」
竜之進が呆然としていると、ヤドヴィカは笑った。
「そんな顔をしなさんな。わかったのは、あたしが長くここで暮らしていて、人の動きを気をつけていたからだよ。ちょっと探っただけでは気づかないさ。あの子のことは前から気になっていたんだよ。ふるまいや言葉遣いが、ここいらに住んでいる連中とは違っていたからね」
貧民窟の北には治療院があり、そこに去年の春から若い男が暮らしはじめた。
髪は薄い茶色で、瞳は同じ色。中肉中背で、見た目には目立つところはなかったという。
「医学の心得があったみたいで、重宝されているよ。心持ちが素直で、院長にも信頼されている。いいとこの生まれだと思っていたが、まさか貴族様とはね」
「会ってみたいな。治療院はどこだ」
「ここから歩いてすぐだけど、ちょっと待ちな。あそこは色々あるんだよ」
ヴァルドタントで伝染病がはやった時、町の一区画を封鎖して、患者を隔離した。その中心にあったのが治療院であり、いまだにその周囲は壁をめぐらせて、人の出入りを押さえている。
「入るには許可がある。あたしから話をするから、少し時間をおくれ」
「わかった。が、急いで欲しい。妙な動きも出ているのでな」
「できるだけのことはするよ。オック、奥へ来て、書く物を持ってきておくれ」
「わかった」
オックは立ちあがり、屋敷の奥に消える。それを見計らって、ヤドヴィカが話をはじめた。
「あんた、あの子の面倒を見ているのかい」
「ああ、いつの間にかそういうことになっている。手間はかかるがな」
「便利だろう。この町のことに詳しくて」
「そうだな。何かと助かっている」
「なら、最後まできちんと世話しておくれよ。利用するだけ利用して、最後は見捨てるなんて許さないからね」
ヤドヴィカの声が低くなった。
「あの子は、本当にいい子なんだ。父親は本当のろくでなしで、人の物を盗んでばかりで、最後は仲間からめった突きされて殺された。今は母親と二人暮らし。生活は苦しいだろうに、あの子は悪い道に染まらず、一生懸命に生きている。本当に健気だよ」
「わかっているさ」
「だから、ねじ曲がらないようにうまく育てておくれ。あの子は、あんたを信じているようだからさ」
「人を育てるなんて柄じゃねえ。こっちが半人前だからな」
竜之進は肩をすくめる。
「それでも、俺はあいつの旦那だからな。小僧の面倒は最後まで見る。捨てるようなことはしねえよ」
「あの子は、いい親分を見つけたようだ。運がいい」
「だから、親分じゃねえって」
竜之進が手を振ったところで、オックが戻ってきた。
「ばあちゃん、これでいいかい」
「ああ。よくわかったな。偉いぞ」
ヤドヴィカが頭をなでると、オックはうれしそうに笑った。
「手紙は書いておく。その間、このあたりを見て回るといい。勉強になるよ」
「ああ、そうするよ」
竜之進が屋敷を出ると、彼女の言った意味がわかった。
見られている。どうやら彼の行動は監視されているらしい。思いのほか、敵の動きは早いようだ。
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