第五章 御家騒動

第32話

 ニヤニヤ笑うエレーネを見て、竜之進は場所を設定し間違えたことを悟った。

 狭い自宅に呼ぶわけにはいかなかったし、さりとて相手の屋敷に踏みこむのも何かと面倒だ。いつものように噴水前というわけにもいかない。

 目立たず話をするにはエルフ会館が一番と思ったが、この機会をエレーネが見逃すはずがなかった。同席を求められれば、拒めるはずもなく、いささか気まずい思いをしながら話し合いに臨むこととなった。

「改めて名乗ろう。私はメノン・エウダモス・ラモエドン。第三十五代ヒーム伯爵だ。歌姫の時には、何かと世話になったな」

 濃い髭を生やした老将は、椅子に座ったまま頭を下げた。すさまじい迫力で、さすがに竜之進も気圧される。

「いえ、こちらこそ。伯爵のお力添えがあったからこそ、ヴェルデはヴァルドタントの歌姫として、すんなり認めてもらえました。無茶なやりようを受けいれてもらって、本当にありがたく思っています」

 以前、竜之進はエルフの娘、ヴェルデを町の中央広場で歌わせ、その魅力を町の者に訴えることに成功した。

 あの後、評議会が開かれて、彼女は正式にヴァルドタントの歌姫となり、サルサレードとは完全に手を切って、この町に住むことになった。

 事がうまくいったのは、伯爵がヴェルデを自ら保護し、市長や有力貴族と積極的に話しあってくれたからだ。見事な手際だったと言える。

「私はやるべきことをやっただけだ。あの歌声が本物で、それを生かすには歌姫にするのがもっともよいと思った。それだけだ」

「ですが……」

「無論、こちらにもねらいはあった。あのサルサレードとかいう男、詳しく調べてみたら、北部連合の間者と結びついていた。どうやら街の内情を探っていたらしい」

「なんと」

「それが単に金でつながっていただけなのか。それとも何らかの思惑があって動いていたのか、そのあたりはわからぬ。ただ、あの者がにヴァルドタントに住み着けば、騒乱のきっかけになっていたことは間違いない。うまく追い出すことができて幸いだった」

「それは何よりですな」

「伯爵様もお人好しですな。黙っていればわからないものを」

 エレーネが笑って、ヒーム伯爵に語りかける。

「こやつは相当の馬鹿ですからな。振り回されても、あまり気にしませんぞ」

「確かに言わずともよかったのであるがな。その辺ははっきりさせんと、どうも胸のあたりがむずがゆい」

 ヒームも笑みを浮かべる。

「それに頼み事をするのに、隠し事をするのもどうかと思ってな。腹を割って話をした方がこちらもやりやすい。年なので、むずかしいことを考えると、頭が痛くなる」

 屈託のない口調だが、その言葉を素直に受け取ることはできない。

 ヴェルデの件を見ても、相当な腹芸をこなす人物であることはわかる。清濁併せのむ胆力がなければ、ヴァルドタントでにらみを効かせることはできまい。その一方で、姑息な陰謀をめぐらすのもよしとせず、まっすぐに自分の思いをぶつけてくるところもある。

 味方ならば頼もしいが、敵に回したら厄介な人物だろう。

「さて、では、本題に入ろう。おぬしを見込んで頼みがある」

「何でございましょう」

「ラセニケ伯爵家を知っているか。南方の大貴族で、このヴァルドタントにも屋敷を持っている」

「はい。それはもう……」

 思わぬ名前が出てきた。

 ラセニケ伯爵家とは、一悶着あった。きっかけはつまらぬ岡惚れであったが、代官がつまらぬ野心を持っていたことから騒動は大きくなり、刃傷沙汰にまでなった。

 竜之進が見ると、エレーネはこれ見よがしに腕を振った。そこには、事件のきっかけとなった銀の腕輪がはまっていた。

「いろいろあって、今は伯爵がヴァルドタントの屋敷に戻って、家中をまとめている。それで、おぬしへの頼みであるが……」

 ヒーム伯爵は一度、言葉を切ってから先をつづけた。

「おぬしには、ラセニケ伯爵家の子供を捜して欲しい。いわゆる隠し子というやつだ。正確には少し違うのであるが、だいだい、そのようなものだと思ってよろしい」

「どういうことですか?」

「詳しく話すと長くなる。それでもよいか」

「もちろんで」

「では」

 ヒーム伯爵は、一度、言葉を切ってから先をつづけた。

「初代ラセニケ伯爵は建国に深くかかわった武人で、その戦功を受けて、爵位を賜った。二五〇年前のことだ。その後、一度、断絶したが、第三次南部戦争で六代目が戦功をあげ、再び伯爵に叙任された。その後は、ずっと南部の要衝を守る一家として敬われている」

「いる? いた、の誤りでは?」

 エレーネの突っ込みに、ヒーム伯爵は苦笑した。

「あまりいじめんでくれ。確かに、ラセニケ伯爵家には醜聞がつづいた。だが、それは六〇年も前の話で、今は落ち着いている」

「私にとっては、つい最近の出来事ですよ」

「まったくエルフというのは、時の流れが違っていて困る。我々が時の彼方に置いてきたことでも、はっきりとおぼえている」

「あの、話がよく見えないのですが」

 竜之進が割り込むと、ヒーム伯爵は軽く手を振った。

「すまなかった。事の起こりは、第八代伯爵の放蕩が過ぎて、その資産が差し押さえられたことだ。借金が返せなくなって、どうにもならなくなったところでシキリムという商人が現れた。彼は借金を肩代わりする代わりに、自分の娘を伯爵家に嫁がせた。平たくいえば、家を乗っ取るためにな。それは半ば成功し、娘は伯爵家に入って、当主の息子を産み、シキリムは後見人として好き放題にふるまった。一時はその財力を使って、貴族社会に深く食い込み、自身も爵位を得ようとした」

 ヒーム伯爵は、そこで息をついた。

「だが、当主はその専横に耐えられず、心と体を病み、最後にはシキリムと妻を殺し、自ら命を絶った」

「そいつはひでえ」

「その後、シキリムの残党が伯爵家の屋敷を焼き討ちしたりして、混乱は長くつづいた。落ち着いたのは、今の伯爵が跡を嗣いでからだよ」

 ヒーム伯爵は卓に置かれた杯を取って、軽くすすった。

「儂は、ラセニケ家とは長い付き合いでな。焼き討ちがあった時には駆けつけて、シキリムの残党を追い払いもした。故に誰よりもあの家の内情には詳しい」

「それで、隠し子の件ですか」

「まあ、そうだ。今の当主は病にやられていて、家中に目が届かぬ状況になっている。おかげで、あちこちで面倒を起きているが、その中で、もっとも面倒なのが伯爵の息子だ」

「息子さん?」

「ああ、とんでもない放蕩でな。ヴェンタから女を呼び寄せて、さんざん遊んでいる。金づかいも荒くて、わざわざ帝都から商人を呼び寄せ、北部の絹やら宝石やらを買い集めている。取り巻きを引きつれて、夜まで馬鹿騒ぎすることも珍しくない。政務には興味はなく、武術にも関心を示さない」

「……なかなか、困った御仁のようで」

「当主も頭をかかえていて、跡を嗣がせてよいのかと悩んでいた。そこに、市中にラセニケ家に連なる者がいるとの知らせが入ってな。例の焼き討ちの際、死んだと思われていた一族の者が子を成していて、ヴァルドタントで暮らしているとしれた。狂喜した伯爵は、その子を捜してくれと儂に頼み込んできたわけよ」

「ややこしい話ですな」

 竜之進が捜すべき相手は、ラセニケ伯爵家に連なる者で、当主の隠し子というわけではなさそうだ。ただ、当主とは血がつながっており、おそらく伯爵家を受け継ぐ資格を持っているのだろう。

「まずは、会って話がしたいと、伯爵は言っている」

 ヒーム伯爵はまっすぐに、竜之進を見た。その眼光は鋭い。

「その上で、人柄に優れていれば、家督を譲ることも考えているようだ」

「無茶を言いますね」

 嫡子を変えるとなれば、大きな騒動になる。当人はもちろん、その周りが黙っていない。江戸でも御家騒動の元凶は、嫡子の問題であることが多かった。伯爵家が大名のようなものであるのならば、同じことが起きるだろう。

「それを承知の上で、話を進めている。それだけ息子には耐えられないということだ」

「なるほど、話はわかりました」

「よろしく頼む。その手の捜し物は得意と聞いているぞ」

「人を探すのは、簡単ではありませんな」

「ベルトランはそうは言っていなかったぞ。先だっては、通り魔の魔術師を見事に見つけたそうじゃないか。なかなかの才だ」

「たまたまでございますよ」

 言いながら、竜之進は顔をしかめた。

 魔術師の事件をベルトランには話していたが、まさかそれが伝わっていようとは。さすがというか、抜け目ないというか。

 こちらのことはすべて知っているようだ。

「どうだ。やってくれるか」

 竜之進は目を閉じたが、その時間は長くなかった。

「よろしいです。お引き受けいたしましょう」

「助かる」

「ただ、一つ、お聞きしたいが、よろしいですかか」

「かまわん」

「なぜ、手前なので。探索ならば、それにふさわしい者はおりましょう」

「他の者では気づかれる。とにかく今は目立ちたくない」

 そこで、ヒーム伯爵は笑った。

「さらにいえば、儂がおぬしを気に入っているというのがある。邪念がなく、町のために、できることは何でもするつもりでいるし、実際にやっている。そういう男は信頼するに値する。こういう微妙な話題だからな。むずかしいところもあるが、おぬしなら最後までやり遂げてくれると信じている」

 ヒーム伯爵はためらうことなく言い切った。そのふるまいから、彼の言葉が真実であるとわかる。

 信頼には信頼で応じるのが江戸っ子のやり方だ。

「そこまで言われて断れませんな。さっそくかからせていただきましょう」

 竜之進は頭を下げた。

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