第31話

 竜之進は、夜が深まるのを待って、屋台を離れて、運河沿いの道をゆっくり歩いていく。

 今日も風が冷たい。ちよっと吹きつけてきただけで、背筋が氷りそうになる。毛皮の首巻きをしているが、それでも完全に防ぐことはできない。

 こんな日は家で鍋でもつついていたいところだが、その余裕はない。

 竜之進は傍らのコボルトに声をかける。

「どうだ?」

「気配はない。近くにはいないよ」

 オックの耳が前後、左右に動く。表情は硬く、緊張しているのがわかる。

「無理する必要はないぞ。怖くなったら、すぐに逃げろ」

「大丈夫だよ。魔術師には慣れている。来たらすぐにわかる」

「向こうは本気で殺しに来る。正直、お前を守れるかどうかわからん。できれば……」

「平気だって。おいらがついていないと、親分はダメだろ。だから、ちゃんとやるよ」

 オックは笑う。強ばった顔に健気さをおぼえる。

 魔術師のねらいがはっきりしたあの日、竜之進はすぐにアデールの家に取って返し、善後策を練った。

 アデールによれば、不老不死の術は、世界の知恵を集めた末に達する究極の魔術で、神の叡智にもっとも近いと考えられていた。

 成功すれば、寿命は無限。百年千年と経っても老いることはない。食事をとる必要すらなく、砂漠の真ん中でも平然と生きていける。

 今回、クムは多くの魔術師が挑み、跳ね返されてきた不老不死に挑もうとしている。死体から奪い取った臓器を使って。

「無理に決まっている。過去の大魔術師がそれに気づかなかったと思っているのか」

話を聞いたアデールは顔をゆがめた。

 七〇〇年前に、世界を牛耳ったハリ・クムレ・トマソリという魔術師は、ひたすら不老不死を追い求め、多くの術式を編み出した。その中に、人の身体を組み合わせて、新しい身体を作るというものがあった。

 身体はできあがり、実際に動いたらしいが、長持ちさせることはできず、早々に破棄されたと言う。

「チンピラみたいな魔術師にできるわけがない。犠牲が増えるだけだ」

 その言葉が竜之進の決断をうながした。

 放っておいて、街の者が死ぬところは見たくない。

 ならば、自分が囮になり、クムを引きずり出す。

 彼が家に戻れば、荒らされたことに気づくだろう。魔術を使えば、犯人が誰であるかもおおよそ見当がつく。

 そこで、自ら標的となって敵を引っ張り出し、捕まえる。

 今日、あえて夜の運河脇で身をさらしたのは、早くに決着をつけるためだった。他の誰かがねらわれたのではたまらない。

 これは彼一人でやるつもりだったが、話を聞いたオックが供をするといって譲らなかった。

「いいか、オック。死ぬんじゃねえぞ」

 竜之進は静かに語りかけた。

「子分が先にあの世に行くなんて、あっちゃならねえことだからな。いいな。絶対に生き残るんだぞ」

「わかっているよ。親分。おいらは平気だから。ちゃんと……」

 そこでオックの耳がピクリと動いた。

「来た。これは」

「わかっている」

 殺気が逆巻き、正面に黒い影が現れた。

「出たな。人を殺して、自分で長生きしようなんて、ふてえ野郎だ」

 竜之進は飛び出して、影の前に立った。

「神妙にお縄につけ」

 白い物が目の前をちらつく。

 雪が降りはじめた。静かに石畳の道に降りそそぐ。

 一瞬、殺気が高まり、影が手を振る。

 氷の矢が周囲をつつむも、彼に届く前にすべて解け落ちる。

 背後に、慣れた気配を感じる。

 エマだ。しっかり彼を守ってくれている。アデールの魔術具を使いこなすあたりはさすがだ。

 竜之進は息を詰め、神速で影に駆けより、横薙ぎの一撃を放つ。

 影は下がるも、切っ先が茶色の外套をかすめる。

 つづく一撃で、今度は頭巾の一部を切り裂く。

 影は炎の矢を放つも、エマが壁を作って、そのすべてをはばむ。

 いい間合いだ。こちらの動きを読んでいる。

 この調子なら、とどめを刺すことなく、敵を捕らえることができる。腕か足にちょっとした傷を与えれば、それでいい。

 竜之進は刀身を身体で隠すようにして構え、すり足で間合いを詰める。

 そこで影はぱっと離れ、宙に指で何かを描いた。

 間を置かず、激しい水音がして、運河から何かが現れる。

 人の形をしているが、大きい。

 三丈(約5・4メートル)、いや、もっとあるか。

 エマが灯りの魔術を使うと、全貌がはっきりする。

「ゴーレム!」

 オックが声を張りあげる。

 迫ってきたのは石の巨人だった。腕も足も身体も角張った石で、それが組み合わさって、人の形になっている。

 顔には目と鼻と口が彫りこまれており、さながら人間のように動く。

 手の指も石造りなのに、人のように開いたり閉じたりしている。

 何だ、この怪物は。こんなものが世の中にいるのか。

 ゴーレムは水をしたたらせながら近寄ってきた。

 動きは鈍く、これなら懐に飛び込むことはできる。しかし……

 右から飛び込もうとしたところで、影が火矢を放った。

 かわしたところにゴーレムの腕が迫り、竜之進は下がって、きわどいところでかわす。

 ゴーレムの拳はそのまま石畳を叩いて、大穴をあける。

「なんて馬鹿力だ」

「正面から戦っちゃダメ。かすっただけで首が飛ばされるよ」

 エマが横に並んできた。表情には焦りがある。

「じゃあ、どうするんだ?」

「ゴーレムは、身体のどこに文字が刻んである。それが消せば、止まる」

「どこにある?」

「たいがいは首の後ろ。石で隠してある」

 エマは懐から三個の魔術具を取りだした。

「あたしがあいつの動きを止める。時間を稼いで」

「心得た」

 竜之進は前に出て、あえてゴーレムの間合いに入る。

 巨大な腕が迫ると、すばやく下がってかわし、敵の懐に入る。

「くらえ、石切!」

 一閃すると、ゴーレムの頭がわずかに欠けて落ちる。

 刀で石を斬ることはできる。ただ少し刀の入れ方を間違えただけで、刃がこぼれて使えなくなる。下手をすれば刀が折れるので、数はこなせない。

 あと一度か、二度か。

 竜之進はゴーレムとの距離を取る。

 雪が激しさを増し、風にあおられて横から吹きつけてくる。

 視界がけぶり、二度、三度と瞬きをする。

 ゴーレムは目の前だ。しかし、影は……。

 竜之進が視線を動かしたところで、頭上から氷の矢が来る。

 近い。これは……。

「危ない。親分!」

 オックが現れて竜之進を突き飛ばす。そこに氷の矢が降りそそぐ。

「うわっ!」

「オック!」

「大丈夫。やられてない」

 青い肌のコボルトは手をあげる。腕から血を流していたが、たいしたことはなさそうだ。

 オックが右に跳ぶと、氷の矢が迫る。それを巧みにかわしつつ、前に出る。

 竜之進はオックを横目で見ながら、ゴーレムに迫る。

 くそっ。刀が折れてもかまわないから、強引に攻めるか。

 ゴーレムの動きにあわせて、竜之進は八双に構える。集中力を高め、攻めかかろうとした瞬間、エマの声が響く。

「お待たせ。敵の目を引きつけて」

「おうよ」

 雪が激しさを増して、巨人に降りそそぐ。肩はすでに白く染まっている。

 風が吹き、斜めに粉雪が舞いあがったところで、竜之進は左に跳ぶ。

 石の巨人は彼の後を追ってくる。動きは遅いが、離れることはない。

「風よ。我に力を貸し、外法の怪物を挑め」

 エマは詠唱すると、三つの魔道具が浮かんで輝く。

 巨大な魔術の流れが集中していることがわかる。これはすさまじい。

「進め、吠えろ、たかぶれ」

「エマ!」

「くらえ、真空斬り!」

 エマが腕を大きく振りおろすと、風が逆巻き、雪が舞いあがる。

 その直後、ゴーレムは見えない刃に切断されて、ばらばらになった。腕と足が飛んで、胴体があおむけに倒れる。

「急いで。今のうちに」

 竜之進はゴーレムに駆けよると、首の後ろを覆う石板を引き剥がす。

 黒い文字がある。竜之進は脇差を抜くと、その切っ先で文字を削っていく。

 二つの文字が消えたところで、ゴーレムの身体が砕けた。粉々になって、石の山と化す。

 竜之進は大きく息をついて、その場に膝をついた。

 きわどいところだった。エマがあの大業を出してくれなかったら、どうなっていたか。

「エマ、大丈夫か」

「何とかね」

 赤髪の少女は両膝をついていた。相当に消耗しているようだ。

「あっ、あいつが逃げる」

 オックの声に視線を向けると、影が再び闇に消えようとしていた。

「行かせるか」

 竜之進は脇差を抜くと、投げつける。

 肩をつらぬかれて、影はその場に崩れ落ちた。

 すぐさまオックが駆けより、その頭巾を引き剥がす。

「あっ!」

「どうした?」

「顔が……」

 竜之進が歩み寄ると、魔術師の顔は溶けて崩れはじめていた。あっという間に骨だけになってしまう。

「当たったのは肩だ。手傷にはならないはずだが」

「口封じだよ」

 エマが歩み寄ってきても竜之進の傍らで溶けた魔道士を見おろした。

「正体が露見しそうになったから、跡を消して、その先を探られないようにする。この事件、思ったよりも奥が深かったね」

 竜之進は、白く染まる茶の外套を無言で見おろしていた。


「調べてみたが、正体はわからなかった。手がかりもまるでない」

 石段に腰をおろしながら、アデールは語った。その表情は渋い。

 彼女が話をしているのは、南地区の商店街だ。片隅に石段があり、休むときによく使われている。

「半日で骨も砕けて、塵になっちまった。確認できたのは、手の甲にあった刻印だけさ」

「何だ、それは」

「主人への忠義の証しさ。生きている間は恩恵を得られる。危なくなれば、それがたちまち命を奪う。魔術師の世界ではよくあることだ」

「やはり誰かが後ろで糸を引いていたのか」

「不老不死だからね。金も手間もかかる。一人でできるものじゃないから、どこかの貴族が動いていたとしても不思議ではないね」

 住み処にも何もなかったとアデールは語った。訪ねてみたら、何もかも持ち出されていて、家はきれいに片づいていたとのことだった。

 魔術の世界は奥が深い。どこで何が動いているのか、よく見えない。

「今回はこれまでだ。この先を探るのは無理だね」

「悔しいな」

「あたしもさ。魔術は己の欲を叶えるためにあるわけじゃないからね」

 アデールは笑った。

「今回は、勉強になったよ。おもしろい男がいると聞いていたが、ここまでとは思わなかった。ゴーレムに刀で挑むとは、馬鹿もいいところだ」

「ぬかせ」

「ただ、その馬鹿が動いてくれたおかげで、あたしは大事のものを取り戻すことができた。それには感謝している。ありがとうよ」

 アデールは立ちあがる。

 その見つめる先には、白の外套を着た娘がいた。エマだ。

 オックといっしょで、竜之進たちを見つけると駆けよってきた。

「ばあちゃん、頼まれた買い物してきたよ。まったくこんな重い物を」

「魔術の本だからね。あんたの役にもたつはずさ」

「正式に弟子になったか」

 竜之進に声をかけられて、エマはうなずいた。

「うん。がんばっていい魔術師になるよ。いざという時は頼りにしてよ」

「そうする。じゃあ、うまくやれよ」

 エマは笑って一礼すると、アデールと肩を並べて石段の前から離れていく。

 その姿が消えるまで、竜之進はその場に残って見送っていた。

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