第29話

「それでは、あっしはここで」

 始末屋のタスカが頭を下げた。竜之進が魔術師地区を訪れると知って、彼は案内役を買ってくれた。

 魔術師は、ヴァルドタントの西、ナム門の北側に集中的に住んでいる。古い建物が多く、近寄りがたい雰囲気がある。竜之進も近くまで来たことがあったが、妙な威圧感にはばまれて入る前に引き返していた。

「すまねえな。こんなところまで」

「いえ、縁のある話ですから。役に立って何よりです」

「おう。身体を大事にな」

 竜之進がこづかいを渡すと、タスカは頭を下げて受け取り、立ち去った。

「さてと」

 竜之進は横道に入り、右に左に曲がりながら、奥へ向かう。

 目的の家は城門に近い場所にあった。

 平屋で、左右を三階建ての建物に挟まれている。壁は白で、他の建物と違っていることもあり、ひどく浮いて見えた。

 竜之進が呼び鈴を鳴らすと、カン高い声が響いて扉が開いた。

「来たね、待ってたよ」

 姿を見せたのは、若い娘だった。

 背は大きく、竜之進と同じぐらいだ。骨太ではあるが、無駄な肉はついておらず、身体はすらりとしている。

 手首まで隠れる袖の長い上着に、赤の裳袴スカート、黒の前掛けといういでたちだ。

 赤い髪と、薄い茶色の瞳が印象的だ。

「おう。あんたが水野竜之進かい。話は聞いているよ」

 太く大きな声で、女は語りかけてくる。

 竜之進は左右を見る。

「アデールはどこだ? 俺はそいつに会いに来たんだが」

「何を言っているんだい。あたしがアデールだよ」

 若い娘は腰に手をあてて胸を張った。

「ヴァルドタントにその人ありと言われた魔術師。もっとも今は何でも屋だがね」

「何だって。そんな」

 竜之進は驚いた。話に聞いていたのは、まるで違う。

「どうしたんだい?」

「いや、何というか。おぬしは本当にアデールなのか」

「間違いないよ。この人があたしのおばあちゃん」

 奥から同じく赤い髪の娘が姿を見せる。

 エマだ。どこか呆れたような表情である。

「エレーネさんが紹介したのは、間違いなくこの人。気にしないで。わざと、こういうふうにやっているんだから」

 信じられない。顔立ちは似ているが、どう見ても三〇前にしか見えない。二〇代半ばといっても十分に通用する。

 エマの祖母というよりは母、いや姉だ。

「魔術で若く見せているんだよ。今年でいくつだっけ?」

「68だよ。若い男に言うと、驚かれるけれどね」

「あきれたな。魔術はそんなこともできるのか」

「ばあちゃんが特別なだけだよ。わざわざ帝都から魔術師会の会長が聞きに来るぐらいだもの」

 エマが席を勧めてきたので、竜之進は腰を下ろした。

「エレーネの紹介っていうから、どんな奴かと思っていたが、なかなかいい男じゃないの」

「手を出さないでね、ばあちゃん」

「いいじゃないか。たまには若い男の気を吸わないと、老けちまうよ」

 アデールは笑う。豪快なふるまいに、さすがの竜之進もひるむ。

 エレーネに相談をもちかけた時、魔術に詳しい人物ということで紹介してくれたのが、彼女だった。長い付き合いで、その人となりはよく知っているとのことだったが。

 その時にエマの祖母と聞かされていたので、不気味な老婆が出てくると思っていたが、その予想は見事に裏切られた。

「さて、じゃあ、話を聞かせてもらおうか」

 竜之進は、アデールにうながされて事件の経緯を語った。

 死体の様子はもちろん、周囲の状況や発見者の供述、さらには謎の影に襲われた時に起きた事を細かく説明した。

「なるほどね。この子からも話は聞いていたが、そこまでとはね」

「どうだい。やっぱり魔術師の仕業かい」

「間違いないね。あんたらを襲ったのも同じ奴だよ。周囲を探られて鬱陶しくなったか、それとも、あんたらからも欲しい物を手に入れようとしたか」

「なんだい、それは」

「死体の腹はざっくり開いていたんだろう。だったら、内臓を取ったに決まっている」

 竜之進は顔をしかめた。エマの表情も青い。

「アクトゥス派の魔術師は、生き物の身体や精神から魔術の素材を抜き取る。たいていは血をちょろっと抜くぐらいなんだけどね。たまに悪い連中がいて、生きている人間の贓物をねらうのさ。生きがいいから、使い勝手もいい」

「魚かよ」

 腹立たしいが、それならば死体が無惨だったことの説明はつく。

「下手人に心あたりはあるか」

「今はない。仲間にも尋ねてみたが、それらしい魔術師は見つからなかった。ただ、アクトゥス派の連中は目立つから、十日もすれば、見つけることができる」

「それじゃあ遅い。犠牲者が出てからじゃ困る」

「わかっている。あたしだって、この子がやられて、腹がたっているんだ。使い魔を出しているから、そろそろ動きはつかめると思う」

 アデールが手を振ると、卓に白い鳥が現れた。ぱっと飛びあがって、竜之進の頭上でくるくる回る。

「エマの肩には、魔術の痕跡が残っていた。それを辿っていけば、魔術師本人を見つけることができる。術者が強力であればあるほど、どこにいるか探りやすい」

「ありがたい話だが、エマは大丈夫なのか。傷が広がるようなことはないのか」

「心配してくれるのかい。ありがとうよ。穢れはとってあるから、平気だよ」

 アデールが見ると、エマは照れくさそうにうつむいた。

「お茶のおかわり、入れてくるね」

 エマが台所に行ったところで、アデールが卓に手をついて頭を下げた。

「話は聞いたよ。ありがとうよ。あの娘の面倒を見てくれて」

 いきなりのことに驚くも、竜之進は軽く手を振った。

「たいしたことはしてねえ。むしろ、こっちが世話になっているぐらいだ」

「いや、あんたのおかげで、あの娘は変わった。盗みはしていないようだし、何より、ここに顔を出すようになった。今まではヴァルドタントにいても寄りつかなかったからね」

 アデールはちらりと台所を見る。

「あの娘が何をしてきたか聞いたかい」

「ざっとな」

「エマがああなったのは、あたしのせいでもある。娘にきつく当たりすぎた」

 アデールは大きく息をついた。

「元々、娘とは折り合いが悪かったが、一四の時に大喧嘩になって家を出て行っちまった。意地を張って捜さなかったから、盗人に落ちぶれていることに気づかなかった。病にやられて死んだこともね。あたしがエマと会ったのは三年前。移り住んですぐの時だね」

「生業を知ったのは、その時か」

「ああ。すぐに辞めるように言ったけれど、聞かなかった。あの時のエマは飢えた野獣のようでね。手がつけられなかった。正直、いつか捕まって、死罪になっちまうんじゃないかと不安だった」

「それでも気はかけていたんだろう」

 竜之進はやさしく語りかけた。

「だから、エマはヴァルドタントに残った。面倒くさいと思ったら、とっとと町から出ていったさ。何か引っかかる思いがあったからこそ、付かず離れずだった」

「でも、盗人をやめたいって言い出したのは、あんたのおかげだよ。何かが変わってきたんだと思う」

「それも、どこかできっかけを捜していたからだ。もう盗みから心は離れていた。俺が言わなくてもそうなっていたさ」

 人は変わることができる。

 いつだって、どこからだって。

 エマもそうだ。支えてくれる者もいるのだから、なおさらだ。

「あとは、いい仕事だな。そのあたりの面倒は見ねえと」

「それは大丈夫だよ。あたしの跡を嗣ぎたいって言っているから」

「魔術師か」

「素養はある。鍛えれば、何とかなるだろ」

「何の話?」

 エマが茶を持って台所から戻ってくると、アデールは声のトーンをあげて応じた。

「不肖の弟子をとって、大変という話さ。これから役にたってもらわなきゃ困るよ」

 エマは小さく息を呑むと、竜之進を見る。

 竜之進がうなずくと、照れくさそうな笑みを浮かべた。

 なんだ、いい顔じゃないか。

「さて、じゃあ、今後のことについて話をしようかね。じゃあ……」

 そこで窓を叩く音がして、全員が視線をいっせいに向ける。

 白い鳥が家に入る機会をうかがっていた。使い魔だ。

「戻ってきたね」

「わかったのか」

「ああ。これで面倒くさい魔道士をふんづかまえてやれる」

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