第27話

 食事もほどほどに、二人は店を出て、遺体が見つかった現場に向かった。

 到着した時、日は暮れており、周囲は闇につつまれていた。人気はなく、響くのは運河を流れる水の音だけだった。

 エマは現場を丹念に調べて回った。死体が転がっていたところはもちろん、その周辺も地面に膝をつき、時には地面をなでてまで、何かを探していた。

 竜之進が話した柳の木も細かく調べていた。

 改めて調べてみると、幹はひどくねじ曲がっていた。さながら布を絞ったかのように、樹皮がゆがんでおり、一部には深い切れ目が入っていた。

 枝にもねじれが見てとれ、尋常ではない力が注ぎ込まれことがわかる。

「やっぱり、そうだ」

「何かわかったか」

「ああ、ここには強力な魔術を使った跡がある。手を下したのは、おそらく魔術士だ」

 エマは竜之進を見た。

「あんた、魔術についてどれぐらい知っている?」

「ほとんどわからん。いろいろと見たり聞いたりしたがな」

 江戸に魔術は存在しない。

 幽霊話や不可解な物語はいくつかあったが、それとは根本的に異なる。この世界に来てはじめて知った事柄で、正直、いまだになじめない。

「魔術は、この世界を作った神が伝えた秘術を使って、世界の叡智に迫る学問なんだよ。水を動かしたり、火をおこしたりするのは、結果でしかない」

 神は天地創造から数万年後に世界を去ったが、その時、親交のあった人間に知識を伝授し、自在に使うことを認めた。極めれば森羅万象を操り、己の欲する時に欲する物を手にできるという。

「ただ、神は魔術が悪用されるのを怖れて、知識を分けて伝え、そのすべてがそろわないと真価が発揮できないようにした。それは、神の人間に対する不信感の現れでもあったんだけど、結果として、それは正解だったね。みんな、己の欲望に忠実で、真理を究めようなんて思わなかったもの」

「世知辛い話だ」

「魔術師は、己の欲望を叶えるため、同じ魔術から知識を奪い取ろうとして争った。長い年月が経つうちに、流派は対立し、二度と交わることはなくなった。残ったのは、たわいもない技を競う連中だけ」

 現在、残る魔術の系統は四つ。

 過去の書物から暗号を解読して、魔術を駆使するギリストク派。

 瞑想によって、神の叡智と直に接触しようとするコソム派。

 師匠から知識を伝授され、四大元素を操るムラーノ派。

 生き物の身体から魔術の素材を抜き取るアクトゥス派。

「そいつは……」

 竜之進の背筋が冷える。

「まさか、例の死体は……」

「そうだね。やったのは、アクトゥス派の魔術士だと思う。野生の動物から抜き取ることは珍しくないし、生きている人間から血液を通して、魔力を得ることもある。でも殺してまで奪い取ったことは、今までなかった」

 エマは手を握りしめた。

「許せない。相手には家族もいたのに」

 怒気が身体をつつむ。さながら青い炎がつつんでいるかのようだ。

「お前さんはまっすぐな女だな」

 竜之進は声をかけた。

「だからこそ、一つ聞きたい。なぜ、盗人になった? まっすぐな気性を生かしていれば、他にもやりようはあっただろうに。なぜ、道を間違えた?」

「やりたくてやったわけじゃないさ」

 エマは大きく息を吐き出した。

「あたしは母親が早くに亡くなって、父親に育てられたんだけど、そいつがどうしようもないクズでさ、酒は呑む、博打はするで、あたしを育てような気はさらさらなかったわけさ。八歳になったら、売り飛ばすって豪語していたからね。あのままだったら、今頃は帝都で、春を売っていただろうね」

「死んだか」

「ああ、誰かに刺されてね。で、行き場を失ったあたしは盗賊の頭領に拾われた。あとは、お決まりの道だね。ひととおり教え込まれたよ」

 エマは口元を歪めた。

「いい生徒だったと思うよ。とりわけ鍵開けはうまくてね。ほら、ムイロ男爵の宝物蔵。あそこの鍵はなかなかの代物だったけれど、あたしには簡単だった。あっという間にあけちゃったよ」

「よせ」

「スリの腕前だって、一級品さ。何だったら、今からでも今夜豪遊できるだけの……」

「やめろと言っている。自分を傷つけるような言い方はするな」

 エマは黙った。

 北からの風が吹きつける。

 季節は冬。陽が落ちれば、町はさながら氷につつまれたかのように冷え、立ってだけで足元から冷気がこみあげてくる。

 厳しい寒さが支配する中、竜之進は動かず、エマが口を開くのを待っていた。

「ずっと帝都で仕事をしていたんだけど、二年前、このヴァルドタントに流れてきた。追い出されたようなものだけど、それがかえってよかったかな」

「ここへ来てからは、ずっと一人か」

「まあね」

「お前さん、さっき話したいことがあるとか言っていたな。それは、もしかして……」

「察しがいいね。そういうの女にモテるよ」

 エマは腰に手をあて、空を見あげた。

「この間、歌姫の歌を聴いて思ったんだよね。あたしは何をしているんだって。前から、仕事には不満があったんだよ。義賊だ何だと言っても、人の物を盗んでいることには変わりがないからね。気になっていたんだけど、無視してきた。でも、あの澄んだ声でこの町と人のことを歌われてしまうと、何か自分が穢らわしい者のように思えてきてね。何とかしなきゃなあって考えたんだ」

「だったら、足を洗うがいい。今なら間に合う」

「でも、あたし盗人しかやってこなかったんだよ。他にできることなんて」

「ある。お前さんは、性根のまっすぐな、いい娘だ。しっかり選べば、どんな仕事でもできるさ」

「そうかな。本当にできるかな」

「もちろんだ。何だったら……」

 竜之進はそこで口をつぐむ。

 殺気だ。それも途方もなく強い。

 どこからと思った時、エマが声をあげる。

「後ろ!」

 反射的に横に跳ぶと、石畳に火の矢が突き刺さる。

「何者だ!」

 彼が顔を向けると、運河沿いの道に黒い外套が浮いていた。

 人の形はしているが、手足は闇に溶け込んでいて、はっきりしない。

 顔も大きい頭巾に隠されていて、目鼻立ちを確かめることはできない。

 人間なのか、エルフなのか、ドワーフなのか。

 あるいは、それ以外の何者かなのか。

「魔術士だ!」

 エマが叫ぶ。

「くるよ。備えて!」

 竜之進が兼定を抜くと、影が揺れて、氷の柱が飛んできた。

 右に避けるも、袖が切り裂かれる。

 つづく一撃は刀で叩き落とす。

 空気が逆巻き、竜之進の身体をつつみこむ。

 竜巻だ。身動きが取れない。

「くそっ!」

「風よ、散れ!」

 エマが白い袋を投げると、それは空中で弾けた。

 白い粉が周囲に広がると、竜巻は消え去り、竜之進は自由を取り戻した。

「大丈夫かい」

「ああ、何とかな」

 竜之進は黒い影を見つめる。

 ヴァルドタントに住んでいれば、魔術とのかかわりは増える。

 歓楽街では魔術を使った大道芸が頻繁におこなわれているし、ヴェンタのでは魔術の占い師が露天の店を広げ、道行く人々の運勢を見ている。

 ヴェルデを助けた時には、エマから閃光の魔術具を借り、目くらましに使った。

 だが、ここまですさまじい敵ははじめてだ。確実に竜之進を殺すつもりでいる。

「あいつ、相当に強いよ。気をつけて」

「わかっている」

 黒い影が左右に揺れる。

 大きさが微妙に変わったところで、影が不意に距離を詰めてきた。

 さながら空を飛んだかのような動きで、たちまち一足一刀の間合いを超える。

 竜之進は横様に剣を振る。

 切っ先が身体を捉えたかのように思えたが、まるで手応えがない。

 黒い手が伸びてきて、彼の首に迫る。

「壁!」

 エマが袋を投げると、目に見えない壁ができて、行く手をはばむ。

 そこで影は進路を変え、エマに迫る。

 右手を振ると、氷の矢が飛び、その一本がエマの肩をつらぬく。

「くそっ!」

 竜之進は神経を集中し、気配がもっとも濃いところを捜す。

 右胸に空気の歪みがあるのを見出した瞬間、竜之進はためらうことなく突きを放つ。

 切っ先が何かをつらぬく。

 肉とも、皮ともつかぬ妙な手応えだ。

 影はひゅいっと声をあげ、下がった。

 視線を感じる。間違いなく彼らを見ている。

 竜之進がさらに前に出ると、影は運河沿いまで大きく後退した。

 風が横から吹きつけ、竜之進は視線をそむける。

 再び視線を戻した時、影は現れた時と同じように唐突に消えていた。

「くそっ!」

 何とも腹立たしい。取り押さえるどころか、動きを見切ることすらできないとは。

 いさぎよく下がったところから見て、これで終わりではあるまい。再戦となった時、満足に戦うことができるのか。

 竜之進は唇を噛みしめると、エマに駆けよる。

 彼女のおかげで助かった。まずは手当だ。

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