第24話

 竜之進が広場に入るのにあわせて、声があがった。

 子供が、立てた棒のさらに上に立ち、ぱっと手を広げる。次いで、巧みに身体をひねって棒に両足をからみつけ、半身をそらして、軽く手を振る。

 棒と一体化になっているかのようで、観客は子供の動きにあわせて歓声をあげる。

 左の奥では、駒を使って若い男が芸を見せている。

 手や足、肩、さらには近くで見ていた子供の頭にのせて、見ている者を喜ばせていた。

 心地よい香りは手前の屋台からだ。肉を焼いているらしく、客が集まっている。

 ヴァルドタントは、ふた月に一度、中央広場で祭りを開いている。最初は買い物客が集まっていたが、それを当て込んで芸人が集まるようになり、いつしか小さな祭りになった。

 いまや町の風物詩であり、郊外からも客が来る。

 この日は無礼講で、貴族でも市民でも自由に買い物ができる。話をするのも自由で、よい情報交換の場になっていた。

 竜之進は人混みを抜け、噴水に歩み寄る。

 中央広場の噴水は、町を斜めに突っ切る運河に結びついており、豊富な水量を生かして大量の水を噴きあげる。

 池は地面よりも低いところに掘り下げられていて、中央に大きな龍の彫刻がある。三体が三角形に配置されていて、それぞれが大きな盃を頭に乗せている。

 水はその盃から吹きだす形になっていて、水流は龍の身体を勢いよく流れ落ちる。

 時間によって水流は変わり、正午がもっとも多くなる。

 目立つ場所にあるせいか、芸人も多く、今は吟遊詩人がヴァルドタントができあがった頃の逸話を歌いあげていた。

「どうだい、楽しんでいるかい」

 よく透る声に顔を向けると、エマが歩み寄ってくるところだった。

「今日は天気もいいから、人の出も多い。それをあてこんで、芸人もずいぶんと顔を出しているようだ。いいね」

「そうだな。この感じは悪くないな」

 そこで竜之進が目を細めると、エマは笑った。

「心配しなさんな。今日は悪さはしないよ。大事な日だからね。おっ、来たようだ」

 エマが視線を向けた先には、貴族がいた。

 二人で、一人は若く、もう一人は髭も髪も白い男だった。

 若い男には見おぼえがある。

「お久しぶりです。水野様。また会えてうれしいですよ」

「そっちこそ。元気そうで何よりだ、ベルトラン殿」

 ベルトラン・コームヴィは小さく笑った。

「エマに頼まれましてね。紹介してほしい人物がいると」

「何だ、お前のいう伝手というのは、ベルトラン殿のことか」

「当然。まだ付き合いはあるからね。あ、悪いことはしてないから。それに、この人、意外と貴族社会で顔が広いんだよ」

「頼まれて、こちらの方を連れてきました」

 ベルトランが示したのは、もう一人の老人だ。いや、表情の鋭さから見て、老将と言うべきか。

 蘇芳色の上着を着て、白の洋袴ズボンをはいている。上着には金のボタンがずらりと並び、袖には凝った装飾がついている。

 それでいて腰に吊した剣は拵えが質素で、日常的に使っていることが見てとれる。

 青い瞳は、まっすぐ竜之進に向けられていた。

「第三五代ヒーム伯爵、メノン・エウダモス・ラモエドン様です」

「よろしく頼む」

 低い声に、竜之進は思わず頭を下げていた。

「水野竜之進です。ご高名は以前から」

 ヒーム伯爵は、ヴァルドタント西方に領地を持つ大貴族だ。今の帝国ができる前から存在する一家で、建国にあたって大きな功績があったという。

 貴族の中でも特別な地位を与えられており、帝国の宰相ですら頭を下げる。配下の騎士団は帝国屈指の実力で、三十年前の戦争でも大きな功績を挙げた。

 現在はヴァルドタントに住み、市政ににらみを利かせている。彼がいるからこそ、市長は暴走せず、エルフやドワーフも無理を言わずに従っていると言われるほどだ。

「今日はよしなに」

「ベルトランから例の件を解決すると聞いた。事実か?」

 いきなり核心を聞いてきた。なるほど、これは容赦がない。

「さようで」

「私も気になっていた。ここのところ南地区の動きがおかしくて、調べてみたところ、エルフの娘がかかわっていると言う。儂が動くと何かと面倒で手をこまねいていたところに、話を聞いた」

「大物過ぎると大変ですな」

「エルフの件、どうやって片をつける?」

「間もなく舞台がはじまります。それさえ聞いていただければ、よいかと」

「舞台だと?」

「はい。それですべてが決まります」

 何とか準備は整った。あとはヴェルデ次第だ。

「おう、ようやく見つけたぞ」

 巨漢が身体を揺らしながら現れた。サルサレードである。

「見つけたぞ、このへっぽこ野郎。ヴェルデをどこへやった」

「さあね。俺は知らないよ」

「これ以上、好きにはさせんぞ。何を企んでいるのか知らんが、見つけ次第、連れ帰る」

「それが許されるのであればな」

「なんだと」

「間もなく、あの娘は現れる」

 竜之進は、視線を噴水につながる水路に向ける。

 ちょうど船が運河から水路に入ったところだった。漁師が使うような小船で、ゆっくりと噴水に近づいている。

「はじまった」

 船上にいるのは、二人のエルフ。

 櫂を操るのはカターで、船の中央で腰を下ろしているのはエレーネだった。

 美しいエルフの実力者の姿に、いっせいに視線が集まる。

「いったい、何を……」

 サルサレードがつぶやいた時、小船は静かに止まった。

 エレーネは立ちあがり、何事か詠唱する。

 直後、風が吹き、水路から水の塊が浮かびあがる。

 それは小さな渦巻きとなって、高く伸び、やがて空中で弾けた。

 水滴が美しく飛び散り、噴水の周辺で光が飛び散る。

 風が吹き、水滴が一瞬だけ集まって、水の幕を作る。

 それが消えた瞬間、エルフの娘が噴水の前に立っていた。

 ヴェルデだ。薄い緑のドレスを着て、白の長い手袋を身につけている。

 銀の髪飾りが水滴を受けて、美しく輝く。

 水の魔法を使った派手な演出で、広場に集まった者の視線は緑の髪の娘に注がれていた。

「何をするか。勝手にはやらせん」

 サルサレードが前に出た瞬間、ヴェルデの歌がはじまった。

 気高く、美しい。

 噴水から少し離れているにもかかわらず、その声ははっきり聞こえる。

 歌は、ヴァルドタントの素晴らしさを語っていた。

 美しい町並み、あざやかな運河、堅牢な城門、高々と伸びる尖塔。

 彼女が歌うと、さながら自分の眼で見ているかのように情景が思い浮かぶ。

 ヴァルドタントの歴史は、およそ三〇〇年。

 その間、さまざまな出来事があった。

 戦火に焼かれたこともあったし、市民が対立して激しく争ったこともあった。洪水で町の半分が沈んだ日々もあった。

 五十年前には、他国に占領されて、苦しい時期を過ごした。

 その時代を乗り越えて、ヴァルドタントは繁栄の時を迎えている。

 子供から老人、貴族から物乞いまで、多くの民をその裡に抱えこみ、守っている。

 戦火に対しては父のように戦い、嵐に対しては母のように守る。

 ヴァルドタントの美しい姿を、ヴェルデは淡々と歌いつづける。

 ふと横を見ると、エマが涙を流していた。

 ベルトランも、そして他の町の者も静かに泣いている。

 ヒーム伯爵すら気持ちが高ぶっているのか、うつむいている。

 圧倒的な歓喜が広場を包みこむ。

「ああ、ああ……」

 声をあげたのは、サルサレードだ。うつむき、膝をつく。

 彼の目に涙はない。あるのは絶望だけだ。

「ダメだ。これはダメだ」

 何が起きているのか、彼は完璧に理解していた。それが彼にとって最悪の結果をもたらすことも。

 彼女の歌は、ヴァルドタント市民の心を完全につかんでいた。もはや離すことはない。

 最後にヴァルドタントの民を褒め称えたところで終わったところで、ヴェルデは口を閉ざした。

 広場を静寂がつつむ。

 雲の背後から、太陽が現れ、彼女を照らす。

 その瞬間、爆発的な歓声があがった。

 いっせいに拍手が響いて、町の者が彼女を讃える。

「歌姫だ!」

 誰かが声をあげる。

「ヴァルドタントの歌姫だ!」

 最高の褒め言葉が広場に覆い尽くしていく。

 歌がすべてをひっくり返した。一瞬で彼女は自らの生きる道を切り開き、不動のものとした。

 歌合戦など必要ない。民が歌姫だと認めれば、それで十分だ。

 彼の前で歌姫を求めて群衆が声をあげる。

 聞きたい、彼女の声を、歌を。もっともっと。

 竜之進が視線を向けると、ビーム男爵は彼を見てうなずいた。後はまかせろといいだけだ。

 求めに応じて、ヴェルデは声を静かに発する。

 それは、新しい伝説のはじまりでもあった。

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