第23話
竜之進は屋根を下ると、天窓に手をかけた。枠を軽く叩くと、すぐに窓が開く。
「あなたは……水野様」
「またまた、こんな所からですまねえな」
ヴェルデは驚いていたが、彼を追いはらうそぶりは見せなかった。
「中に入れてくれねえか。滑って落ちそうだ」
「どうぞ。変わりばえしませんが」
ヴェルデに導かれて、竜之進は屋根裏の居室に入った。
「寒くありませんか」
「いや、大丈夫だ。むしろ、暑いぐらいだ」
「ちょっと待ってください。お茶を入れますから」
「その時間はない。すぐに仕度してくれ。ここからお前さんを連れ出す」
ヴェルデは緑の瞳を向けてきた。その輝きはわずかに曇っていた。
「気持ちはわかる。だが、前にも言ったとおり、お前さんは利用されている。サルサレードは貴族に取り入って、この町の市民権を手にするつもりでいる。それも単なる町の民ではなく、一つ上のな」
竜之進はサルサレードの身辺を調べ、そこで彼がヴァルドタントに定住するだけでなく、その市政にも深くかかわるつもりであることがわかった。
ヴァルドタントの住民は、王侯、貴族を除けば、すべてが市民という扱いだ。
ただ、納める税金や資産で、市政にどこまで参加できるかが定められており、市議会に投票できる住民は上級市民として特別な扱いを受けている。
住居は貴族と同じ南地区で、絹のローブを着用することが許される。市中での馬車を利用でき、市庁舎に乗り付けても文句を言われることはない。
上級市民になるには厳しい規則があり、単に金を持っているだけでは申請してもはねのけられてしまう。ただでさえ、旅芸人が市民になるのはむずかしいのに、その上の上級市民として選ばれるのはありえない話だ。
そこにサルサレードは挑んだ。ヴェルデを武器にして、貴族や大商人と会って歓心を得て、上級市民権獲得のための策を講じたのである。
「この町に誰が住もうとかまわねえ。ただ、わかっていて、町を引っかき回すような奴は許さねえ。己の利だけを追いかけて、人を泣かせるなんて最低だぜ」
「私も感じていました。何か違うと」
ヴェルデは静かに語った。
「貴族様の奥様や娘さんたちは、一生懸命、歌を学んでいます。それは本物です。でも、その一方で、町の娘さんに教える機会はひどく減っていて。そのことを言うと金にならないからと言われました。それは違うと、私は思います」
「歌に罪はねえぞ」
「はい。歌は人の心を豊かにします。つらくても聞いて歌えば、先のことに目を向けるようになります。倖せになるために皆に歌って欲しいのに、このままでは」
ヴェルデは、竜之進を見つめる。
その瞳には、これまでにない意志の強さがある。
「連れて行ってください。お願いします」
「心得た」
竜之進はヴェルデを背負って、屋根の上に出た。
「大丈夫か」
「はい。行きましょう」
竜之進はゆっくり棟の上を歩いていく。
風が吹いて身体が左右に揺れるが、足に力を入れて、何とかしのぐ。
月光が周囲を照らし、赤い屋根が浮かびあがる。
三つ先まで行けば、下に降りることができる。
思い切って足を踏み出した時、殺気が逆巻いた。
周囲に人影が現れる。前に三人、後ろに二人。
いずれも黒装束で、覆面で顔を隠している。
「そこまでしてもらおうか。へっぽこ同心め」
もう一つ、人影が現れる。腹の出た身体で、よく身体に立っていられると思う。
サルサレードだ。夜でも眼光の鋭さを感じる。
「人さらいめ。ヴェルデは行かせぬぞ」
「そう言われてもな。本人が行きたいのだからな。止めることもできぬ」
「よく言う。その娘に自分の意志などない。ただ歌うことしか考えておらぬ」
「そうかな」
竜之進が背から下ろすと、ヴェルデは前に出て、サルサレードを見つめた。
「私は行きます。これは自分の考えです」
「なんだと、貴様……」
「私は、人を倖せにするために歌うのです。誰かを傷つけるつもりありません。よこしまな歌は人をおかしくします」
よく透る声が夜の闇に響く。強い意志を感じる。
ヴェルデは自ら前に出た。ただ操られるだけの娘ではない。
「止めないでください。私はこの世界に触れたい」
サルサレードの頬が赤く染まる。その手は細かく震えていた。
「行かせるか。ヴェルデは取り戻せ。男は殺せ」
前の二人がすらりと剣を抜き、後ろの男たちは間合いを詰める。
竜之進は前に出て、忠吉を抜いた。
足場の悪い屋根の上で、四人を相手にどこまで戦えるか。きわどい。
横風が吹きつけ、身体が揺れる。
それを待っていたかのように、前の男が傾いた屋根を全力で走って距離を詰めてくる。
強烈な突きが放たれ、切っ先が袖をかすめる。
竜之進は横薙ぎの一撃を放つも、足に力が入らず、中途半端になる。
男がさっと下がり、入れ替わるようにして、もう一人の敵が剣を繰りだす。
たてつづけの突きで、最後の一撃は首筋をかすめた。
「こやつら、忍びか」
「あきらめろ。お前では勝てぬ」
サルサレードが笑う。
おそろしく身が軽く、一方的に攻められるだけだ。このままでは、やられてしまう。
ならば、ここは捨て身の策に出るしかないか。
「いいな。俺の言うとおりにしろ」
竜之進は後を見ると、ヴェルデはうなずいた。
「行くぞ!」
「自棄になったか。ならば、ひと思いに……」
「目を閉じろ!」
竜之進は叫ぶと、懐から白い石をつかんで放り投げた。
間を置かず、屋根の上で閃光が広がる。
「うわっ」
サルサレードが目をふさぎ、男たちの動きが鈍る。
エマから託された魔道具だ。一瞬の閃光で相手の視界を奪う。長くは使えないが、使いどころを選べば効果的と言われていた。
閃光の一撃は、まさに敵の虚を衝いた。
そこをねらって、竜之進は間合いを詰め、刺客の男を切り伏せた。
一人、ついでもう一人。
胸を斬られて、二人は屋根から落ちていく。
振り向きざま、竜之進は後ろからの敵に剣を繰りだす。
強烈な突きが咽喉元を切り裂く。
ついで、横からの一撃をかけるが、それは気配を察した敵にかわされてしまった。
態勢を立て直して、突きを放つも、敵は下がってかわす。
直後に、短刀を放り投げ、竜之進の胸をねらう。
竜之進は身体をひねってかわしたものの、思わずよろめき、棟から足が離れてしまう。
半回転して、身体は屋根から落ちる。
まずいと思ったその瞬間、何かが下から彼を支えた。
一気に身体が持ちあげられて、屋根の上に戻される。
「これは、風か」
「はい。風の精に頼みました」
振り向くと、ヴェルデが笑っている。
「私もエルフの端くれです。風の魔術ぐらいは使えます」
「助かった。あとは」
竜之進が刀を構え直すと、刺客が迫ってきた。
その動きは速かったが、直線的だった。
強烈な突きを弾くと、竜之進は右袈裟で刺客を斬りすてた。
周囲を見回すと、屋根にしがみついているサルサレードの姿が見えた。ヴェルデの風で飛ばされたらしい。
「さあ、逃げるぞ」
「はい」
「とりあえず、姐さんのところへ行く。同族だ。無下にはしないだろ」
竜之進はヴェルデの手を取って、戦いの場から離れる。
やわらかい手は、竜之進の右手を握ったまま離さなかった。
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