第21話

 その翌日から、竜之進はエレーネと会えなくなった。会館まで行っても追い返されてしまい、顔を見ることすらできなかった。

 珍しくカターが同情的で何度か取り次いでくれたのだが、まったくダメだった。

 仕方なく竜之進は一人で行動した。

 稽古場の周囲を見て回り、近くの者に聞き込みをし、時にはナンナール一座が公演する広場まで赴いて団員に話を聞いたりした。

 調べを進めていくと、ヴェルデに歌い方を乞う者は増えるばかりで、行列は稽古場から隣の街区にまで伸びていた。

 町の者だけでなく、貴族や商人の娘も教えを求めている。

 ヴェルデの教えを受けた者たちがあちこちで歌声を披露し、腕前があがっていることが明らかになり、その数はさらに増えつつある。

 一方で、町芸者との対立はひどくなり、芸者ギルドが退去を求めて、稽古場に押しかけたりした。グレタも抗議をつづけていたが、ヴェルデの信者が増えたこともあり、立場はひどく悪くなっていた。支援者が一部がヴェルデに鞍替えして、宴に呼ばれなくなることもあるらしい。

 天才エルフの評判は好意的で、力押しで物事を解決するのはむずかしくなっていた。

 結局、竜之進はもっとも単純な方法を採らざるをえなくなった。


「親分、本当に大丈夫なの。一人でいいの?」

「平気だ。おめえは家に帰って寝ていろ」

「でも……」

「いいから。見つかったら、面倒だ。ほら、行け」

 竜之進が手を振ると、オックは何度か振り向きながらも、路地に消えていった。

「さて、ここからだな」

 周囲を見回すと、月光に照らされた屋根がぼんやりと浮かびあがる。

 五軒先の赤い屋根が、ヴェルデの稽古場だ。彼女が最上階で暮らしていることは、調べがついている。

 竜之進が選んだ解決策。

 それはヴェルデと直に会って、その考えを聞くことだった。

 彼女が今回の騒動をどのように考えているのか。

 サルサレードの言うようにヴァルドタントに住みたいのか。それとも他に理由があるのか。

 貴族や商人の宴に通っているのは、何か考えがあってのことなのか。

 ただ、サルサレードの守りは堅く、ヴェルデへの面会は拒まれつづけていた。いまや敵方の一員とみなされており、屋敷に近づくだけで護衛が飛んでくる。

 直に会うためには、少々、無理をするしかないわけで、そのために竜之進は満月の夜を選んで出かけた。

 今は、裏通りの商店主に声をかけて、店の屋根に登らせてもらったところだ。

 江戸の盗人は、木戸番の目をくぐり抜けるため、屋根伝いに移動して商家に忍び込んでいた。このやり方ならば、サルサレードに気づかれることなく、ヴェルデの部屋までたどり着くことができる。

 ただ、いささか暗く、足元がおぼつかないのが不安だが。

「平気だ。このままいけばいい」

 竜之進は、月光を浴びながら足を踏み出す。

 このあたりはすべて切妻屋根で、傾斜が急なこともあり、棟を踏み外したら、あっという間に落ちてしまう。

 家と家の間には隙間があり、飛び越さなければ、前へ行けない場所もあった。

 竜之進は一度、足を踏み外しそうになったが、なんとか踏ん張って、なおも前へ行く。

 ヴェルデの屋敷に到着した時、思わず息をついた。

 天窓の存在は事前に調べてある。

 竜之進は息を詰めて、屋根を下っていく。

 慎重に進めたつもりだったが、最後の瞬間に足が滑った。落ちそうになるところを懸命にこらえる。

 指先が天窓の枠にかかったところで、力を入れる。

 しばらくの間、竜之進は右手一本で身体を支えた。

 何とか上に行きたいところであるが、足の指が滑ってしまい、力が入らない。

 腕一本ではさすがに不安がある。

 どうするかと思ったところで、不意に天窓が開いた。

 緑の瞳の娘が彼を見る。ヴェルデだ。

「あの、どちら様でしょうか」

「水野竜之進という。怪しいものじゃねえ」

 窓にぶら下がっていて、怪しいも何もないが、今はそう言うしかなかった。

「話がしたいんだ。中に入りたいから、ちょっと引っぱってくれないか」

 ヴェルデは首をかしげたが、たいした気にした様子も見せずに窓から身を乗り出すと、竜之進の手首をつかみ、一気に天窓まで引き上げた。

 竜之進は両腕で天窓の枠をつかんだ。あとは簡単だった。

「すまねえな。助けてもらって」

「いえ。落ちなくてよかったです」

 不審人物が現れたのだから騒ぎ立ててもよさそうなものを、ヴェルデは落ち着いて彼をもてなした。

 テーブルを出し、茶を入れる姿に怯えは感じられなかった。

 部屋は四畳半ほどで、寝床に小さな箪笥、それに書棚と鏡台が並んでいた。物は少なく、質素といってよかった。

「思い出しました、水野様。一度、稽古場にいらっしゃいましたよね」

「おぼえていてくれたなら、ちょうどよい。ちょっと話を聞かせて欲しいんだが、いいか」

「はい。私で答えられることでしたら」

 竜之進はヴェルデと向かい合わせで座ると、ゆっくり話をはじめる。

「ここに来る前は、ずっと旅をしていたのか」

「はい」

「いつからだ?」

「子供の頃からです」

「生まれはどこだ?」

「よくわかりません」

「しばらくヴァルドタントで働いているが、ここに住みたいと思っているのかい」

「いいえ」

「だったら、なぜ、ここで稽古をつけている? ねらいは何だ」

「さあ?」

「さあってことはねえだろう。何か考えがあるはずだ」

「別に、何も」

 ヴェルデは首をひねった。

「私は歌えれば、それでいいんです。どこにいようと、何があろうと。そのために私は生きているのですから」

 ヴェルデは竜之進を見ていたが、微妙に視線があっていない。どこか遠くを見ているように感じられる。

 竜之進はヴェルデのふるまいを見て、彼女が嘘をついていないことに気づいた。

「なるほどな。どうやら、お前さんは俺たちと住む世界が違うらしい」

 稀に芸事に己のすべてを捧げる者がいる。ひたすら歌い、舞い、芝居をする。寝ても覚めても芸のみ専心し、日々の暮らしもまともにできない。

 世界のすべてから関心を失い、ただ芸のみに打ちこむ。異能の人物だ。

 ヴェルデはまさしくそれだ。

 心血を注いで歌っているのではなく、歌いつづけることが自然なのだ。自ら歌うだけでなく、歌い方を人に教え、芸を広げていく。それしか興味がないし、できない。

 人としては歪んでいるが、それ故に常人がたどり着くことのできない世界に足を踏み入れることができた。

「じゃあ、おめえさんは何でこの町に来た?」

「サルサレードさんに連れてこられたからです。ここで歌えと」

「貴族の館に出入りしているのも、そうか」

「はい」

 サルサレードも、ヴェルデがどういう女か気づいている。だから、彼女に歌える場所だけ与えて、いいように振り回している。

「サルサレードは何を考えている? 何か訊いているか」

「さあ、何も」

「どこかへ行きたいとか。これをするつもりだとか」

 ヴェルデは首をひねった。

 まるでわかっていないのか。仕方ないが、悔しくもある。

 竜之進は一度、話を切った。

 緑の髪の妖精はじっと彼を見ている。その目に邪気はない。

 子供というのとも違う。さながら森の精がそのまま形になったかのようだ。

 本当に森の精であれば、周囲に関心を持つことはないだろう。だが……。

「このままでいいのか」

 竜之進は思いきって踏みこんだ。

「このまま、人にいいように使われているだけでいいのか」

「……わかりません」

「お前さんの歌はすごい。それは間違いないが、変に利用されているおかげで、他人を不幸にしている。家がおかしくなった者も出ている。誰かを悲しませるために、歌いつづけるりがお前さんの望みなのか」

 はじめてヴェルデの表情が変わった。大きく目を見開いて、首を振る。

「そうだろう。お前さんは人の倖せになってもらいたくて歌っているんだろう」

「はい。私は誰かに喜んで欲しい。この歌で」

「よし。それでいい」

 ヴェルデは、幸福を広めるために、人前に立っている。どこか偏っているところはあるが、人としての心を持っている。それで十分だ。

「なら、今のままじゃいけねえ。何とかしねえとな」

「私は歌えれば、それでいいんです」

「わかっている。だが、それを他人の野心のために使われるのもな。もっと多くの人に……」

 そこで、竜之進の脳裏に閃きが走った。

 そうだ。ちょっと前に話を聞いた。あれがうまく使えれば……。

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