第19話

 竜之進が大門前の稽古場に赴いたのは三日後だった。どうにも腰が重くて、それだけ時間がかかってしまった。

 三階建ての白い建物で、稽古場は二階、事務室は三階だった。

 竜之進が訪ねた時にも、100人あまりが列を成して待っていた。大半は男だったが、着飾った女性の姿も見てとれた。

 種族は人間、ドワーフ、亜人とまちまちだ。

 用向きを告げると、三階の稽古場に通された。

 30畳ほどの大広間には、10人あまりの男女が集まって、声を出していた。歌い方を練習しているらしい。

 思い思いの声で、好きに歌っている。そこには広場でよく聞く流行の歌もあり、どこか皆、楽しげだった。

 ふと視線を転じると、白のドレスを着た娘が男性に近づいて、何事か話しかけていた。

 肌は雪を思わせる白さで、髪は薄い緑色だ。尖った耳が目を惹く。

 背は高く、相手の男性とほぼ同じである。

 顔立ちは、エレーネが気品のある美しさだとすれば、こちらは親しみを感じさせる、やさしい美貌である。町を歩いていると自然と目で追いかけてしまいそうだ。

 あれが、件のエルフだろう。なるほど、噂になるだけのことはある。

 エルフはしばらく男性と話をしていたが、やがて歌いはじめた。

 高い声は驚くほどよく伸び、広い部屋の隅々まで広がっていく。

 聞いているだけで、胸の鼓動が高まる。

 さながら耳元で語りかけられているかのように、心の奥底まで染みこんでくる。

 透きとおった歌声で、この世のものとは思えない美しさだ。天女の声と言われても納得してしまう。

 稽古場の男女は、皆、その声に聞き入っていた。人の心をつかんでやまない強烈な魅力がある。

 しばしエルフは歌うと、今度は男性に自分の真似をするように告げた。

 男性が声を出すと、それは先刻とはまるで違う響きになっていた。エルフの声に引っぱられたかのように透きとおっている。

 当人も周りの者も驚くほどの変化だ。

「どうです。すごいでしょう」

 背後からの声に振り向くと、赤のローブを着た男が立っていた。

 髪は白で、生えそろった髭も同じ色だ。顔は丸く、頬の肉が垂れ下がりそうだ。

 腹は大きく飛び出しており、上着は無理にボタンをかけたせいか皺が入っている。

「ああして、少し教えるだけでうまくなるのです。人が集まるのもわかるでしょう」

「確かにな。俺も教えてほしいほどだよ」

 竜之進顔を向けると、男の目がさっと動いた。

 しっかり値踏みをしている。食えない男だ。

「はじめまして、私はヌーメア・デ・ナンナール一座で座長を務めておりますサルサレードと申します。生まれはミシャでございます」

「おう。国境に近い町だな。話は聞いているぜ」

「ヴァルドタントの剣鬼が御存知とは。恐縮です」

「その呼び名はよしてくれな。水野竜之進だ。よろしく頼む」

「こちらこそ」

 挨拶を終えると、二人は丸テーブルで向かい合うようにして座った。しばし雑談をしたところで、竜之進が本題を切り出した。

「ここに来た理由、見当がついているな」

「はい。ヴェルデのことかと」

「そう。いろいろと面倒なことになっている」

 竜之進は、グレタの話をサルサレードに伝えた。

「ああ、あの大女ですか。うちにも来ましたよ。踏みつぶされるかと思いました」

「なら、本題に入るぞ。お前ら、いつまでここで商売するつもりだ?」

「もちろん、許されるかぎり、ずっとです。あれだけ歌を教えて欲しいという者がいるのです。無視はできません」

「なら、役所の許しを求めろ。町の者とうまくやっていかずして、どうするのか」

「言ったって、許可は出ませんよ。この町の【株仲間/ギルド】は頭が固いので。なら好き放題やった方がましです」

 サルサレードは笑った。

「私どもはまっとうな商いをしております。むしろ、値は高めにして気を使っているぐらいです。お客様はよい物を選んでいるだけのことで、客を奪われるのは他の方々が下手だからではないですかね」

「エルフの娘を使うのはどうか。エルフはどこでも引っ張りだこだが、ああして見世物にするのはうまくない。規約があるのは知っていよう」

「そんな建前、今さら言われても困ります。エルフの娼婦がいるのは御存知でしょう。金さえ払えば、人だろうが、ドワーフだろうが、相手にします。人気殺到で、お大尽でも一年は待たされるとか」

「噂だろ。つまらねえことを言うな」

「本当に、そうお思いですか」

 エルフの娼婦については、ヴァルドタントでも問題になっている。盗賊団が村を襲い、エルフの若い娘を攫って売り飛ばす。それが帝国の各地に流れて、娼婦となる。

 エルフ族はさかんに抗議しているが、貴族や大商人が横から口をはさんできて、取り締まりはうまくいっていない。

 エルフの女は、美しさと高貴さで群を抜いている。好きに扱えるのなら、金持ちはいくらでも大金を積むわけで、それが犯罪の温床になっている。

「それに比べれば、我らはかわいいもの。何ら悪さはしておりません」

「回りに女を置いている。あれは何だ?」

「単なる手伝いですよ。ヴェルデ一人では、手が足りませんから。稽古が終わった後、どうなるかは私共の知ったことではありません」

 すべて計算ずくで動いている。女をしょっ引くのは簡単だが、それで解決とはいくまい。

 サルサレードは立ちあがって、扉を開けた。

「話は済んだようですな。どうぞ、お引き取りを」

「食えねえ奴だな」

「正直にすべてを申しあげていますよ。ただ、私共にはそれなりの後ろ盾があることもお忘れなく」

 やむをえない。竜之進は刀をさして部屋を出た。

「これで終わったと思うなよ」

「もちろんです。水野様とは今後とも顔をあわせることになりましょう。我らを守っていただかねばなりませんからね。よろしくお願いしますよ」

 ねっとりとした口調が、怒りを煽る。

 竜之進は口を結ぶと、荒々しい足取りでサルサレードから離れた。

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