第16話
扉の開き、かすかに衣擦れの音が響いてきた。どうやらうまくいったらしい。
「おお、来たか。遅かったではないか」
ムイロ男爵の声がする。
隙間から見ているだけでは、室内の様子はよくわからない。今は聞き耳を立てることしかできない。
竜之進は息を詰めた。うかつに動けば、納戸に隠れていることがばれてしまう。ここは神経の使いどころだ。
「さあ、こちらに座って」
「あの、あなた様はどなたで」
「パロットという。君の姿を見て、一目惚れしてしまってな。ぜひともお相手を願いたいと思っていた」
何がパロットだ。適当に名乗りやがって。
「いったい、どこで」
「決まっている。あのオイランドウチュウとかいう催しだ。一番、いいところを歩いていたではないか」
やはり見ていたか。
竜之進のねらいどおりだ。
広場での話で、ベルトランはムイロ男爵が女好きであることを語った。しかも、貴族とか大商人の娘ではなく、いわゆる下賤の女を好むらしい。
竜之進は、自分で調べて裏を取り、それが事実であると知った。弱味を握り、身持ちの堅い町の娘を脅して、金を払うことで、さんざんにいたぶる。それを何度も繰り返しているようだ。
腹立たしい話だが、竜之進にとっては好機だ。
貴族は、武家と同じで、しきたりが厳しく、身分を超えて男と女が付きあうことは許されない。たとえ遊びであっても、同格の異性と付きあうことが求められており、勝手放題にふるまえば、厳しく罰せられる。
現実には貴族が色街に出て遊ぶことはあるが、下賤の娘に手を出したことが表沙汰になれば、貴族社会で糾弾される。それが脅して言うことをで聞かせていれば、なおさらだ。
竜之進はムイロの好みを知ったところで、罠を仕掛けた。
色街の顔役に声をかけ、見世物を出してもらった。
それが花魁道中だ。
遊女屋からとびきりの女を選んでもらい、思いきり着飾って、色街を練り歩いてもらう。遊女には供の者をつけ、さながら大名行列のように仕立てる。
ここのところ、ヴァルドタントは、市長の意向で風紀にうるさくなり、色街はやりにくい情勢がつづいていた。客の数も減っており、何か策を講じる必要があった。
ここで美しい娘が着飾って色街を練り歩ければ、話題になり、色街の雰囲気も変わる。竜之進の策も最大限の効果を発揮するわけで、誰にとっても得である。
これこそ江戸流のやり方であり、逆転の一手だった。
色街の顔役は話を聞いて花魁道中には興味を示したものの、風紀が厳しいことを気にして、なかなか提案を受けいれなかった。
それは予想できたことであったので、頃合いを見計らって、竜之進は用意していた切札を投入した。
打掛と簪である。
花魁道中の肝は、艶やかな着物と飾り物だ。色とりどりの打掛を身にまとい、同じく美しく着飾った禿たちを引き連れてこそ、見物人の目を引きつけることができる。
江戸の町を彩る着物さえあれば、異世界にあって、目立つことは必定であった。
竜之進は、エレーネに無理を言って、打掛を作ってもらった。
時間がない上に、彼の説明では要領がえないこともあり、仕立てには手間取ったが、できあがった品は予想を超える美しさだった。
竜之進は打掛をヴェンタの顔役に見せ、ついで遊女にも披露した。
美しい着物は、女たちを魅了した。
これを着て、町を歩くことができる。その一点で彼女たちは花魁道中に同意した。
顔役も色鮮やかな着物が町を練り歩くことを想像し、竜之進の提案を受けいれた。
さらには竜之進は、紙を飾る道具として簪を提案した。彼が見せたのは銀細工の逸品で、リコルノの店を通じて作ってもらった逸品である。
珊瑚の飾りもまた女たちを魅了した。
そこからは一気で、顔役の尽力もあり、三日前、花魁道中は挙行された。
噂になっていたこともあり、色街には五〇〇〇人を超える市民が集まった。町の男女が姿を見せ、薄明かりの中をゆるゆると歩く和服姿の美女たちに酔いしれた。
ムイロ男爵は、特等席から行列を見ていた。
そこにベルトランが同席して、遊女とつながりがあり、好みの女性がいれば好きなときに呼び出せて、「相手」をさせることかできるとささやいた。
ベルトランの巧みな誘導に加え、と好みの女性を見せつけたこともあり、ムイロは一発で引っかかった。とある遊女を指名して、強引に顔合わせの日を決めた。
予定どおり、ムイロ男爵は姿を見せ、遊女も姿を見せた。
後は現場を押さえるだけだ。
竜之進が納戸から飛び出そうとしたところで、その肩が押さえられた。
無理して振り向くと、ベルトランが首を振っていた。
意味するところはわかるが、このままにはしておけない。ムイロはそのつもりで来ており、放っておけば女が犠牲になる。
「さて、こちらへ来なさい。相手をしてもらうよ」
「え、今日は話をするだけって……」
「子供じゃないのだから。ほら金ならある」
硬貨をばらまく音が響く。わざと床に投げたのか。
「さあ、いいから」
「でも、あたし……」
「素敵な着物だ。ウチカケとかいったか。さあ、脱いで」
「あの、そこは……いやです」
「いい胸だ」
声が異様なまでに甘くなる。
「さあ、手を入れさせておくれ」
沈黙がつつんだ直後……。
ムイロが悲鳴をあげた。ついで女の声が響く。
「誰がお前なんかに触らせるか。馬鹿。女を食い物にしやがって」
「貴様!」
「そこまでにしてもらうか、男爵様!」
竜之進は納戸から飛び出すと、刀を抜いた。
ムイロは切っ先を突きつけられて、口元を歪めた。すでに上着を脱いでいるところに、いやらしさがある。
「お前は!」
「こんなところで、貴族様が遊女を買って遊ぶなんて許されると思っているのか。さあ、出るところを出てもらうぜ」
「お前は……」
「終わりですよ。男爵」
ベルトランが彼の横から声をかける。彼もまた納戸から飛び出していた。
「すぐに評議会が開かれるでしょう。そこで己の罪を償うがよいかと」
「な、何を言うか。これで私を追い込んだつもりか」
状況を把握したのか、ムイロ男爵は目を吊り上げて笑った。
「女好きの貴族など、どこにでもいる。訴えても誰も相手にはせぬ」
「そんなものを持っていて、よく言う」
竜之進は床に転がった大きな鞄を見やる。
中味は鞭や拘束具だ。
下賤の女を買い、いたぶる趣味があると聞いていたが、それも事実だったらしい。
「これがばれたら、どうかな。しかも貴様は、ミュルグレスを売り飛ばしている。まっ黒な腹を探られて耐えられるのか」
「貴様ら……」
「さあ、さっさとお縄につきな」
「誰が! おい!」
ムイロが声を張りあげると、扉が開いて、用心棒とおぼしき男が飛び込んできた。三人で、刀身の広い剣を手にしていた。
「口封じですかい。荒っぽいですね」
「事の次第を知っているのは、貴様たちだけだ。ならば、ここで」
「できるのならば、どうぞ」
竜之進は刀を鞘に収めて、膝をついた。その右手が柄に近づく。
殺気が高まり、用心棒の動きが鈍る。視線がからみあったところで、右の男が飛び出してくる。
一瞬で竜之進は抜刀し、男の腕を切り飛ばす。
振り向きざま、左から攻めてきた男の腹を切り裂く。
最後に自ら踏み込み間合いを詰めると、残った用心棒の足をつらぬいた。
悲鳴をあげて、三人は転げ回る。
「い、今の技は……」
「田宮流抜刀術。狭いところで戦うには、これが一番だ」
竜之進は居合いの技も学んでおり、狭い室内なら三人が相手でも勝てる。
あえてこの場で対峙したのも、用心棒を引っ張り出すための策だった。
「さあ、いい加減に観念しな」
「ふざけるな。ならば、この女を……」
ムイロが鞄の短刀に手を伸ばしたところで、女がその足を引っ掛けた。
頭から転んだところで、女が脇腹を思いきり蹴りあげてあおむけにし、腹を思いきり踏みつける。
すさまじい悲鳴があがり、さすがに竜之進も顔をしかめた。
「ふざけるなよ。このエマ様があんたみたいにクズにやられるものかよ」
遊女が鬘をとると、赤い髪が現れる。
怒りに燃える赤い瞳は、あの女盗賊しか持ち得ない。
エマは、竜之進の策に従って、あえて囮の遊女役を務めた。幼く、ムイロの好みに近い上に、体術に優れ、何かあっても自分の身を守ることができる。適任だった。
驚いたのは、化粧をすると、エマがとんでもない美人になったことだ。
女は化けるというのが、少女なのに、ほんのかすかに大人の色気を漂わせており、それが赤い瞳と重なって、すさまじく魅力的な娘に仕上がっていた。
「女は、お前のおもちゃじゃないんだよ。死ね、バカ!」
エマは男爵を見おろすと、容赦なく下腹部を踏みつけた。
ムイロは魂がひっくり返ったかのような大絶叫をあげ、そのまま気絶した。
竜之進とベルトランは顔を見合わせた。
悪人が罰せられたのに、不思議と同情の念がこみあげてくる。
思わず手をあわせて、竜之進は泡を吹いた貴族を見やった。
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