第14話
エマが案内したのは、小さな酒場だった。
よく見なければわからない小路の奥にある小さな扉を開けると、縦に長い部屋があり、小さなテーブルと椅子が並んでいた。
店は狭く、五人も入ったら、いっぱいになりそうだった。
店の奥に店主らしき男がおり、彼らが入っていくと顎をしゃくって席を示した。
エマは椅子に座ると、すぐに注文を出した。ついで竜之進たちを見る。
「あんたらは、何を呑む? あたしのおごりだから、何でも頼んでいいよ」
「お前さんと同じでいいよ」
「じゃあ、おいらも同じで」
「ダメだ。お前は白湯でもすすってろ」
ケチといいながらも、オックはおとなしく席について杯が並ぶまでおとなしくしていた。
「じゃあ、乾杯だ。無事に生き延びてよかったねと」
「助けてくれてありがとうよ」
竜之進は杯をかかげると、一気に酒をあおった。
甘い。口当たりはいいが、それに騙されると、足元が立たなくなるまで飲んでしまいそうだ。うまさがかえって仇になる。
「いい葡萄酒なんだよ、これ」
もう一杯、飲むかと問われて、竜之進は断った。
「それより聞かせろ。なぜ、俺たちを助けた?」
「気が変わったって言っただろ。もう少し様子を見てみたくなった」
「それだけとは思えねえがな」
「うーん。もう少し呑んでからと思ったんだけど。仕方ない、先にやろうか」
エマは、盃を置いた。
「あたしは、あんたに味方することに決めた。向こうが本気であるとわかったからね。あんたがやられたら、今度はあたしたちがねらわれる。さすがに命は惜しい」
「どういうことだ」
「ミュルグレスを盗んだのは、あたしだからだよ」
「何だと?」
「ちょっと。すごまないでよ」
エマはテーブルの上で手を組んで、小さく笑った。
「あたしは盗人で、三ヶ月前に例の男爵様の宝物蔵に忍び込んで、剣を盗み出した。男爵がなんて言っていたかはわからないが、あの蔵、鍵が古い上に、防御魔法もかけていなかった。その上、中味もすかすかだった。多分、家臣が盗み出したんだろうね」
「話が見えねえ。わかるように言え」
「順を追って話す。急かさないで」
エマは軽く酒をあおった。
「ミュルグレスの由来は知っている? あれは、元々、コームヴィ家の家宝なんだ」
「聞いた。前の持ち主から直接にな」
「なら、話が早い。で、それをある時期にムイロ男爵が譲ってもらったことになっているが、実際の話はもう少し生臭んだ」
「……」
「男爵は昔からミュルグレスに目をつけていて、それを奪い取る機会をねらっていた。そんな時、先代のコームヴィ家当主が宮廷で大きな失敗をした。皇室に代々伝わる盾が盗まれて、その責任を問われた。実は、それを仕組んだのは男爵様で、懸命に先代当主が盾を捜しているところで、その盾の行方を知っていると告げた。それを教える代わりに、ミュルグレスを渡せって言ったわけ。焦っていた先代当主は、その話に乗った」
「それで剣を奪われたと」
「ついでに爵位と領地もね。弱味を握った男爵様は、コームヴィ家を追い込み、領地を奪い取って、帝都から追い出した。最初から剣だけをねらっていたわけじゃなかったんだ」
「あこぎな奴だな。腹がたつ」
「あたしもだよ。だから、ミュルグレスを盗んで、男爵様の鼻を明かした。そういうこと」
「ふん、筋は通っているように見えるがな」
竜之進は酒をあおった。
「どんなに言い訳をしていようと、盗みを働いたことは確かだ。それは見逃せねえ」
「義憤にかられてのことだよ。元々、罪を犯したのは男爵様だ」
「盗みは悪いことだよ」
突然、オックが口をはさんだ。
「ダメ。やっちゃいけない」
「なんだって」
「盗みはダメ」
淡々とした声は、よく透った。
エマは驚いて、しばらくオックを見ていた。
話をはじめるまでには、少し時間がかかった。
「確かに、盗みはよくない。わかっている。けれどね、悪事に対しては、悪事で対抗するしかない時もあるんだよ。役人は役にたたないしね」
「手厳しいな」
「それに、本当にミュルグレスを盗むことができたのなら、捕まって死罪になってもかまわないと思っていた。名品だから、命を賭ける価値はある。けれど、それがゴミならそうはいかない。このエマ様の名前に傷がつく」
「どういう……」
そこで、竜之進の脳裏に閃きが走った。
そういうことか。だから、この娘はここまで話をしたのか。
「察しがいいね」
エマは悔しそうに顔をしかめた。
「そう、偽物だった。名剣ミュルグレスはあたしの男爵の手元にはなかったんだよ」
「そういう流れか」
「いつかはわからないけれど、あれほど執心して手に入れたにもかかわらず、男爵は剣を誰かに売り飛ばした。なのに、そのことを明らかにせず、さも本物を持っているようにふるまい、帝都から来た客にもさんざん自慢していた。すさまじい詐欺師だね」
「それをおぬしが盗んだ。これは大事だな」
「そう、真相が露見したら、よくて領地没収。悪ければ、斬首になる。一刻も早く見つける必要があったが、表沙汰にもできなかった」
「そこで、俺の出番か。なるほど、いいように使われたわけだ」
竜之進は余所者であり、万が一のことがあってもさして問題にならない。
見つけてくれればそれでよし。駄目でも早々に見捨ててしまえばいいと考えていたのだろう。始末することも頭にあったはずで、その準備は整えていただろう。
ムイロ男爵の底意地の悪そうな顔が思い浮かぶ。あの男ならばやるだろう。
「あたしは、ずっと前から男爵様にねらわれていた。盗みにかかわっていることは調べがついていたんだろうね。そんな女があんたの前に現れて話をした。となると向こうが何を考えたか、見当はつくだろう」
「仲間だと思われたか」
「刺客が現れたのが、その証しさ。奴らはあんただけでなく、あたしもつけていた。ここで合流して何かすると思ったからこそ、一気に始末にかかった。あの男爵、本気で口封じにかかっている。さすがに、殺されるのはいやかな」
「だから俺を巻きこんだのか。やってくれる」
味方というよりは、盾にするつもりなのだろう。えげつない。
竜之進が顔をしかめると、エマは笑った。
「どうせ巻きこまれているじゃないか。なら、いっしょにやった方がいいはずだ」
「盗人と手を組む気はねえ」
とはいうものの、ここまで振り回されて黙っているのも腹立たしい。
偽物の剣で人をさんざんにだまし、その事実を隠すために刺客を放つというやり方も気に入らない。
「おめえは必ず捕まえる。だが、その前に殺されるようなことになったら、困る。だから先の事は決めないでおく」
「面倒くさいね。片目を瞑っちゃえばいいのに」
「それではすまねえこともあるんだよ」
割り切ると巨悪を見逃すこともある。それはできない。
エマはしばし竜之進を見ていたが、小さくうなずいた。
「わかった。今は捕まえないでいてくれれば、それでいいよ。警邏に引っぱられたら、知らないうちに殺されるなんてこともありうるからね」
貴族が動けば、盗人を闇に葬ることなどたやすい。裏のつながりはおそろしいほど深い。
「今はいっしょにやろうよ」
エマは右手を伸ばしてきた。
こちらでは物事を取り決めた時、約束の証しとして互いの手を握るという習慣がある。最初は何のことかわからず、エレーネに注意された。
一瞬、ためらってから竜之進はエマの右手をとった。
「決まり。がんばって生き残ろう」
「なれ合いはしねえぞ」
「面倒くさい奴だね。で、他に訊いておきたいことはある?」
「一つある。お前はあまりにも事情に詳しすぎる」
「仲間がいるはずだから、教えろと」
「ああ、お前一人で、そこまでできるとは思えねえ。いったい誰だ?」
エマは笑った。
「そこまでわかっているなら察しはつくんじゃない。事情に詳しい奴なんて限られているんだからさ」
竜之進は記憶を探る。
その人物が頭に浮かぶまで、さして時はかからなかった。
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