第13話
翌日から竜之進は、ベルトランに貼りついて、その動向を探った。
屋敷の周囲をうろつき、彼が役所に赴く時は、わざと目立つようにして後をつけた。会合がある時には、他の貴族にこちらが見えるようにして不信感を煽るように仕向けた。
不快だったはずだが、ベルトランは動じた様子を見せなかった。
普段と同じように出かけ、仕事をし、人と会った。竜之進を追い払うどころか、顔を見かけると一礼してくる始末だった。
虚しく十日あまりが過ぎたが、竜之進は調べの方針を変えなかった。
「馬鹿、なんてことをしたんだ!」
竜之進はオックの頭をつかむと、無理矢理に下げさせた。
「ほら、謝れ。きちんと謝るんだ」
「ごめんなさい。すみません」
オックは涙を浮かべて、頭を下げる。
袖付きの上着を着ていた露天商は、なおも顔を赤くしていたが、必死に竜之進とオックが頭を下げるのを見て、怒りをやわらげた。
最後には、金は返してくれたのだからと言って、事を荒立てないことを約束してくれたばかりか、焼き上がったばかりの串焼きを売ってくれた。
竜之進は何度も礼を言って、露天商と別れた。
オックが口を開いたのは、南地区の大通りに出てからだった。
「ごめんよ、親分。ついやっちゃったんだ」
「わかっている。余計な事は言うな」
「でも、親分に迷惑にかけて。ダメだってわかっているのに」
オックは、竜之進の調べを手伝っている最中、露天商の金を盗んでしまった。
すぐに返そうとして戻ったところを見つかり、警邏所に連れて行かれそうになるところに竜之進が通りかかって、あわてて頭を下げたのである。
「お金が目に入ると、どうしても手が動いちゃうんだよ。押さえられないんだ」
コボルトは、生まれながらにして盗みの心を持っている。
隙があれば、奪うのは心の動きに従ったからで、やろうと思ってやるのではない。竜之進が飯を食べるのと同じように、物を盗る。それだけだ。
だから、コボルトは嫌われる。
竜之進もオックがつきまとうようになると、町の者からそれとなく注意された。
「いいんだ。お前は悪いことが悪いとわかっている」
竜之進はオックの頭をなでた。
「今も金を返そうとしたから見つかったんだろう。懐に入れてしまえば、気づかれなかったのにな。今の自分じゃダメだと思って、少しずつ変わろうとしている。それでいいのさ」
「親分……」
「いつか盗みを働かずに生きていけるようになるさ。それまでは、俺が面倒を見てやるから安心しろ」
「えっ。じゃあ、ずっとついていっていいんだね」
オックの言葉に、竜之進は思わずうなる。
「いや、それは別だ。俺は俺の役目をやる。お前はお前の道を行け」
「いやだね。おいらは聞いたからね。ずっと親分の後をついていくよ」
オックは歯を剥きだしにして笑う。
くそっ。この愛嬌がよくない。つい流されてしまう。
「いいじゃない。まだ例の件だって調べがついていないんだから」
「もう少しつついてみるさ。今のところ突破口はあそこしかない」
実のところ、ミュルグレスの探索は行き詰まっていた。
武器商人や旅商人の
ベルトランの行動も変わらない。
探りを入れられているのに、普段とまったく変わりない生活を送るという一点で彼がが並の人物でないことはわかるのだが、それだけで事件にかかわりがあると決めつけることはできない。
「うまくいかねえな」
竜之進は視線をそらす。
その瞬間、周囲の気配が変わる。
誰かが彼を見ている。すさまじい眼光だ。
「親分」
「わかっている。ついてこい」
竜之進は気づかぬふりをして、大通りを南に向かった。
すぐに町をつらぬく運河に行き着く。幅は10間(約18メートル)ほどで、高瀬舟に似た木の船がさかんに行き来している。
桟橋で下ろしているのは石炭か。人夫が声をかけあって、道端に積みあげていく。
竜之進はオックを伴って、裏道に入った。
途端に人気が少なくなる。
石の屋敷がからみあうように建っていることもあって、見通しも悪い。
仕掛けてくるなら、そろそろか。
竜之進が左右を見回した時、赤い頭巾をかぶった女が目の前に立った。
唐突で、どこから現れたのか、まったくわからない。
反射的に竜之進は下がり、刀に手を伸ばす。
その時、高い声が響いた。
「やめな、剣鬼。あたしは敵じゃない」
女は頭巾を取って、顔を見せた。
まだ若い。一五、六といったところか。赤い髪を後ろで束ねている。
顔立ちは整っているが、まだ子供らしさがあちこちに残っていて、色気が漂うまでには至らない。
瞳も髪と同じ赤だ。力のある輝きは意志の強さを感じさせる。
「あたしはエマ。トマス地区で、野菜売りをしている」
「よくいう。
竜之進は油断なくエマを見る。
「上から来たな。先回りしていたか」
「そう、そこに屋根をつたってね。ただ、あんたをどうこうするつもりはなかった。そのつもりだったら、もうその首に短剣を突きたてているよ」
確かに、エマの動きは速く、簡単に勝てるとはいいがたい。
「何の用だ」
「あんたを諫めに来た。首を突っ込むのはやめな。さもなくば命を落とすよ」
「脅しか。どいつもこいつも」
ラセニケ伯爵の時も、手を引くように脅迫された。
どうやら、この町の連中は凄むのが好きなようだ。
実にありがたい話だが、少しは相手のことを考えてから動いて欲しい。かえって火がつく馬鹿がいるとは思わないのか。
「ごめんだな。俺は俺のやりたいようにやる」
「忠告は素直に聞くものだよ。その首が身体から離れる前にね」
「悪党を見逃すぐらいならば、腹をかっさばいて死んだ方がましだよ」
「さすがはヴァルドタントの剣鬼。つまらぬ脅しは利かないね」
「来るか。なんなら、その首、切り飛ばしてやってもいいぞ」
「剣には自信があるようだね」
エマは笑った。
「確かに斬り合いなら負けそうにはないが、それ以外のやり方で攻めてこられたら、どうするんだい。満足に戦うこともできないだろ」
「どういうことだ」
「すぐにわかるよ。ほら、ぐずぐずしているから追いつかれちまった」
エマが視線を転じるのと殺気が涌くのはほぼ同時だった。
数は五。
竜之進が刀を抜くと、黒い服の男たちが周囲を取り囲んだ。
直刀を手にしており、狭い路地をうまく使って間合いを詰めてくる。
「何だ、こいつらは」
「見てのとおり敵だよ」
「何だと」
「あたしは、高みの見物としゃれ込むよ。ねらいはあんたなんだからね」
エマはすっと跳ねて桟の上にあがり、さらに一つ跳んで、屋根の上に出た。
助走すらせずに、一丈(約1・8メートル)も跳躍するとは。すさまじい体技だ。
「さあ、来るよ」
「オック、下がっていろ」
竜之進はオックをかばうようにして前に出ると、左から来る剣士を迎え撃った。
刺客の一撃を食い止め、逆にその胸元をねらう。
ねらいすました一撃だったが、その切っ先が触れる前に、刺客は下がった。
無駄がない動きから、手練であることはわかる。
「ならば!」
竜之進は右に跳んで、ちょうど彼に向かってきた敵との間合いを詰めた。
その腕を鮮やかに切り飛ばす。
無言でその刺客が下がり、河って新しい敵が姿を見せる。
仕掛けてくるには時間がかかると思ったところで、刺客は大きく腕を振った。
棒が伸びてきて、竜之進の肩を叩く。
多節棍だ。
複数の棍を鎖でつないだ武具で、振り回した勢いで敵を叩く。
扱いがむずかしいが、達人になれば、間合いを詰められることなく、一方的に相手を攻めることができる。
江戸では、一度だけ七節棍の使い手と立ち合ったことがある。
ヴァルドタントでも武具屋で売っているところを見たので、使う者がいるとは思っていたが、ここでぶつかるとは。
竜之進は下がる。痺れて刀を握る手に力が入らない。
風切り音が響き、間合いが詰まる。
棍の動きは複雑で読めない。七節、いや、八節棍か。
右からの一撃をかわすと、竜之進は思い切って前に出る。
しかし、刺客はそれを読んでいて、巧みに鎖をたぐり寄せる。
わずかにこちらが速いと思ったところで、右側から熱気が迫ってきた。
横目で見ると、刺客の一人が大きく腕を振りあげている。掌には炎の塊がある。
まさか、ここで。
竜之進が下がったところで、敵は炎を放った。
熱球が迫る。
思わず身体を強ばらせたが、いつまで経っても熱気は来なかった。棍の一撃もない。
竜之進が目を開けると、エマが彼に背を向けて立っていた。
「そこまでだ。いじめはやめな」
「……」
「どうしてもやるっていうなら、あたしが相手だよ」
彼女の手にも炎があった。それは青白く、異様なまでに輝いていた。
敵の一団は明らかにひるんだ。代わる代わるエマを見るが、攻めようとはしない。
やがて中央の男が合図すると、怪我した者を含めていっせいに退いた。
二呼吸する間に、殺気は完全に消えていた。
「大丈夫かい、剣鬼」
エマは道に降りて、竜之進を見た。その口元にはからかうような笑みがある。
「たいした怪我じゃねえよ。放っておけ」
「そうかい」
「それにしても、どうした。高みの見物じゃなかったのか」
「気が変わった。あんたには、まだ死んでもらっちゃ困るんだよ」
エマは顎で、横道を示した。
「付きあいなよ。酒でも呑もう」
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