第二章 盗人
第10話
一
竜之進が案内されたのは、玄関からさして遠くない場所に用意された白壁の部屋だった。
うす暗くて、日中なのにひどく冷える。日射しを遮る幕や机も薄汚れており、日常的に使われていないことがわかる。ラセニケ伯爵の屋敷を訪ねた時よりもひどい扱いだが、それでも椅子に座って話ができるだけよしとするべきか。
彼が待っていると、大きな扉が開いて、紫の外套に、白の
顔は縦に長い。目が細く、頬の肉が削ぎ落ちているせいか、さながら狐のように思えてくる。身体も細いし、手足の筋肉も目立たない。
服のあつらえは上等で、身体にぴったりあっているが、いまいち似合わないのは華美な装飾が青白い顔にはまっていないからだろうか。
男は竜之進と向かい合うような位置に立つと、家臣が椅子を引いた。
一瞥してから腰を下ろしたが、その視線には嫌悪感の念があった。椅子の埃が気になったのかもしれないが、これだけ薄汚れた部屋なのだから、気にしても仕方ないだろうに。
「待たせたな。私がムイロ男爵だ」
カン高い声が響く。芝居がかった言い回しはわざとであろうか。
「アバディーンの領主で、皇帝陛下の忠実な僕である。今後はヴァルドタントの政にかかわるのでよしなに」
竜之進を見る目は濁っている。敵意、いや蔑みだろう。
「本来ならば、おぬしのような者が直に話をできる相手ではないのだがな。今回は事の重要さを考えて、私が直々に出てきた。そのことは重々、心得て欲しい」
「一つ、よろしいですか?」
竜之進の問いに、ムイロ男爵は露骨に顔をしかめた。
「何だ?」
「名前を聞かせていただきたい」
「どういうことだ」
「爵位と名前は別物と聞きました。手前どもの世界でいうところの、筑前守や左衛門佐のようなものでしょう。まあ、爵位そのままでもかまわないんですが、こっちは下賤の者でしてね。本名を名乗らない方は、どうにも信用できないんですよ」
ムイロ男爵の目は吊りあがった。予想どおりの反応だ。
返答を避けるかと思ったが、たいして間を置かず高い声が響いてきた。
「フェリーチェ・スフォルツァだ。だが、おぬしのような者に名を呼んで欲しくはない」
「さようで。でしたら、これからはムイロ男爵様と」
ムイロ男爵は、顔を引きつらせながらうなずいた。
「して、今日は、どんなご用件で? 市長様からここへ行けと言われて来ただけで、詳しいことは何もわからないのですが」
「うむ」
ムイロは手を振り、家臣を下がらせた。二人きりになったところで話を切り出す。
「おぬしには剣を探して欲しい」
「剣?」
「名前はミュルグレス。当家の家宝で、宝物蔵で保管しておいたのだが、先だって盗まれたことが判明した」
「消えてなくなってしまったので?」
「そういうことだ」
「なくなったのはいつですか」
「半年前に調べた時はあった。その後だろう」
「それは、また奇妙なことですねえ」
この竜之進の住む江戸とは異なる世界には、さまざまな形の剣がある。鎖帷子の隙間をねらう細い剣がある一方で、分厚い鉄の鎧を打ち砕いてしまう棍棒のような剣も存在している。馬上で振るう剣もあれば、逆に盗賊が持って歩くような脇差に近いものもある。
ムイロ男爵によれば、ミュルグレスは広刃の直刀で、その切れ味は帝国でも屈指だと言う。
鞘には青い大きな宝石が組み込まれ、その周囲には金細工が施してある。
「剣を振ると太陽の光が反射して、剣そのものが輝いて見える。初代皇帝ミムロスが家臣に賜った品で、私が爵位を得た時に、知り合いから譲り受けた」
「なるほど、それが盗まれたと」
「我が家の面子にかかわるので、早々に見つけて欲しい」
「探索でございますか。手前向きの話ではございますが、これは少々……」
「何だ、嫌だというのか?」
竜之進が渋ると、ムイロ男爵は語気を強めた。
渋っただけで、これとは。すさまじい傲慢さだ。
「そういうわけではございません。もちろん、やらせていただきますが、その前にいくつか確かめておきたいことがあったので」
「何だ?」
「まず、手前に話を持ってきた理由です。それほどの名剣なら、市長に話をして警邏を動かすのがよいでしょう。彼らは町に詳しい。調べるのも早い思われますが」
「事を荒立てたくない。話が洩れれば、面倒なことになる」
「面倒とは?」
「それは、おぬしが知らなくともよい」
「ははあ、でしたら、それはそれで」
竜之進はわざと笑った。ムイロの顔が赤くなるが、知ったことか。
「では、次。自分はこの町のことしか知りませぬ。そのミュルグレスとかいう刀がすでに売り払われて、ヴァルドタントを離れていたら、どうしようもないのですが。そのあたりはいかがなさるので?」
「それは心配ない。ミュルグレスは、まだこの町にある」
「なぜ、そう言い切れるのですか」
「あれほどの名剣だ。売ろうとすれば、話が洩れる。それがまったくないということは、まだ町から出ていないことを意味する」
「荷馬車に隠して、持ち出されたことも考えられましょう」
「ない。町から出る荷は厳しい調べを受ける。長官が変わって、今は賄賂も効かぬ。無理して町から出すよりは、手元に置いて売る機会をうかがった方がよかろう」
「確かに。筋は通っておりますな」
ヴァルドタントは、武器の出入りに厳しく、東西南北四つの城門で検査を受ける。
持ち込みはもちろん、持ち出しにも許可書が必要で、ごまかそうとすると城門近くの番屋に連れて行かれ、詮議を受ける。
竜之進も立ち合ったが、箱根の関所を思わせるような厳しさで、ごまかすのは無理なように思えた。
「ここまで話したからにはやってもらわねば困る。我が家の秘が他人に知られるようなことはあってはならぬ」
「あいわかりました。ご安心を」
竜之進はわざとらしく頭を下げた。
「この町での探索となれば、手前の役目。最後までやらせていただきましょう」
「さっさとはじめてくれ。こちらも忙しい」
「その前に二つほど。この件、市長様に話をしてもいいですかね」
「駄目だ。我が家の恥をさらすわけにはいかぬ」
「さようで。ではもう一つ」
さらなる申し出にムイロ男爵は嫌な顔をしたが、最後には押しきられて、提案を受けいれた。
面倒くさそうな話であるが、条件は整った。
ならば、やるしかあるまい。
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