第8話
竜之進は河原の土手を降りたところで、周囲を見回した。
頭上に広がる空は、果てしなく青い。雲は北の地平線にわずかに貼りついているだけで、秋のやわらかい日射しを遮るものは何もない。
右手方向には、いつもより流れが急になったヴァルド河がある。
昨日の雨でどうなるかと思っていたが、水量は思ったより増えていない。泥が混じって水面が茶色に染まっているだけで、これならあふれることはあるまい。
河原に立つのは彼だけだ。
実はオックも近くにいるのだが、うまく身を隠しており、よほどの剣客でなければ気づかれまい。
「来たようだな」
竜之進が視線を向けた先には、人影があった。
二人で、ちょうど土手を登り終えたところだった。
どちらも太っているが、やはり右の人物の方が大きく腹が出ている。細剣が横腹の肉に押しつぶされそうだ。
左側の人物は、足取りがいささか速かった。距離があるのに、視線が鋭いことがわかる。さぞ腹をたてているだろう。
二人が目の前に来たところで、竜之進は声をかけた。
「わざわざ、こんなところまですまなかったな、ヒラニセ。ザビレオール殿も」
「町の中でできなかったのか」
応じたのはザビレオールだった。その頬は真っ赤だ。
「いくら大事なことでも、こんなところまで呼び出すとは。寒い」
「人に聞かれたくない話もございますので、このあたりがよいかと」
竜之進が二人を呼び出したのは、町の西を流れるヴァルド河の河原であった。町の中心から歩いても四半刻(30分)とかからず、春先には近くの花を見るために人が集まる。
はじめてこの地を訪れた時、竜之進は大川の川端に似ていると感じた。景色はまるで違うのに流れる空気が同じなのである。
見あげる空も江戸の空に似ており、竜之進にとっては居心地のよい場所だった。
「して、事実なのだろうな。本物の腕輪を渡すというのは」
「本当です。ようやく見つかりました」
竜之進は二人に歩み寄ると、懐から箱を取りだした。
「どうぞ。これがそうです」
ザビレオールは受け取ると、すばやく開ける。
現れたのは銀細工の腕輪だった。赤い宝石が陽光を浴びて輝く。
「こ、これは、この前の品物と同じではないか」
「はい。最初から、これは本物だったのです」
「どういうことだ」
「からくりは至って単純でございますよ」
竜之進は箱を取り戻し、腕輪を手で摘まんでかざした。
「リコルノは、この腕輪をヒラニセ商会から購入した。もちろん、それは本物で、そのまま伯爵家に売買した。間違いなく、件の職人が作った品が渡ったのです」
「だが、ヒラニセは偽物だと言った。儂もそう思った」
「うまく騙されたのでございますよ。ヒラニセは、これを本物と知りながら、偽物と嘘をついた。意趣返しをするためにね」
「……」
「ヒラニセは、この腕輪が伯爵家に収められる寸前、手ひどく振られているのです。リコルノの娘、ミルケにね。ヒラニセの奥方が早くに亡くなっていることは御存知でしょう。ミルケを見て、この男は岡惚れして、後添えにと声をかけた。そうしたら、あっさり振られた。そういうことでございますよ」
「ちょっと待て。リコルノの娘といえば、まだ子供ではないか」
「はい。40も年下の娘に、ヒラニセは惚れて、物にしようとした。そういうことでございますよ」
竜之進が見ると、ヒラニセはうつむいたまま動かなかった。わずかに震える肩から、それが事実であることを示していた。
ミルケを呼びとめたあの日、竜之進は彼女から話を聞いて事の真相を知った。
ヒラニセははじめて会った時からミルケにのぼせてしまい、リコルノの目を盗んで、さかんに言い寄ってきた。服を贈り、食事に呼び出し、芝居に誘おうとした。
そもそも、今回の腕輪も、ヒラニセがミルケに渡すために用意したものだった。
当初は世話になっている人だからと従ってきたミルケだったが、次第に怖くなった。
ヒラニセが本気で自分を求めていると知ると恐慌に陥ってしまい、後添えにと言われた時には耐えられなくなり、手ひどい言葉で断った。
それがヒラニセの逆鱗に触れた。
「そやつは、若い娘が自分の言うことを聞くと信じて疑わなかったのでしょう。さんざん金を積んできたのだから。だが、振られた。それを逆恨みして、リコルノをつぶすべく動いたのです」
ヒラニセは、若い娘を逃した屈辱に耐えられなかった。すべての元凶はそこだ。
なぜ、ここまで無様にふるまったのか。
誇りを傷つけられたせいか。
それとも老いか。
「はっきりしているのは、年甲斐もなく逆上して、リコルノの一家をヴァルドタントかから追い出そうとしたことですな。さすがにリルケに騒がれては、評判が落ちると思ったのであろうが、あまりにも浅ましいな」
竜之進はザビレオールを見る。
「というわけで、これは本物です。安心してお納めください」
「だ、騙されてはなりませぬぞ。ザビレオール様」
ようやくヒラニセが顔をあげた。血走った目で、竜之進をにらむ。
「こんな奴のいうことに、耳を傾けてはなりません。何ひとつ証しはないのです。口から出任せで、我らを丸めこもうとしているのですよ」
「往生際が悪いな。素直に認めたら、どうだい」
「何を言うか。おぬしは、その腕輪を本物と言うが、なぜそこまで言い切れるのか。証しはなかろう」
「あるさ。作った職人に見てもらって、お墨付きをもらった。ワムロと言ったか。なかなか骨のある人物だったな」
ヒラニセは目を剥いた。
「馬鹿な。どうして……」
「おめえ自身が語ったんだよ。手紙の中でな」
しばらく考え込んでいたヒラニセだったが、やがてあっと声をあげた。ようやく思い出したようだ。
「も、もしや、あれが……」
「そういうことよ」
竜之進は笑った。
事の次第を聞いた竜之進は、策を講じた。
リルケに頼んで、ヒラニセ宛の手紙を書いてもらい、腕輪を作った職人のことをそれとなく尋ねてもらった。事の真相を知っているのはヒラニケであり、事情を聞き出すには本人に訊くのが一番だった。
リルケは怯えて嫌がったが、家族と店の運命がかかっている事を知ると、意を決して文章をつづった。
手紙をもらったヒラニセは有頂天になり、職人の居場所をあっさりとばらした。
それを頼りは竜之進は本人と直に会い、腕輪が本物であることを確認した。宝石の台座に星型の印が刻み込んであり、それが証しだということだった。
「よくも女の子の気持ちを弄んだな。金で人の心が買えねえ時もあるんだ。うまくいかねえから親の商売も邪魔するなんて、野暮の窮みだぜ」
「き、貴様、よくも、そんなことで儂を巻きこんだな。この件……」
「おっと。あんたにヒラニセを攻める資格はないぜ。ザビレオール殿」
竜之進は太った男をにらみつける。
「あんた、リコルノを追放したら、腕輪をちゃっかりもらって、入れ込んでいる女に贈るつもりだっただろう。伯爵家には内緒でな。ちゃんと裏は取っているぜ」
ヒラニセの手紙から、ザビレオールとの関係を知った竜之進たちは、その周辺を徹底的に調べてまわった。
その結果、彼が色街の女にさんざん貢いでいることを突きとめた。かなりの額であり、彼の収入だけでまかなえないことは明らかだった。おそらく代官の地位を利用して、どこぞの商人を脅したのであろう。
「さあ、お裁きの場へ出て、白状してもらおうか」
「ふざけるな。この私が罪を問われるなどと。そんなことあってよいはずがない」
顔を真っ赤にして吠えたのは、ヒラニセである。
「この件を知っているのは、おぬしだけ。おぬしの口さえ封じてしまえば、後はどうにでもなる」
彼がさっと手をあげると、土手の向こう側から剣士とおぼしき男たちが姿を見せた。
ヒラニセとザビレオールが走って下がると、竜之進との間にさっと割って入り、抜
刀する。
数は五人。動きから見て、手練であることがわかる。
「なるほど。仕度は調えていたわけかい」
「そうよ。おぬしが代官屋敷に来た時からな」
あの時の気配はこいつらか。
「やれ!」
刺客がいっせいに襲いかかる。
竜之進はわずかに下がって刀を抜くと、左に跳んだ。
上段からの一撃をあっさりかわし、一人目の腕を切り飛ばす。
悲鳴と血飛沫があがるも気にすることなく、竜之進は二人目との間合いを詰める。
あわてて剣士は横薙ぎの一撃を放つも、その動きは鈍かった。
五分の見切りで、切っ先を裂けると、その右目を切り裂く。
ぎゃっと声をあげて、刺客は倒れる。
「な、なんと」
「驚いたか」
竜之進は無念神道流の道場で剣術を学び、二十歳の頃には師範代を務めるほどの腕
前だった。師匠から何度となく跡を嗣ぐ気はないかと言われていたほどだ。剣術の世界では有名人であり、何度も乞われて他流試合をこなした。
異世界の剣技は、彼の知っているものとは少し違ったが、刃で敵を倒すということに大きな差はない。
太刀筋を見切って、懐に入り、急所をつらぬく。それだけである。
竜之進が青眼に構えると、残った三人は広がって、彼を取り囲んだ。
いずれも剣を高く振りあげていたが、踏みこんでくることはない。
目で威嚇すると、動きが止まってしまうのである。
力量の差は明らかであり、それは竜之進も剣士たちも正しく察していた。
「退け。今なら、無用な怪我をせずに済む」
竜之進は猶予を与えたつもりだったが、それを嘲りと取ったらしい。
敵がいっせいに襲いかかってくる。
竜之進はあえて前に出ると、正面からの一撃をかわし、その腹を切り裂いた。
すぐさま右に跳び、下段からの一撃を避けると、敵の耳を鮮やかに切り飛ばす。
悲鳴があがり、敵が下がったところで、竜之進は三人目の敵と対峙する。
三人目の攻撃は前のめりになっていて、速さも力もなかった。
あっさりかわすと、首筋を刀の峰で叩く。
強烈な一撃で、剣士はその場に崩れ落ちた。
血の臭いが漂う戦いの場を一気に突っ切ると、竜之進は二人に切っ先を突きつけた。
「さあ、おぬしたちもこうなりたいか」
ザビレオールも尻餅をついて、首を振った。ヒラニセも目を見開いて下がる。
二人とも抵抗する意欲は失せていた。
竜之進は大きく息を吐くと、傷ついた剣士たちに歩み寄る。
すべては終わった。あとは始末をつけるだけだ。
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