第5話

「私どもも困っているのですよ。まさか、リコルノがあんなことをするなんて」

 ふうと息をついたのは、髪に白髪の交じる男だった。

 太ってはいるが、昨日のザビレオールほどではない。白の肌着に茶の上着を着て、黒のズボンをはいている。黒縁の眼鏡は漆塗りで、手がかかっていそうだ。

 竜之進は応接室で会っているのだが、その床には毛の絨毯が敷きつめられており、奥の台には白磁の壺がある。卓にも凝った装飾が施されており、相当に金がかかっていることが見てとれる。

 ヒラニセは、ヴァルドタント屈指の小間物問屋の主で、商工ギルドルの副代表も務める大物商人だった。帝国の北部地域に手代を派遣して特産品を買い占め、ヴァルドタントで売っている。南方にも店を出しており、そのうちの一つがラセニケ家の領地にある。

 リコルノの店とは商いの規模がまるで違う。向こうが町の屋台なら、こちらは日本橋の呉服屋といったところだ。

 そのヒラニセに、竜之進は面会を求めた。

 例の腕輪を仕入れたのが彼で、リコルノはヴァルドタントの店でそれを購入、後に伯爵家に売却したからである。

「手に入れるのは大変だったんですよ。あの職人、こちらが注文しても、なかなか品物を仕上げてくれませんからね。あの腕輪にしても、三年、かかりました。ようやく手に入れて、さあ、これからというところで、リコルノが欲しいと言ってきましてね。どうしたか迷ったんですが、まあ、最後には売ってやりました」

 ヒラニセは顔をしかめた。

「リコルノには、前から目をかけておりましてね。得意先を紹介したり、店の保証人に引き受けたりしたんですよん。そのうち、ヴァルドタントで指折りの雑貨屋になると思っていたのに。恩を仇で返すとはまさにこのことですよ」

 ヒラニセの言葉に間違いはなく、彼は何かとリコルノの面倒を見ていた。

 なぜ、あんな店に入れ込んでいるのかと訝る者もいたぐらいで、一時期は毎日のように得意先に連れ回していたらしい。

「で、これなんだがね」

 竜之進は箱を取りだして、ヒラニセの前で開いた。

「間違いなく偽物なのかい?」

 ヒラニセは手に取り、眺め回した。時折、日の光にあてて、石の輝きを確かめる。

「偽物ですね。間違いありません」

「そう言い切れるかい?」

「もちろんです。私は本物を見ていますから」

 ヒラニセはテーブルに腕輪を置いた。

「よくできた細工ですが、本物はもっと品のある輝きをしています。輪の組み合わせがすべてではないのですよ。一つ一つの輪が生み出す輝きが上質で、見ているだけで心を奪われそうになるのです。ごまかしは利きません」

「そう言われてもな」

「石の輝きも今ひとつです。多分キリケレシですね」

「キリ……なんだって?」

「石の名前です。本当はコソリというもっといい石を使っているんです。それが一つ、レベルの落ちたキリケレシに変えられています。間違いなく偽物です」

「なるほどね」

 先刻、ヒラニセは腕輪が偽物だと告げたのは彼だと語った。以前から伯爵家に出入りしており、家臣との関係は深く、その縁で鑑定したらしい。

 つまるところ、リコルノはヒラニセから買った腕輪を伯爵家に売り、それをヒラニセが偽物と断じたのである。その辺りは少しややこしい。

「お前さんの目利きを疑うわけじゃねえが、今回は人の生き死にがかかわる。町を追い出されてしまえば、リコルノの一族は路頭に迷う。かわいい盛りの娘もいるのに、それはあんまりだ。もう少し念を入れたい」

「と申しますと」

「この腕輪を作った職人に会わせてもらいてえ」

「いけませんよ。そんなことをしたら、殺されてしまいます」

「物騒だな。そんなに面倒な奴なのか」

「いえいえ、今のは物の喩えでして」

 ヒラニセはあわてて手を振った。

「とにかく人に会うのが嫌いなのです。面倒が起きると、すぐに引っ越してしまい、落ち着いたのは最近になってからです。だから、もう騒動は起こしたくないのです」

「だがな……」

「悪いのはリコルノでしょう。偽物を売ったのであれば、罰せられればそれでよいのです。同情の余地はありません」

「家族はどうなるよ。何も知らねえのに」

「娘は器量よしだから、誰かが面倒を見てくれますよ。どこぞの妓館に売ってもいい。奥方は亭主のやることを見逃していたのですから、いっしょに没落すればよいのです」

 ヒラニセの言い回しが、竜之進の癇に触った。

 そういう言い方をするのか。

「わかったよ。邪魔したな。じゃあ、職人については、お前さんには聞かねえよ。勝手に調べさせてもらう」

「余計な事をなさらないでください。もし、知られるようなことになったら……」

「あん、俺の調べに気づくってか。そんな近くにいるのか、その職人は」

 ヒラニセの顔が引きつった。しまったと言いたげである。

 竜之進はヴァルドタントの臨時見廻りであり、町中ならばどこへでも入れる一方で、それ以外での行動は厳しく制限されている。

 それを知らぬヒラニセではないのだから、動揺しているのは職人がヴァルドタントのどこかに隠れていることの証しだ。

 竜之進は腕輪を懐にしまうと、立ちあがった。

「収穫はあった。助かったよ」

「つまらぬところに首を突っ込まぬ方がよいかと思われますが」

 ヒラニセの声が低くなった。粘着質で、絡みつくような空気がある。

「うかつに踏みこめば痛い目にあいますぞ」

「悪いな。俺はやりたいようにやる。つまらねえ脅しには屈しねえよ」

 もう一つ収穫だ。

 ヒラニセは間違いなく敵だ。今後とも彼の邪魔をしてくるだろう。

 旗色がはっきりすれば対処のしようはある。一番、おそろしいのは、敵か味方かわからない相手だ。

 竜之進が見やると、ヒラニセは口をまっすぐに結んで、彼をにらみつけてきた。

 眼光は凶悪であり、さながら刀のように鋭かった。


 次の日から、竜之進は職人の探索に入った。

 自ら町中を見て回る一方で、リコルノやオックの手も借りて、調べを進めた。

 エレーネにも声をかけて、伝手つてをあたってもらった。

 調べの範囲はヴァルドタント全域に及び、竜之進は職人町に足を運び、それらしき人物を探した。

 しかし、反応は鈍かった。

 知り合いの細工師にあたっても知らぬと言われるばかりで、住み処はともかく、それらしい人物を特定できなかった。

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