第59話 いい人止まり、探す


 失踪中とされた期間の後始末をようやく終え、平穏を迎えた頃。

 オレは、なぜか一か月前の筋肉痛が残る足を引きずって、真っ先に憩いの丘へやってきた。


 公園内とその周囲をぐるっと回ってみる。

 当然、ゴミ箱に頭を突っ込んでケツをぶら下げている薄汚れた少女などいない。


 ……別にわかっている。

 確認しただけだ。


 彼女の建てたブルーシート小屋は、公園の隅に残ったままだった。


「燐さーん……いませんよねー……」


 一抹の期待を込めてドアを開けてみる。

 いつかのように、小屋のなかでは燐が着替え中で、怒って物を投げてくれないか……


 が、なかは案の定、もぬけの殻だった。


 天井のランタンを点けてみる。暗い部屋に人工的な光が点る。

 

 家具のレイアウトは前から変わっていないようだった。

 布団も敷きっぱなしだ。


 ただ、こじんまりとした引き出しを開けてみると――どの棚もすっからかんだった。

 元々空だった可能性もあるが、ここは生活拠点だったはず。

 着替えなどの生活用品が残っているほうが、自然だ。


 ということは、誰かが盗みに入ったか、燐が物を整理してから家に帰ったか……


 前者の考えは、ランタンや引き出しなどの家具が残ってることから少し考えづらく。

 後者の考えは、今のオレには少し毒だった。


 ここにいたら、もう一度会えるんじゃないか、なんて。


「やめとけ、そんな期待……」


 オレは自嘲して首を振る。


 ここにいないということは、燐の物語はハッピーエンドを迎えたってことなのだから……

 それは喜ぶべきことだった。

 オレは今度こそ、ちゃんと大事な人を助けられたんだ。それで充分なはずなのだ。


 でも……なんだろう、この欠落感は……


 一月前よりずっと寒くなった外気に晒され、一人泣きたくなっていると、足元に温かななにかがスルッと触れた。

 見下ろすと、一匹の茶トラ猫がオレの足に尻尾を絡ませていた。


 ……湯たんぽだ。


「そうか、お前はオレを覚えてるもんな……」


 足に擦り寄るその若い猫を懐かしい気持ちで撫でてやると、それは気持ちよさそうに喉を鳴らす。

 コイツも、今はきっと、本物の野良猫としてサバイバル生活をしているのだろう。


「燐に置いていかれちまったもの同士……強く生きていかねぇとな……」


 ゴロゴロと鳴くゆたんぽを撫で続けていると、つむじ風が枯れ葉を巻き上げながら、オレの髪を撫でていった。

 それはまるで生き物のような、奇妙で気まぐれな風だった。




   ◇




 強く生きていく――


 そんな漢の誓いを交わし合ったゆたんぽが、真っ先に飼い主との思い出を断ち切って――実際覚えていないだけだが――雄々しく独り立ちしていったなか、オレのほうはというとむしろ往生際が悪くなっていた。


 具体的には、燐が元いた総合高校に足繁く通うようになっていた。

 燐の親友を見つけることができれば、燐の居場所がわかるんじゃないかと淡い期待をしたのだ。

 

 ダサいだろ?


 笑えよ……

 

 しかし、一ヶ月前に一瞬目にしただけの横顔では、同じ制服かつ同じ黒髪の女子高生の群れから探し当てられるわけもない。


 次第に、目にするJK全てが燐の親友に見えてきたので、道行く彼女らに片っ端から「田村燐って知ってますか?」と聞き込みまくっていたら、不審者として警察に補導された。


 そのとき、交番のお巡りさんが教えてくれた。

 オレが未練を残したまま死んだ地縛霊として噂になっている、と。

 誰も答えてくれなかった理由がわかった……


 警察から解放され、短期間に二度もお世話になってしまった悲しさにトボトボと帰路についている最中、オレの頭にふとした懸念が浮かんだ。


 そもそも、今のオレは、彼女と会って相手にされるだろうか……?


 自分で言うのも情けないが、それは非常にありえる心配だった。

 なぜなら、向こうはオレのことを、覚えていないからだ。


 彼女がホームレスだったときは、過酷な環境に生きていたからこそ、オレに目を止めてくれた。


 しかし、野外生活から脱出した今の彼女は、ただの高嶺の花。

 顔面は芸能人並み、絵はプロ並み、スタイルはグラドル並み。


 一方のオレは、地縛霊。


 千パー無理だろ。


 そんな格の違う女子に、オレごときが、


「覚えてないかもしれないけど、オレたち昔、会ってたんだゼ?」


 などと声をかけても、相手にされるはずもない。

 下手したら三回目の警察案件だ。

 

 事実を述べているだけなのに、それを証明できる人は誰もいない。

 誰にも、あの公園で起こったことを共有することはできない。


 当時の燐が追いやられていたやるせなさを、オレは今更、体感していた。


 ……忘れられるって、こんなに寂しいんだな。



   ◇



 冬はみるみる深まっていく。

 オレは来る日も来る日も、あの市民公園に通い続けていた。


 どこかのタイミングで帰ってくるのを、心のどこかで期待して、日がな一日、待ち続ける。

 地縛霊とは、言い得て妙だったかもしれない。


 相手にされなくてもいい。

 ドン引きされてもいい。


 ただ一目会って、声が聞けさえすれば、それで充分だから……

 どうか……現れてくれないか……


 けれど、そんな願いが果たされることはなくて。


 秋の公園に心を囚われたオレを、ひとり残して。


 世界は容赦なく――


 春を迎えた。



――――――――――――――――――


次回、いい人止まり、屋上に呼び出されます。

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