第37話 いい人止まり、ゴミを見る


 カランカランカラン……


 一つ鳴ると付随していくつも重なる、軽い金属の転がる音。

 オレの汚部屋でもよく聞く音だ。


 不思議に思ってなかを覗くと、空き缶が、屋台の隅に林立していた。

 誰かがそのゴミを蹴ってしまったらしい。


「捨てないの、それ」


 早速文実の顔に切り替わった灯里が、指摘した。


「食べ物を出してないとはいえ、ゴミはゴミステーションに――」

「ご、ごめんなさい……でも、捨てられないの……ゴミ袋、いっぱいだから……」


 オレたちは、らいむの指差した先に目をやる。

 

 そこには、屋台列専用のゴミステーションが設置されていて、しかしどのゴミ袋も溢れていた。

 回収班が間に合っていないのか、入りきらなかった空き缶は、お供えみたいに周りに並べられている有様だ。


「あぁ、了解。それじゃ、回収して帰ろっか、純」

「おう」


 オレは何気なく答えて、ふと立ち止まった。

 理由はわからない。

 が、オレはそのゴミ捨て場から、目が離せなくなっていた。


「……純? どうかした? 行くよ?」

「なぁ、灯里……」

「なに?」

「缶ゴミって、売るといくらになるんだっけか……」

「……は?」


 灯里は怪訝そうに聞き返す。

 オレはその間も、溢れた缶ゴミを唖然として見つめてしまう。

 

 なんでそんなことが気になるのか。

 別に、缶ゴミの値段なんか、放っておいていいはずなのに。

 どうしても、今すぐ思い出さないといけないと、本能が訴えていた。


「なに、急に……知らないよそんな豆知識」

「いや、知ってるはずだ!」


 オレの怒鳴り声に、通行人たちが振り返った。


「じゅ、純? どうしたの? 怖いよ……」


 怯える灯里に、フォローを入れる余裕もない。


 吐き気がする。

 心臓の鼓動が、早まっていく。


 なんでオレ、こんなに焦ってんだ……?


「ご、ごめん……でも……」


 そもそも、どうしてオレは『空き缶の値段を知っている』という自覚があるのか。

 それすらもわからない。

 その部分だけが、ぽっかりと洞になっていた。


「誰かから聞いたはずなんだ……灯里じゃないなら、一体誰から……」

「テレビかなにかじゃないの?」

「違う。確かに人だった。人から聞いたんだ」


 脳が高速で回転し、神経が焼き切れる。

 頭の中が掻き回されるような痛みに、オレは雑踏の只中でうずくまっていた。


「ちょ、純! 大丈夫⁉」


 灯里の問いに、返事すらできない。

 歯を食いしばり、苦痛に悶えるあいだも、記憶の引き出しは片っ端から開け放たれていく。

 もはや、制御不能だ。


 このまま痛みが続いたら、まずい……


 死の予感が頭によぎった、刹那――


「すいませーん! 展示移動してまーす! 通してー!」


 不意に聞こえた呼びかけとともに、ドンと、背中に衝撃が走った。


 思わず前のめりにつんのめり、地面に膝をつく。

 激痛が頭を貫き、思わず声が漏れてしまう。


「あ、ごめんなさい……‼ 大丈夫⁉」


 痛みのなかでわずかに目を開けると、前から駆け寄ってきたのは、美術部の部長だった。

 その背後には、巨大なキャンバスが青空に聳えている。


 それは、全長二メートルほどの合作絵画だった。

 準備段階で見ていたから、知っている。運搬しているのも美術部員たちだ。


 けど、そこじゃない。

 そんなことはどうだっていい。


 眼前を飾る絵の具の色彩に、オレは強烈に目を奪われた。


 絵だ……

 絵なんだ。


 それに向き合ったときだけ、彼女は顔つきが変わるんだ。

 

 ――唐突に。

 薄汚れた格好をした少女の姿が、瞼の裏に浮かんだ。



 ……燐。



「えっ、純⁉ どこ行くの⁉」


 灯里の声を背に、オレは、一心不乱に走り出していた。


 筆を走らせるときの、真剣な表情。

 オレをからかうときの、悪戯っぽい目つき。

 ときおり見せる、切なげな微笑み。


 その持ち主を、目指して……



――――――――――――――――――


次回、いい人止まり、走ります。

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