第31話 いい人止まり、ツンデレ幼馴染とデートする②


 思わず、その場で固まっていた。

 店内の様子と灯里が、急速に視野の彼方へ飛んでいき、漆黒に包まれる。


 誰かを招待しようと思ったのは、それは覚えてるんだけど……

 その誰かが、思い出せない。


 名前も、どんな奴かも、どうして招待しようと思ったのかも、何もかもが記憶から消えていく。


 それはまるで、存在まるごとが薄絹のベールの隠されてしまったように。

 その人のイメージが、ぼんやりと滲み、空中に拡散していく。


 いや、ダメだ。諦めるな。あと、少しだ……

 もう少しで手が届く……

 もう数センチ……もう数ミリ……

 

 指先が、ベールに触れる。


「……あ、燐だ」

「リン?」


 灯里の声が、途端に耳に届いた。

 いっぺんに、現実が戻ってくる。

 

 オレは、全身に冷や汗が流れるのを感じながら答えた。


「あの、ホームレスの子だよ。駅で一緒に絵を売った」


 灯里は、少し間をおいて。


「……あぁ、あの子ね」


 苦虫噛み潰したみたいに渋い顔をした。

 なにもそんな顔しなくても……


 ともあれ。

 オレは半ばパニックに陥っていた。

 

 なんで今、燐を忘れたのか。

 掴んでしまえば、どうして忘れていたのかも思い出せない。

 しかし、彼女のことを忘失しかけていたこと自体は覚えている。


 やばいなオレ……

 燐の名前を忘れるなんて……

 まさか、もうボケが始まってるのか……?

 ほら、なんか、若年性アルツハイマーとかあったよな……?

 若年性って言っても、速すぎる気がするんだが……


「……はぁ、そうですかそうですかっと。ごちそうさまですっと」


 戸惑うオレの傍らで、灯里がガムテープを乱暴にカゴに投げ入れた。

 それでオレは我に返る。


「ちょ、お客さん、商品なんですけど……」

「買うんだからいいでしょ」


 さっきまでの明るさはどこへやら、冷たいまなじりは明確に不機嫌になっていた。

 燐の服を買いに行ったときと同じだ。


「興が削がれました。ひとりで探してきてください。あと必要なのは、接着剤とゴミ袋、あとアルフォート」

「え、灯里は……?」

「私は、別のお店でショッピングしてます」


 キッパリ言い放って、彼女はオレの下を去っていった。


 な、なんで怒ったんだ、アイツ……




   ◇




 アルフォートは絶対自分のおやつ用だと確信しつつ……


 備品購入とお使いを終わらせて通路に出ると、灯里はすぐ近くに入っている雑貨屋にいた。


 そこは、かわいらしいヘアピンなどが売っている、ザ・女子が好きそうな店だった。

 彼女は、店の一隅にある商品にジッと焦点を合わせ、吟味している。

 

「なに見てんの」


 背中から声をかける。

 振り向いた灯里は、手にしていたそれをオレに見せてきた。


「わすれな草のお守り、だって」


 細い短い紐の先に、小さな涙型のカプセル。

 中には、愛らしい小さな青い花が四つ留められている。


 キーホルダーか……?

 それとも、ストラップ……?


 帯に短く襷に長いというような、なんとも中途半端な長さだ。


「はぁ。買うのそれ」

「……迷い中」

「アラー! そちらの商品、可愛いですよねぇ?」


 鼻にかかった高い声に、オレたちは驚いて目を上げる。

 訳知り顔の店員が、いつの間にか隣でニコニコしていた。


 これっぽっちも気配を感じなかった。

 忍者か……?


「こちら、ヨーロッパの教会で作られた魔除けのお守りでしてぇ。誰かからかけられた呪いとか、人をそそのかす悪魔とか、そういった悪いモノを跳ね返すおまじないがかかってるんですよぉ、はいー」

「悪いモノ……」


 唐突に始まった説明を、灯里が神妙な顔で繰り返す。


「はいー。ですからこちら、恋人へのプレゼントとして買われるお客様も多いですよぉー?」


 店員がチラチラとオレの様子を窺いながら続ける。

 いや、違うからな……?

 

「あ、ちなみに、忘れな草の由来って知ってますぅ? ロマンチックなお話なんですけどぉー?」


 店員がさらに説明を重ねようとすると、灯里がわずかに目を上げた。


「騎士が溺れるやつですよね。川で溺れた騎士が、最期に恋人にこの花を投げた。それでついた名前が、忘れな草。中世ドイツのお話だったかな……?」

「よ、よくご存知でぇ……」


 店員は少し引いていた。

 オレは、自分の子供が粗相をしたような申し訳なさを感じる。


 ごめんなさい。この子、悪気はないんです……


「は、花言葉も素敵なんですよぉ?」


 店員が、なおもくじけず商品アピールを続ける。健気だ。頑張れ。


「先ほどの伝説にちなんでるんですけど、その花言葉っていうのが――」

「永遠の友情」


 ――まるで、話題をぶった切るように、灯里の言葉が周囲に響いた。

 その先の話はするな、とでも言うように。


 ごめんなさい……今のは悪気があります……


「あ、えーっと、よくご存じですねぇ! でもやっぱり一番有名なのはぁ――」

「これ、買います。お会計お願いします」

「へ? あ、ありがとうございますぅ!」


 店員がピュンとレジまで飛んでいく。

 その背中に二人で付いていきながら、オレはつい小言を言ってしまった。


「お前、不機嫌だからってあの態度はないだろ……」

「別に。そういうことじゃない」

「じゃあなんだよ」

「あれ以上言われても時間がもったいないってだけ。花言葉も全部知ってるし」


 素っ気ない返事。

 物知りすぎるってのも、問題だな……


「ラッピングはー……?」

「いらないです」


 会計を済ませた灯里は、店員からお守りを生のまま受け取る。

 そして、後ろで待つオレに、そのまま突き出してきた。


「……え? な、なに?」

「プレゼント。あげる」


 予想外の行動に、オレは虚を突かれる。


「な、なんで急に……? まだ誕生日でもないのに」

「別にいいじゃない。純、最近忘れっぽいし。だから、気をつけろって意味で」

「……忘れるな草ってこと?」

「そ」


 気が抜けてしまった。

 ……んだ、ダジャレかよ。

 灯里にしては、珍しい。


 意外の感に打たれながら、彼女の手からお守りを受け取る。

 そのとき、灯里が小さくボソッと付け足した。


「あと、悪い虫がつかないように……」

「あ?」

「アラーっ‼」

 

 灯里の言葉が聞こえたのか、レジ奥の店員が頬を押さえて黄色い声を上げていた。


 どいつもこいつもなんなんだ、いったい……


 女ってのは、サッパリわからん……



――――――――――――――――――


次回、いい人止まりが北欧ギャルの元へ向かいます。

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