第28話 いい人止まり、北欧系ギャルとしゃせい大会する③


 西日が、地平線の彼方へ消えつつある。

 東から夜が忍び寄り、街中の明かりが星のように灯っている。


 オレの部屋での絵画制作を区切りのいいところで打ち切ったオレたちは、今は燐の住処である市民公園へ向かっていた。


 昼間はコートなしでも済むが、日が落ちるとさすがに肌寒かった。

 そんな初冬の夕暮れに、わざわざ野外へ女の子を置き去りにしにいくなんて、意味わかんないよな……

 

 燐と出会ってから今まで、オレだって、なにも行動しなかったわけじゃなかった。

 十代の迷い子を受け入れてくれるNPOやら市の福祉施設やらを調べては、折に触れて燐に紹介し、助けを求めるよう説いてきた。

 しかし、彼女は必ず、聞かなかったフリをした。


 ――行っても無駄だから。


 彼女は笑ってそう言うのだ。


「……もう、そろそろ会って三週間だねェ」


 どうしたら彼女をこの危険な生活から救えるのかと物思いに耽っていたところ、悩みの種の当人が何気なく呟いた。


「よく覚えてるな」

「意外とちゃんと数えてるからね〜」


 オレも、日数を逆算してみる。

 橋丘らいむの飛び降り未遂が十月だったから……確かに、三週間か。

 体感ではもっと経ってる気がしていたが、数えてみれば半月強に過ぎなかった。


 燐と会ってからの日々は、刺激が強かったからな。いろんな意味で……


「すごく寒くなった〜」


 燐は小さな手を擦り合わせている。

 そういや、最近は無闇矢鱈にベタベタして来なくなった。

 まともなコミュニケーションが取れるのは大歓迎だ。……ちょっと寂しい気もするが。


「大丈夫か? そろそろ冬だが、なんか足りないものとかないか? 小遣いで買える範囲のものならオレが買ってもいいし」

「なに〜、心配してくれるの〜? 純くんやっぱりいい人〜」


 オレの腕をツンツンとつついてくる燐。


「いや、当たり前だろ、未成年がホームレスやってんだから。心配しないほうがおかしい」

「それが当たり前じゃないんだよ」


 燐が、切なげに首を振る。


「普通の人は、あーしを見ても遠巻きに眺めるだけ。純くんみたいに、知らない人にまで優しいのは、普通のことじゃないんだから」

「そうかぁ……?」

「うん〜」


 そんなことないと思うが、と喉から出かかったものの……オレは口をつぐんだ。


 野外生活者からしたら、それが真実なのかもしれないからだ。


 雨と風に晒され、人の好奇な視線から守ってくれるものさえない。

 そんな生きかたをしている人間は、きっとただ平和に生きてるオレとは見えてる世界が違うはずだ……


「だから、あーしは好きになった。あーしにとって、純くんは特別なの」


 その告白は、いつものからかいとは違う、深い親愛がこもっていた。

 それは温かなお湯のように、オレの冷えた心をじんわりと温めた。


 コイツ、オレのこと本当に好きなんだ。

 初めて、自然に納得できる。


 おふざけでも、利用するためでも、なんでもなく。

 ちゃんとまっすぐ、オレのことが好きなんだ……


「灯里っちにも、その優しさを見せてあげたらいいのにね〜」


 だから、その言葉はまったくの予想外だった。

 振り返ると、燐が何食わぬ顔で道端の石を蹴って歩いている。


「は……はぁ? なんで今アイツの名前が出てくんだよ」

「だって、あのコずっと寂しそうだし。純くんと会うときは、いつも悲しそうな顔してるよ、灯里っち」

「そう、か……? んなこと、感じたことないんだが……」

「そういうの分かっちゃうんだって、あーしは。意外と繊細なの」


 燐は、蹴っては転がる石ころに視線を落としながら、当然のように尋ねてくる。


「……灯里っちと付き合う気はないの〜?」

「んな……」


 オレは盛大にうろたえた。


「なんでそんな話題になってんだよ……お前、今オレのこと……その、好きって言ったばっかだろ」

「純くんにはちゃんと幸せになってほしいから」


 彼女の目は思いの外真剣で、気圧された。


「告白されたこととかないの……?」

「いやその……小学生のときに一回あったけど……でも罰ゲームだったって本人言ってたし……」

「それ、本当?」

「そりゃ、そうだろうよ……オレみたいな垢抜けない奴、灯里が選ぶ理由ないし。しかも、オレらきょうだいみたいなもんで……」

「純くんがどう思ってるのかは今聞いてないんだよ」


 燐が珍しくハッキリとした口調で、オレを制する。


「向こうがどう思ってるか、純くんはしっかり聞いたことあるの?」

「いやその……」

「純くん、いつもあのコの目を避けてる。灯里っちは、見てもらいたくて必死に動いてるのに、ずっと距離を取ってる」

「……」

「純くんが灯里っちになにを思ってるのかは知らない。でも、灯里っちを無視してるのは確かだよ」


 そういってから、まるで自分事のように彼女は呟いた。


「大切な人から無視されるのは、ツラいよ……」


 オレは、驚きに言葉を返すことさえできなかった。

 なにもかも、図星だ。

 言い訳さえできない。


「悪い……気を使わせてんだな、オレ……」

「うん。だから、ちゃんとお話してあげて〜。あの子、きっと苦しんでるから」


 燐は、急に元の緩い口調に戻ると、人差し指を上げて言った。


「『大切な人といられるうちに、きちんと気持ちを伝えるべし!』 これ、ホームレス知恵袋ね」

「お、おぉ……重たいな……」


 抱えきれねぇよ……


「んじゃあ、ここでいいよ」


 燐は不意に足を止める。

 気づいていなかったが、そこは既に公園の入り口前だった。


「別に、小屋まで送るのに」

「いいっていいって。そろそろ時間が来る頃だから」

「時間?」

「寮に帰る時間」

「あぁ……」


 確かに、時刻は帰寮時間に近づいている。

 少し早歩きで帰らないと、間に合わないかもしれないな。


「絵、完成したらちゃんと受け取ってね」

「あ……? あぁ、もちろん。楽しみにしてるよ」

「よかった! じゃあね!」


 燐は子供のように別れを告げると、園内の先へと駆けていく。


「……燐!」


 その背中に呼びかける。


「なにー?」

「ありがとなー!」


 感謝を伝えると、振り返った燐は、快活に笑っていた。


「純く〜ん‼」

「んー?」

「大好き〜‼」


 返ってきたストレートな告白に、オレは返す言葉を持たなかった。

 湧き上がる複雑な感情に、喉が詰まる。


 今の燐は、傍目には普通の少女にしか見えないだろう。

 しかし、彼女がこれから帰るのは、暖かい家でも、騒がしい寮でもない。


 孤独と闇と寒気に包まれた、ボロ小屋だ。


 関われば関わるほど、なおもって、理解ができなくなっていた。

 彼女が置かれている、この理不尽な状況に。


 ――彼女の助けになりたい。


 公園の暗い影へ溶けていく、儚げな後ろ姿を見送りながら。

 ただ、一心にそう思っていた。



――――――――――――――――――


次回、いい人止まりが黒髪幼馴染と向き合います。

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