第26話 いい人止まり、北欧系ギャルとしゃせい大会する①


 湿気で曇った部屋の窓を、木枯らしが切なげに揺らす。


 緊張し切ったオレは、わずかに腰を動かして場所を確認する。


「その……ここで合ってるか? こういうの、オレ初めてで……」

「合ってるよ〜、大丈夫」


 そんなぎこちないオレの様子に微笑む燐は、優しくリードするように手を伸ばして、正しい位置に固定する。


「じゃあ、純くんはもう動かないでね……」


 今のオレたちは、オレの寮部屋で二人きり。

 今までの関係から逸脱するのを、邪魔するものは誰もいない。


「次は、あーしが動くから……」


 燐は、ベッドの上で硬くなるオレの前で、前後左右に体を動かし始めた。

 そして……


「やっぱり、ここが一番イイかな……」


 と、ついに深く腰を下ろして――画用紙に下書きを始めた。


 二人きりの寮部屋で――


 以前、オレが頼んだ『オレの絵を描く』という約束を、今日果たすことになったのだ。

 今のオレは、自室のベッドに座り、燐に指示されたポーズのまま動きを止めている最中である。


 今日のオレたちの関係は、『北欧ギャルホームレス』と『おせっかい男』ではない。


 『画家』と、『モデル』。

 『描く人』と、『描かれる人』。

 『観る人』と、『観られる人』。


 オレの絵を描くのだから当たり前だったのだが、オレは自分がモデルをしなければいけないのだということに、燐に言われるまで思い至らなかった。

 十七年のパッとしない人生において、絵のモデルになるというのは当然初めてだ。


 なんというか……気恥ずかしいな……

 モデル違いだけど、灯里もこんな気持ちになるのだろうか……


 緊張して硬くなるオレの前では、燐がデッサン対象のオレを念入りに観察していた。

 スケッチの手を止めては、鉛筆を顔の前に持ってきて、片目を閉じてオレのバランスを確認する。


 おぉー、なんか画家っぽい。


 オレがそんな彼女の豹変ぶりに目を奪われていると。

 不意に、燐が子犬のように、鼻をクンクンと動かし始めた。


 一気に不安になる。


「もしかして、やっぱ臭うか……?」

「うん〜、純くんの匂いがする〜」

「そりゃ、オレの部屋だし……つーか、そういうことじゃなくて」


 オレが気にしてるのは"それ以外の匂い"だ。

 オレは、彼女を部屋に上げてから、自室の惨状がずっと気になっていた。


 今日は風が強くて屋外では描けないというので、無理やりオレの部屋に上げる羽目になったのだが。

 掃除する暇すら与えてもらえなかったおかげで、部屋には、早く捨てなよ!って瑛一に言われそうな物が至るところに置かれたままだった。


「ごめんな、こんなゴミだらけの部屋で……」

「全然へ〜き〜。ゴミとか慣れてっし」

「……確かに」


 あまりに正論過ぎて、なんの気の利いたフォローもできない。

 この女、住んでる家自体が、ある意味ゴミの集合体だしな……

 慣れてる、の次元が違うわ。


 しかし、平気とは言ったものの、彼女はなぜか部屋の匂いを嗅ぎ続ける。

 ……段々、恥ずかしくなってきた。


「やっぱ、ちょっと換気しよう」

「え、ダメだよもったいない」

「……もったいない?」

「じゃなかったわ。風強いのに開けちゃ意味ないっしょ〜。寒いし、紙飛ぶし」

「あぁ……まぁ、そっか……」


 オレは言われて、窓の外を窺う。

 外は、鋭い北風が街路樹の枯れ葉を吹き散らしていた。


 木枯らし一号が報道されてから、もう二週間くらい経つ。


 気づけば十一月。

 残暑に困らされていたのも、ずっと昔のようだ。


 暑かった夏を思い出していた、そのとき。


 ……コンコン。


 ノックの音ととも聞こえてきたのは、瑛一のくぐもった声だった。


「純ー? いるー?」


 ま、まずい……!

 女の子を連れ込んでるなんて知られたら、大変なことになる……!


「ちょっと待て! 今出るから!」


 オレは扉の先に叫ぶと、燐に向けて小声で指示する。


「隠れろ……ッ!」

「え〜? どこに〜?」

「どこでもいいから!」

「あーしは見つかってもいいんだけどォ……?」

「オレが困るんだよ! 頼む!」

「仕方ないなぁ〜……」


 そう言って、歩き出した燐が、


「ふぇぶっ!」


 速攻ズッコケた……


 床に散らかったプリントかなにかで、足が滑ったらしい。


「え、純、大丈夫⁉ ……あれ、鍵空いてる。入るよ?」


 嘘だろ……!

 オレ、鍵閉めたよな⁉


 記憶をたぐる隙もなく、ドアが容赦なく開いていく……

 オレは咄嗟に、ベッドの隅に押しのけられていた毛布を丸めて燐へぶん投げた。


 間一髪――


 燐が全身を毛布で隠したところに、瑛一が顔を出した。


「……大丈夫?」

「お、おぉ、ちょっと転びかけただけ。どした?」

「なんか、管理人さんがお菓子もらったから食べるかって」

「あぁー、オレはいいや。腹減ってねぇから」

「ふーん、そう……」


 そう言いながら、瑛一の視線は、部屋の中央で不自然に膨らんだ毛布に注がれる。

 冷や汗が滝のように流れる。


「ど、どうした……?」

「なんか、さっき女の人の声が聞こえた気がしてさぁ」

「い、いやー、なんのことかなぁー?」

「んん……?」


 瑛一は怪訝そうにオレを見、丸まった毛布を眺め、そして、もう一度毛布に着目してから――吹き出した。


「プッ――! アハハッ! ちょっと純、分かりやすすぎるってぇ。そういうのはもっとうまく隠さないと」

「え、え……?」

「いやでも正常だよ、うん。僕はむしろ安心した。純、びっくりするくらいウブだからさぁ。もしかして、そういうことさえ知らないんじゃかと心配してたくらいで」

「えぇっと……」

「あ、このことは、灯里には黙っててあげるからね。それじゃごゆっくりー」


 瑛一はひとしきり言い切ると、ウィンクまでして去っていった。

 言葉尻から判断するに、バレてなかったとは思う。

 ただ、なんかしょうもない勘違いをされたような気がするが……


「……もういいぞ」


 オレがげんなりしながら合図すると、燐が毛布から這い出てくる。

 彼女の頬は、なぜか真っ赤に染まっていた。


「ん……? お前、顔赤いけど大丈夫か? どっか打った?」

「ふぇっ? あ、だだだ、大丈夫だよォ〜? 暑かっただけ〜」


 彼女は、胸元をパタパタと仰ぎながら、笑ってみせる。

 毛布被っただけでそんなに暑くはならないと思うんだが……


「本当か……? 寒くなってきたし、なんか熱とかあったら……」

「いやほんと平気っていうか、単純に毛布が純くんすぎて胸いっぱいっていうか……」

「……?」

「この毛布、持って帰っても?」

「ダメだよ。なにいきなり人の寝具ねだってるんだ」


 混乱しすぎだろ、コイツ。

 全く平気ではなさそうだ。


「とりあえず、絵のほうは一旦中断していいか……?」

「ふぇ?」


 オレは床から立ち上がって、諦め顔で肩をすくめた。


「やっぱ、ちゃんと掃除するわ……」



――――――――――――――――――


次回、いい人止まりが北欧系ギャルと震えます。

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