第15話 いい人止まり、北欧系ギャルとデートの約束をする


 ラッキースケベによる熱いほとぼりが、ようやく冷めたころ。

 

 燐は、小屋から意外なものを持ち出してきた。

 

 画板、紙、筆、水入れ、パレット、絵の具、エトセトラ……

 水彩画道具一式だ。

 

 ベンチに座り、それらを慣れた様子で準備すると、風に散る紅葉の風景を紙に書き写し始める。

 先程、バケツに水を溜めていたのは、このためらしい。

 

 オレも隣に座って、パシられついでに買ってきたコーヒーを開けた。

 

 プシュッ――

 

 缶にこもっていた圧力が解放され、大人の香りが広がる。

 

 公園内の樹木たちは、赤や黄色に色づいて、美しい。

 もうすっかり秋だ。


「絵なんて描くんだな、燐」


 何気なく聞いたオレに、燐は小首を傾げた。


「意外〜? ギャルだから?」

「まぁ……」

 

 まるで心を読まれているような指摘に、オレはちょっと失礼だったかなと反省する。

 でも、一般的にホームレスの北欧ギャルは絵を描かないだろう?

 ……ホームレスの北欧ギャルが一般的ではないのは置いておいて。

 

「絵だけが唯一の趣味……というか、特技なんだよね〜」

 

 彼女は紙を着色していきながら説明した。

 

「習ってたりしたのか?」

「うん。絵画教室に行ってたよ〜。小さいときからずっとね」

「マジ意外だ……いや、いい意味で」

「それ、いつも言われる〜」


 燐はくすぐったそうに笑うと、風に揺れる銀髪に手をやって、気持ちよさそうに呟く。


「いい風〜」


 燐の膝に置かれた現実の秋景色が生き生きとした表情で現れ始めていた。

 独特で、華やかな色使い。


 まるで魔法使いみたいだ、と思った。


「うまいな……」

「本当? まァ、ちゃんとお勉強したかんね〜」


 オレは、理由もなく隣の燐の横顔を眺める。


 卵形の、小さな顔。

 犬猫のような、大きな瞳。

 目元を飾る、愛らしいほくろ。

 日に当たって透ける、シルバーブロンドの髪。

 

 改めて、目を疑うような美しい乙女だ。


 その瞬間――

 

 脈絡もなく、唐突に、胸が高鳴った。

 動悸がする。

 視界が揺らぐ。

 世界がキラキラと輝き出す。

 

 燐から目が離せなくなっているのは、なぜだろう……

 

「……? どうかした〜?」

「い、いや。なんでも……」

 

 オレは顔ごと目を背ける。

 内心では、十七年の人生でも経験したことのない気持ちに、オレは動揺していた。


「本当に大丈夫? 顔が赤いけど……」


 燐の顔が近づいてくる。

 鼓動がさらに激しくなる。


「だ、大丈夫だから……! と、ところでさ! あー、人の絵とかも描けるのか?」


 オレはごまかすために話を振る。


「もち。描けるよ〜」

「じゃあさ、今度オレの絵とかも描いてくれよ」

 

 これも別に、頭より口が先に動いているだけだ。

 本当に描いてもらいたいわけじゃない。


 しかし、そんな言葉に、彼女の筆はピタリと止まった。


「……来ちゃったか〜、そのお題」

「え、オレなんかまずいこと言った? あ、もしかしてベタな感じ……?」

「まァ、会う度に言ってくるお客さんはいるかな〜」


 なんだそいつ、ナルシストか……?

 オレは焦った。

 今の燐には、なぜかどうしても幻滅されたくない。

 

「あー、ならいいわ。ちょっと思いついただけだし……」

「イヒヒ、恥ずかしがらなくても平気だよ〜。自分の絵を描いてって、よくある依頼だし」

「あ、そうなの」

「中世ヨーロッパでは」

「貴族のヤツじゃん……」


 燐はクスクスと笑う。

 それだけで、オレの心はそのまま空に舞い上がっていきそうになる。


「さてさて〜。これなら売り物になるかなァ?」


 燐が手元の絵を掲げると、しげしげと見定め始めた。

 気づかないうちに、完成していたらしい。


「えっ、売るのかそれ?」

「うん、駅前でね〜。ホームレス女子のお小遣い稼ぎってやつ?」

「……すごいな」

「イェーイ」


 ギャルピース。

 

 オレは素直に尊敬してしまった。

 自分が作ったもので商売するなんて、自立した大人のようだ。


「ま、ふつーに全然売れないけどね〜」


 道具を片付けながら、燐は何気なく呟く。


「これは買ってもらえたらいいなァ……あっ、いいこと思いついた〜」


 燐は、わざとらしい上目遣いでオレを伺い始めた。


「純く〜ん……日曜とか暇?」

「え、そ、それはどういう……」


 いわゆる、デ、デート的な……?


「この絵売りに行くんだけど、額縁とか入ってるから重いんだよね〜。だから、荷物持ってくれないかなァ、な〜んて。……ダメェ?」


 ……荷物持ちか。

 いや、わかってたけどね? 期待とかなにもしなかったけど?


「ま、まぁ、行ってやるよ」


 オレが答えると、燐の顔がパッと明るくなった。


「じゃあ、日曜日! 一時にここね!」

「……おう」


 仕方ないなぁ、みたいな雰囲気で肩をすくめてみせる

 が、胸の内では浮き足立っていた。


 この感情は、どことなく不埒だ……


「あ、あー。オレ、もう帰るわ」

「あれ、もうそんな時間〜?」

「今日は課題多くてな。早く帰らねぇと」

「そっか〜。じゃあ、またね」

「おう。また」


 手を振る。そんなことにさえ幸せを感じる自分がいる。

 オレは公園の出口へと繋がる道をついスキップで、帰る。

 

 そこで、思わず止まって、二度見した。


 一際大きな木の陰に、見覚えのある姿を見つけたからだ。

 その人間は、ひとり腕を組んで、じっとこちらを見ていた。


「……うェ⁉ 灯里⁉」


 なんで⁉


「……幸せそうね、純」


 灯里が感情のこもっていない声で返事した。

 その目には光が灯っていない。


「お、お前、こんなとこでなにしてんだ……⁉」

「なにって、別に? 純、今日も公園にいるのかなぁって思ってさ」

「も、もう帰るぞオレ……」

「そうみたいね」


 学校一の美少女が、オレを氷のような視線で突き刺している。


「あの、一応確認なんだが、い、いつからいた……」

「ついさっきだけど」

「そ、そうか。ならいいんだ」

「……日曜一時ね」


 コイツ、メチャクチャオレたちの話聞いてやがる……

 

「えっ、ちょ、まさかお前、来るつもりか⁉」

「ダメ?」


 灯里は、燐とは反対に痛み一つない黒髪を揺らして、首を傾げる。


「別に、ダメじゃねぇけどさ……絵を売りに行くだけだし……」

「なら、私も行こっと。ちょうどその日は空いてるし」


 灯里は、決定とばかりに木陰から出て、オレの横にヒョイと降り立つ。


「それに、純がいつもお世話になってますって、ご挨拶したいしね」

「……灯里、なんか怒ってるか?」

「そんなことない」

「そ……っか」


 こんな答え方をするときは、絶対怒っている。

 長い付き合いだ。

 間違いなく激怒してる。


 オレは釈然としないまま、先を歩く幼馴染についていくしかなかった。



――――――――――――――――――


次回、いい人止まりが幼馴染との過去を話します。


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