第2話 挨拶

 四人揃って川向こうに続く道を歩き、一番近所と言える住宅に辿り着いた。これだけで五分経っている。ご近所付き合いがあまり深くは出来なさそうだ。


 田中と書かれている表札の横のインターフォンを押す。すぐに声がし、ドアが開かれた。


「川を挟んで向かいに引っ越してきた宮下です。ご挨拶をと思いまして」

「まあまあ、これはご丁寧に。田中です。どうぞ宜しくお願いします」


 出てきたのは六十代程の女性だった。柔らかな物腰に強張っていた体が幾分か和らぐのを感じた。引っ越しの挨拶に用意した菓子折りを手渡して軽く世間話をした。


 続いて右、その右と挨拶を続ける。二軒目は留守だったが、三軒目と四軒目には挨拶することが出来た。四軒目の里原はこの町の町長をしていると言っていた。


「どうも。今、町おこしで住宅をどんどん建てる計画をしちゅうがです。こうして引っ越してきてくださって我々も嬉しいです」

「そうだったのですか。これから宜しくお願いします」

「こちらこそ」


 町長の言葉を聞いて正志は納得した。道を歩いても人とすれ違うことがなく、住宅自体が少ない。なるべく若い世帯に引っ越してきてほしいのだろう。驚く程安かったのも頷ける。


 里原に近くのスーパーや小学校を教えてもらい、引っ越しの挨拶は終了した。


「スーパーがバスで十分。まあ、許せる範囲ね」


 妻の由里子は車を所持していない。今まで車が必要な地域に住んでいなかったので、すっかりペーパードライバーになってしまった。ここは一人一台が常識らしく、四軒とも車が何台も置かれていた。


「大丈夫かしら」

「平気だよ。毎日行くわけじゃない、たまには俺が仕事の帰りに寄ってもいいし」

「そう? ありがとう」


 正志の会社は隣の市にあり、通勤の途中に教えてもらったスーパーもある。由里子は負担が減りほっと胸を撫で下ろした。


「じゃあ、さっそくスーパー行ってみましょ。そこで全部揃えられるのか分からないから見てみたいわ」

「美結も行きたい」

「よし、みんなで行こう」


 正章だけ難色を示したが、何も知らない家に一人は嫌だったのか、渋々ついてきた。

 教えられた通り、車で十分で着いた。


「スーパーまるよし。聞いたことない」

「地元のチェーン店なんじゃないかな」

「結構広いじゃん」


 由里子がカゴとカートを用意している間に、三人は先に店内へ入っていった。この辺りには大きなスーパーはここしかないそうで、休日ということを考慮しても確かに客が沢山いる。


「ちょっと暗いわ」


 カートを押しながら由里子が天井を見上げる。照明がいくつか切られていた。


「節電ってやつだろ。許容範囲だよ」

「ねぇ、お菓子売り場行っていい?」

「迷子になるからママといて」


 その横を正章がすり抜けていく。


「こら、正章もだぞ」

「僕はもう六年生なんだけど」

「まだ六年生だ」


 正章はまだ納得のいかない顔で父の斜め後ろを歩いた。


 大型スーパーとはいかずとも、食品売り場以外に日用品や服も売っていて、ブランドを気にしなければたいていの物は揃いそうだった。駅近くにはコンビニが一件、正志の勤務先近くにもドラッグストアがあることは分かっているので、生活する分には問題ないことが分かった。


「まあ、服はネットで買えばいいし。ここまで運動と思って自転車で頑張るわ」

「ママ、ちょっと太ったって言ってたからちょうどいいんじゃない」

「外で言わないでよ」


 すれ違った客と目が合い、由里子が小声で注意をする。小さい町だからか、見慣れない家族が珍しいのか先ほどからこちらを向く客が多い。


「気まずいわ」

「別に、あっちだってなんとなく向いただけだろ」

「でも。あ、卵安い」


 由里子が目についた卵をカゴに入れる。子どもたちも次々とお菓子やジュースを入れていった。今日ばかりは両親も何も言わない。


「今日が土曜日でしょ。明日も買い物来るとしても、三日分はおかず買っておきたいわ」


 肉や魚はせいぜい二、三日しか持たないので、使いきれなかったら冷凍庫に入れておくにしても、週に最低二回はここへ来ることになりそうだ。


 十分かけて店内を散策し、その後冷蔵ものをカゴに入れていった。


 めいっぱい買い物をして、袋を車に詰め込む。初めての買い物は満足のいくものに終わった。


 自宅へ帰宅途中、リュックを背負った親子連れが車の左側に位置する山に向かって手を合わせていた。山に何かあるのだろうか。


「パパ、あの親子何してるのかな」

「え、運転してたから見てなかった」


 言っているうちに親子は見えなくなった。由里子も大して気にせず、前に向き直る。


「さて、帰ったら夕飯の準備しなくちゃ。外食があまり出来ないのがネックだなぁ」

「ママ、スーパーの横にレストランあったよ」

「あそこくらいだね」


 ファストフードが好きな美結は少々不満そうだった。


「駅向こうにもあるみたい」

「やった。明日行こ」


 先月与えられたスマートフォンで正章が周辺のレストランを検索する。美結が興味深そうにそれを見つめた。


「荷物の整理が終わってたらね」

「美結、頑張る。手伝うよ」

「はは、現金だなぁ」

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