幸運な家族

新しい町

第1話 引っ越し

 宮下一家は目の前の一軒家を見つめた。今日からここが我が家となる。後ろが山で、近所の住宅がやや離れているのが寂しいところだが、昨日まで住んでいたマンションの二倍はありそうだ。


 聞いたところによると、築一年しか経っていないらしい。交通の便が悪いためなかなか買い手が付かず、値段を下げて売り出されていたところを父の正志が目を付けた。


 この辺りの相場は一軒家で二千万円に届くかどうか。ここは広い庭があるため二千万円といったところだが、実際は一千万円弱で購入した。さすがに値下げし過ぎだと訝しんだが、不動産屋に確認しても、この土地で殺人事件や自殺があった記録は無いという。


 間もなく十月に入ろうという土曜日、まだここは夏を忘れておらず、セミの鳴き声が一家を賑やかに歓迎している。


「ここ、本当に私たちの家?」

「そうだぞ。ちょっと田舎だけど、ここなら子ども部屋だって三つ作れる」

「やったぁ~一つ余るからみゆにちょうだい」

「僕の方が年上だから二つ使う」


 父の都合で転勤となり、田舎への移住に文句を言っていた子どもたちだが、新築で広い一軒家を見てすっかり気に入ったようだ。


 家が広いのはもちろん、庭も広い。これでサラリーマンの正志が即金で購入出来る金額だから驚きだ。死亡案件が無いとすると、それだけ人気の無い土地ということになる。周りの風景を眺めて正志は短く息を吐いた。


──確かに、車を持っていないと難しい場所だな。


 車があれば平気だが、ここまで大自然だとそれでも不便そうには思える。


「ここから会社はどのくらいなの?」


 由里子が不安そうな声で聞く。隣の市が勤務先なので元々そこで家を探していたのだが、ここが通常の半額だったため、少しの距離には目を瞑って即決したのだ。


「車で三十分くらいだから、むしろ電車通勤だった頃より近いよ」

「それなら安心ね」


 正志が家に向かって両手を広げた。


「もしまた転勤があって家を手放すことになっても、五年もいれば賃貸より安く済むんだ。かなり良い買い物だったと思うよ。売りに出したらお金も半分以上は戻ってくるだろうし」


 真っ白な我が家に大喜びで飛び回っていた美結がふと思いついたように言った。


「ねえ、広いのは素敵だけど遊びに行くの大変そう。駅ってどの辺?」

「あっちの方。確か歩いて三十分くらい」

「遠い……」


 大きく膨らんでいた期待が萎んでいく。兄の正章まさあきは妹とは反対ににやにや笑っている。


「僕は自転車あるから平気」

「自慢!?」

「別に」

「美結だって乗れるようになったんだから! もうすぐ買ってもらった自転車届く予定だし!」


 美結が正章を睨むが、正章は笑うだけだ。両親もいつものことと止めもしない。


 業者から受け取った鍵でドアを開ける。中はまだ新築の匂いがした。正章が一瞬顔を顰める。


「何か匂わない?」

「え? あ、木の匂いでしょ」

「そうかなぁ」


 母の答えに肯定も否定も出来ない。木の匂いと言われたら、そういう種類もあるのだろう。そう思える程度の僅かな違和感だった。


「ほら、それより荷物片付けましょ」

「はぁい」


 まだ家族には、先ほど引っ越し業者が運んでくれた荷物を整理するという大仕事が待っている。


 一階がリビングと両親の寝室に客間、二階の三部屋のうち二部屋を子ども部屋とすることになっている。余った一部屋は荷物部屋になりそうだ。大量の荷物に子どもたちは文句を言いながらも、自分の部屋を形作っていった。


「は~、中も立派なもんだ」


 新しく建てられただけあって、コンロや風呂の設備も完璧だ。正志が階段横の柱を触る。


「随分大きな柱だ。大黒柱ってとこかな」


 大黒柱の平均を知らないが、二十センチメートルを優に越しているのできっと太い部類に入るだろう。


「あれ」


 その後ろに、木でできた棚が備え付けられていた。大黒柱に固定されており、動かすことは出来ない。この分だと床とも接着されていそうだ。床から十センチメートル程の部分は何かの花模様があしらわれており、その上部分に扉が二つ上下で付けられていた。


「大黒柱と同じ太さだから、余った木で作ったのか」


 大工のサービスというところだろう。正志は深く考えず、リビングへと歩いていった。


「パパ、そろそろお昼だから正章と美結を呼んできてちょうだい」

「うん」


 休憩がてら四人で昼食を取り、その後三十分作業してだいたいの荷解きが完了した。


「細かいのは明日にして、ご近所に挨拶しよう」

「お父さん、ご近所って言っても、右も左も家は無いよ」


 正章の言う通り、ここは宮下家の一軒家がぽつんと建っているのみ。リビングの窓から外を覗くと、川を挟んで住宅が四軒並んでいるのが見えた。


「なんで美結たちの家だけこっちなの?」

「多分、もう誰かの土地だから、新しく建てるとしたらこっちだったんじゃない。もっと何年かすればこの並びにも家が建つわよ」

「そしたら、年が近い子が住んでほしいなぁ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る