第7話 トラウマ、再び
まさか、またこんな日が来るとは思いもよらなかった。
俺は今、高校の体育倉庫の中で暴力を受けている。今は昼休みで、周囲には俺と富樫、そして富樫の友人たちしかいない。
午前の授業が終わるや否や、富樫とその友人に腕を掴まれて、人気のないこの場所に連行されたのだ。
「唯奈はなんでこんな奴と一緒にいるんだよ!」
「ぐべぇっ!」
そう叫びながら、富樫が俺の腹にパンチを打ち込んでくる。腹に来る衝撃と痛みから、胃の内容物が喉までこみあげてくる。
この感触、中学生の時以来だ。懐かしいな……、嬉しくはないけど。
屋上で富樫の入部届をビリビリに破いてからはや1週間、おれは富樫から毎日のように暴行を受けていた。
なんで自分があんなことをしたのかわからない。富樫が入部したことを想像したとき、理由はわからないが、とにかく気にくわなかったのだ。
「梓馬、あんまり目立つところを殴るなよ。暴行がバレたら問題になるぞ」
「わかってるよ
富樫を窘めたのは
「早く、入部届を受理しろよおらぁ!!」
「ぐほ、がはっ……! 嫌だね……」
富樫が俺を暴行する理由は簡単だ。俺が富樫のラノベ同好会への入部を受理しないからだ。俺の強硬な姿勢に、富樫が業を煮やしたのだ。
容姿端麗でスポーツ万能で人望の厚い富樫が、まさかこんな暴力に訴えるような輩などとは思いもよらなかった。
そうとわかれば、なおさら入部を認めるわけにはいかない。古椎をこんな荒くれ物と同じ場所に置いておけるわけがない。あんな無礼で不遜な奴でも、一応は俺の大事な後輩なのだ。
「なんだ、お前やっぱり唯奈に気があるんだろ!? そうでもなきゃ入部認めるだろうが!」
「ぐばぁっ!」
富樫の猛攻は続く。いままでの苦痛の蓄積でそろそろ意識が飛びそうだ。
「諦めろよ。唯奈はお前みたいなオタクと釣り合うような女じゃねーんだよ」
それはそうだろう。悔しいが認めざるを得ない。
古椎は眉目秀麗で優秀な才媛だ。俺みたいなチビとは社会的にも物理的にも釣り合いが取れていない。
「唯奈も罪な女だ。こんな三下をその気にさせやがって。付き合うつもりもないのによ!」
その気にさせたとは、心外な。古椎のことなんか好きになるものか。俺はもっとおしとやかで優しい女性がタイプだ。
「早く入部させろ! そしてさっさと唯奈を渡せ!」
なぜこいつは入部したら古椎と恋仲になれると思っているのだろう。そんな保証はどこにもないのに。それほど自分の魅力に自信があるのだろうか。
見てくれは確かにいい。だがしかし、本性はこんな凶暴だ。こんな奴のことを古椎が好きになるとは到底思えない。
「梓馬ー。こんな奴にかまってないで、さっさと遊ぼうぜ」
そう言ったのは富樫のもう一人の友人、
「……わかったよ。今日はこれくらいにしといてやるよ。次、入部を認めなかったら。……わかってるな?」
そういって、富樫は武中と豊島を連れて体育館倉庫から出ようとしたその時、入り口に古椎が憤懣やるかたない様子で立っていた。
「富樫先輩、何してるんですか」
怒気に満ちた低い声で、富樫に問いかけた。
「……チッ、見られたか」
「最近、鈴原先輩が部室いないと思ったらこんなことに……」
古椎は、富樫たちの横を巣に抜けると、倉庫の壁にもたれかかっている俺のところまで来て、自分の持っているハンカチで俺の口角の泡を拭き取った。
「鈴原先輩、大丈夫ですか!?」
「ぐふっ……。……まぁこんくらい、慣れてるからね」
自分でも悲しくなるような強がり方だ。まるで、昔は今以上に暴力を受けていたような発言だ。しかし、古椎が今更俺に幻滅するようなことはないだろう。
「何でこんなことを?」
古椎が怒りを含んだ声で富樫の方を振り返る。富樫は肩をすくめながら答えた。
「そいつ、入部届を受理しなかったんだ」
「入部届……。ラノベ同好会への……? 富樫先輩、私たちの部活に入りたかったんですか? なんで……!」
そこまで言った古椎は、何か思いついたように顔を上げると、身を震わせながら叫んだ。
「私目当てでそこまで……!? 先月、先輩からの告白断りましたよね!? それなのにこんなストーカーみたいなことを!?」
「ストーカーとは失礼な。好きな人とお近づきになりたい。人間の心理だろ?」
「……最低です」
古椎は、富樫に対して心底失望したようだ。告白を断ったというし、好意の対象ではなかったようだが、ここまで印象が最悪になってしまったら、万が一にも富樫が古椎と親しくなることはないだろう。
「行きましょう、先輩」
古椎は俺の肩を優しく抱き、体を起こしてくれた。パンチされた部位が痛むが、どうにかして立ち上がることはできた。
後輩の女子に窮地を助けられた形となり、情けなく思うが、古椎の強気の物言いは安心感があった。このつらい状況から抜け出せる……そう思った時。
「行かせると思うか?」
体育倉庫を出ていこうとする俺たちを、富樫が制した。この期に及んで何のつもりだろうか。
「俺は、表向きは品行方正な優秀な生徒として通ってんだ。生徒に暴力を振るったなんてことがあってはいけないんだよ。暴力沙汰でサッカー部が大会参加見送りなんて事態になったら俺の立つ瀬がなくなっちまうんだ」
「何が言いたいんですか……?」
「女を殴るのは趣味じゃないが……。俺の人生がかかってるんだ。仕方ないな」
そう言って富樫が一歩踏み出し、こちらにと近寄ってきた。明らかに俺たちに危害を加えようとしている。
「……口封じのために、私に手を上げる気ですか?」
「……」
富樫は答えないが、その沈黙は肯定を意味していた。
俺が殴られる分には百歩譲って許すが、古椎が殴られるのは我慢ならない。女に手を上げようなんて、男の風上にも置けない奴だ。
俺は暴力で痛んだ体をかばいながら、言葉を振り絞って富樫を非難する。
「バカが……。そんなことをしたらより問題が大きくなるだけだぞ」
「こっちには3人いるんだぞ、戦力差を考えろよ」
富樫の横にいる彼の友人二人を見る。彼らは富樫の悪行を隠蔽するために、俺たちを攻撃することに異議はないようだ。
じりじりと間合いを詰めてくる三人に対し、身構える俺たち。
応戦しようにも、あちらはバリバリの運動部三人に対し、こちらは大柄とはいえ女性の古椎にチビヒョロガリの俺の二人しかいない。流石に、勝ち目はないだろう。
この窮地を抜け出す方法はないか……と周囲を見回す。この体育倉庫には、体育に用いる色々な道具がある。武器になりそうな長い棒もあるが、この狭い空間では振り回せない。
俺は棚の上にある、袋を見つけた。それは、ライン引きに用いるチョークの粉が入った袋であった。これは目くらましに使えるだろうか。
そうしている間にも、富樫たちは距離を詰めて来ていた。
「観念しろよ……」
「……ふん!」
富樫たちが俺らの前に来た瞬間、俺はその袋を棚から引きずり下ろした。そして、体育倉庫にチョークが舞い上がり、視界が真っ白になった。
「うわっ!」
「げほっ、げほっ! 何すんだてめぇ!」
「制服汚れたじゃねぇか! ふざんけんなよ!」
チョークの粉が床に落ち、視界が開けてくると、それぞれの反応をした三人に睨まれた。
「何……これ……?」
古椎は下を見て、チョークがばら撒かれた倉庫の床を指で撫でていた。チョークは何故か一様に落ちておらず、円や多角形、見たことがない文字が組み合わさった不思議な紋様を描くように積もっていた。
「魔法陣……?」
俺がそうつぶやくと、魔法陣のように積もったチョークが突然光りだした。
「「「うわっ!」」」
人生で一度も経験したことがないような強い光に視界が遮られ、俺たちは意識を失った。
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