第53話 私、毒見師なので 完

 土が盛り上がり、浮き上がった土が集結し人型となった。土精霊がこちらへ歩いてくる。


「この男……人工精霊にまで手を出しているようです。邪術極まりないですね」

「仕方がない! 行くぞ! 朱大将、結界に戻れ!」

「は……はい!」


 術師が結界を強める。負傷した術師も法術による簡易的な治療を終え懸命に印を結ぶが、向こうの攻撃がどんどん強まり、結界が破られるのも時間の問題となった。


「これでは術師の力が弱まり、精霊を放つことも出来なくなりますッ朱大将ご指示を!」


「承知した! 全員戦闘態勢に入れ! 土精霊は足が遅いから構うことはない。盾で体を隠しながら結界の外へ一気に飛び出すぞ!」


「おおおおおお!」


 土精霊は脅しだろう。それよりも矢が厄介だ。運悪く鎧の繋ぎ目に入ってしまえばそれだけで重傷となる。任深持レン・シェンチーが手綱を持つ。夏晴亮シァ・チンリァンが声をかけた。


「任深持様、どうかご無事で」

「夏晴亮……阿亮アーリァン、貴方も、決してここから出ないように」


 任深持が手を伸ばして夏晴亮の頬に一瞬だけ触れた。すぐにそれは離れていき、結界の外へと小さくなる。


阿雨アーユー。私たちも、準備をしておきましょ」

『わん!』


 雨を撫でながらも、夏晴亮の瞳は前を向いて熱く燃えていた。


 一進一退の戦いが続く。夏晴亮の組まれた両手が汗で滲む。味方も敵も、どんどん傷ついていく。法術があればある程度の治療は可能だが、致命傷を与えられたらどうしようもなくなる。


 軍隊を先頭に、後ろで術師たちがお互いに精霊を放って戦い合う。実に虚しい光景だ。何故、一つの国だった者たちが争わなければならないのか。数百年も経ったというのに、対話して、歩み寄ってはいけないのか。燻りは徐々に大きくなり、血をもって証明せねばならなくなった。


 必死に任深持の姿を追う。李友望まであと少しというところで、超国の大将が躍り出た。


「ああ゛ッッ」


 任深持が左腕を切られ、声を上げる。夏晴亮が立ち上がった。


「任深持様ッ」


 万が一のため与えられている短剣を取り、任深持と李友望リィ・ヨウワンの元へ走り出す。


「阿雨!」

『わおん!』


 このまま突っ込んだところで勝機は無い。夏晴亮は飛び上がった雨に跨り、空を駆けた。


「なんだって!」

「精霊が空を飛ぶなど!」


 まるで奇跡のような姿に、一瞬の隙が生まれた。夏晴亮が李友望の真上で飛び、彼の馬に下り立った。衝撃に驚いた馬が暴れ出す。夏晴亮が短剣を李友望の喉元に突きつけながら馬を転げ落ちた。


「阿亮!」

「李友望様!」

『ぐるるる……』


 周りの軍人が駆けつけようとしたところに、雨や他の精霊が立ちはだかる。


「勝負……ありましたね」


 夏晴亮は驚いていた。もっと抵抗されるかと思っていたからだ。何か理由があるのだろうか。捕まえていた李友望の背中が小さく丸まった。


「ごほッ……早く殺せ」

「殺しません」


 李友望は、夏晴亮を一瞥し、深い息を吐いた。


「放っておいたところで、我はもう長くない。少女に捕まる程度の老人よ」

「だから、今、動いたのか」


 任深持が呟く。禁術に手を出したところで、いつか命の火は消える。その前に、自身の悲しみの元を潰したかったのかもしれない。


「任深持様」


 夏晴亮の声に従い、任深持が李友望の目の前に片膝をつく。


「対話を、しましょう。私たちは言葉が少なすぎた。二百五十年、あまりに長い苦しみを、どうか私にも分けて頂けませんか」


 李友望が一筋の涙を零した。


「……我はとうに負けていたのか」


 任深持が立ち上がり、剣を掲げて宣言する。


「此度の戦いは我が才国が勝利した。しかし、我々は超国と争いを望んでいるわけではない。友好国として、今後歩み寄っていこうではないか!」


「わあああああ!」

「任深持様!」


 才国から勝利の雄たけびが上がり、超国から落胆と安堵の声がした。彼らもまた、被害者なのだ。任深持が李友望に右手を差し出す。


「さあ、まずは体を起こしてください」


 任深持と李友望が手を取り合ったところで、夏晴亮も短剣を下ろす。ぴりぴりと張り詰めた空気が和らぐ。


 その瞬間、一筋の矢が任深持へと一直線に飛んできた!


「任深持様!」


 一番に気付いた馬牙風マァ・ヤーフォンが法術で風を飛ばすが、僅かな差で間に合わない。軌道が逸れず、矢が任深持を襲った。しかし、一向に痛みはやってこない。


 任深持が目を開けると、そこには代わりに矢を受けた夏晴亮が任深持の腰に抱き着いていた。


「阿亮!」

「夏晴亮様!」


 夏晴亮は鎧を身に着けていない。そして、身を守る護符も先ほどの雷で効果を失っている。任深持が恐る恐る彼女の背中をさする。じんわりと赤いものが滲んできた。


「阿、亮」


 震える声で彼女の顔に手を当てると、僅かながら夏晴亮が目を開けた。


「だい、丈夫ですか」

「嗚呼、貴方が助けてくれたおかげで私は平気だ……阿亮……すぐに馬牙風が治してくれる。痛いだろうが、少し我慢してくれ」


 顔を青くさせたのは才国軍だけではない。超国側がざわざわと五月蠅くなった。


「誰が矢を放ったんだ!」

「俺じゃないぞ。こっちからだ」


 一人が叫んだことを皮切りに、あちこちで騒ぎが起きる。これでは、今度は内紛が起きてしまう。お互い無罪を主張する中で、一人の軍人が前に出た。


「俺だ! 対話をしたところで、どうせ俺たちを追い出すんだろう! 才国なんて滅びてしまえ!」

「お前ェ、なんてことをッ」


 超国側によってすぐに男が捕らえられる。体を縄でぐるぐるに巻かれながら男は笑った。


「はははは! 治療しても無駄だ。それには毒がたっぷりと塗られているかな!」

「相手は次期皇帝の妃だぞ!」

「せっかく和睦を提案してくださったというのに……」


 犯人の告白に顔を真っ青にさせる超国軍だったが、それとは反対に才国軍は平然とした顔になった。馬牙風が両手のひらを当てた場所は、傷が塞がり、すっかり血も乾いていた。


「なんだ、毒か」

「夏晴亮様、まもなく傷は癒えますから」

「有難う御座います。もう全然痛くないです」


 慌てたのは犯人だ。


「即効性の毒だ! 間もなく苦しみ倒して死ぬのだぞ!」


 犯人以外も、超国の軍人は皆困惑の表情をした。李友望がよろよろ一歩前に出る。


「任深持、この罪は私が」


 その続きを、任深持が右手のひらを差し出して制止した。


「問題ありません」

「だが」

「そうだろう、夏晴亮」


 任深持が夏晴亮を立たせる。完治したことを示すため、その場でぴょんと一跳びした夏晴亮が爽やかに微笑んだ。


「はい。私、毒が効かない毒見師なので」


 こうして、才国と超国の新たな未来が始まった。


                   了

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後宮毒見師伝~正妃はお断りします~ @takanarin

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