第48話 宣言

 男は夏晴亮に平手打ちをされ、どこからやってきたのかいつの間にかいた青年に縛られていた。


「まあ、亮亮ッ」


 馬星星も来て声を上げる。夏晴亮が男を捕らえた青年を見上げた。


「有難う御座います。任深持様」

「なんだ、気付いていたのか」


 頭をすっぽり覆っていた外衣を外すと、我らが第一皇子が現れた。


「あ、あにうえ」

「もちろん。それにしても、どうしてここに?」

「偶然通りかかったんだ。では、私は行く。この男は相応の罰を与えたら解放していい」

「承知しました」


 任深持は任明願に男を引き渡し、さっさといなくなってしまった。


「何、もう行っちゃったの?」

「はい。何がなんだか」

「それにしても、亮亮もやるじゃない。悪い奴をやっつけるなんて」


 馬星星が夏晴亮の両手を握って褒め称えた。夏晴亮が恥ずかしそうに微笑んで答える。


「私には皆さんがいて、いつも私を守ってくださるので、私も皆さんを守れるくらい強くなりたいんです。だから、あのくらいで怖がっていたら駄目だなと思って」


「もしかして、皆さんの中に私もいたりする?」

「もちろん」

「ああッ可愛い妹よ~ッ!」


 ぎゅうぎゅうに抱きしめられて、改めて恵まれた環境に感謝した。


 改めて土産を選び、和やかに宮廷に戻っていった。

 宮廷にはすでに任深持がいた。


「只今戻りました」

「うん」


 公務中のようだが、さほど忙しくないらしく足を止めてくれた。


「先ほどは有難う御座います。何故、あそこにいらっしゃったのですか?」

「野暮用だ」

「なるほど」


 夏晴亮は自信満々に頷いた。すぐ後ろで王美文と馬星星が口元を隠す。


「ほら、阿亮」

「はい」


 王美文と夏晴亮が布袋を差し出す。


「先ほどは私の我儘で任子風様との時間をくださり有難う御座いました。おかげで楽しい観光が出来ました」

「こちら、よかったら受け取ってください」

「ありがとう」


 僅かに微笑む任深持に王美文がたまらずにやにや笑ってしまった。


「失礼しました」

「今さら遅いぞ」


 慌てて口元を隠す振りをするがまだ目が震えている。


「わざとだろ」

「いえ、冷静な第一皇子が随分柔らかくなられたと思いまして。どこかの妃のおかげかしら」


「五月蠅い」

「では私はこれで。阿亮、また後でお話してね」

「はい、今日は有難う御座いました」


 軽やかに廊下を歩いていく王美文を見送る。夏晴亮が見上げると、任深持と目が合った。


「子風はどうだった」

「最初は緊張されていましたけど、途中からは楽しそうでした。王美文様のおかげです」

「あれも私がいない時は国の皇子として指揮しなければならないからな。王美文もそれを考えてのことだろう」


 間もなく任深持は進軍する。夏晴亮は目を細めてそれを見つめた。


「もう行かれますか」

「ああ、まあ」

「では、また夕餉で」


 第一皇子の邪魔をしてはいけない。そう思い挨拶をして立ち去ろうとしたが、当の本人が動かなかった。


「任深持様?」

「夏晴亮、ちょっと」


 任深持に手招きをされる。振り向いたら馬星星が手を振っていたので、二人だけで部屋に入ることになった。


 何か用事でもあるのだろうか。いくら婚姻を結んだといっても、一人で入るのは些か緊張する。


 椅子にどかりと座った任深持にどうしていいか分からず、扉の前で立ったままでいたら、寂しそうな顔をされたので少し近寄ってみる。


 最近の任深持は本当に表情豊かになったと思う。初めて会った頃は怒った顔か真顔ばかりだった。怒っていたのは、通常の生活常識や教養を持ち合わせていなかった自分に原因がありそうだが。


──そう考えると、私も他の人と一緒に生活するようになって、少しは人並になったのかな。本当はお父さんやお母さんに教えてもらえるんだろうけど、私にとっては後宮の人全員がお父さんお母さんね。


「もっとこちらに」

「はい」


 背筋を伸ばし、ゆったりと、堂々と第一皇子の前に立つ。任深持が瞠目した後、小さく吹き出した。


「何ですか」

「いや、最初の夏晴亮とは別人のような仕草だと思って」

「私だって頑張っているんです」

「はは、分かっている。すまない、笑って」


 布袋を置き、立ち上がる。任深持の顔がよく見える。今日の彼はよく笑う。


「機嫌が良さそうだ」

「貴方の機嫌が良いからかもしれません」

「言うようになったな」

「だって、私は貴方の唯一なんでしょう」


 笑みが一層深くなる。任深持が両手を広げた。


「……貴方が許しくれるなら、抱きしめてもいいだろうか」


 夏晴亮は目だけを右に左に動かし、両手を絡ませてから、そっと前に出た。任深持の両腕が背中に回される。


──あたたかい。


 知らない世界だった。


 手の届かない世界だった。


 ずっと一人で生きてきて、一人で死んでいくものだと思っていた。


 辛いとも思っていなかった。それが当たり前だったから。


 夏晴亮の瞳が僅かに揺れる。


「任深持様、死なないでくださいね」

「死なない。死んでたまるか。貴方の悲しむ顔は見たくない。私は貴方の笑顔が見たいから」


「私も死にません」

「うん。私が守る」

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