第36話 ナカへおいで
一段落したところで任深持が立ち上がる。
「夕餉だ。行くぞ」
「はい」
ぞろぞろと揃って食事に向かう。今は雲は馬宰相の肩で毛繕いをしている。
先ほどは変化に驚かされ気にならなかったが、雲は普段馬宰相のナカで過ごしているらしい。そういうことも可能なのか。
思ってみれば成り行きで雨の世話係になったため、精霊のことを何も知らないままここまで来てしまった。
側室となり、妃教育はあるものの以前より自由な時間が増えた。これを機会に法術の知識を得るのもいいかもしれない。座学だけでも学び舎にと思ったが、どうやら第一皇子は
「変化、便利ですね」
夏晴亮が珍しく興味を示すので、前にいる
「そうですね。見た目はほぼ変わらないですから。ただ、発言など、指示されたものか機械的な反応しか出来ない場合もあるので、そこは注意すべき点です」
「勉強になります」
「ちなみに雨をナカに入れるくらいなら、今の貴方にも可能ですよ」
「やりたいです!」
夏晴亮が手を挙げて元気よく返事をする。
「どうやるのですか?」
「簡単です。すでに雨は貴方を主と認めていますから、貴方が手を差し伸べてナカへ導けば勝手に入ってくれます」
「手を差し伸べて……やってみます」
部屋に着き、座る前に
「阿雨、ナカにおいで」
『わん』
夏晴亮に緊張が滲む。はたしてこれで上手くいくのだろうか。そう思っているうちに、雨の姿がぼんやりし始め、やがて靄となり夏晴亮へと吸い込まれた。
「はわわわ……!」
あまりの感動に、おかしな声を出して口をぱくぱくさせる。それを目の当たりにした任深持が顔を手で覆い隠した。隣にいた
「うふふ。愛らしいですね、貴方の側妃は」
「五月蠅い。私を見るな」
「ええ。貴方より
「一生見ていろ」
「言われなくても~」
きゃらきゃらと楽しそうに笑う正妃を横目に、まるで勝てない第一皇子は顔の赤みが取れるまで顔を隠す羽目になった。
「お待たせしました、毒見致します。任深持様? 何故お顔をお隠しに?」
「気分だ。毒見していてくれ」
「承知しました」
素直な側室に、また顔が赤くなるのを感じた。
和やかな時が終わり、食事を終えた面々がそれぞれ自室へ帰っていく。|任深持が二人きりになった室内で馬宰相に尋ねた。
「最近の後宮内についてどう思う」
「どう、と言いますと……強いて申し上げるなら、平和です」
「そうだな。平和過ぎる」
最近、毒騒動が起きていない。
「警備の人数を増やしておきます。雲と雨にも見回りを頼みましょう」
「頼む」
「それはそうと、側妃との進捗はいかがですか」
「五月蝿い」
不躾な部下に睨みを利かせるが、全く効き目は無いらしい。進捗がどういう状況なのかくらい傍にいるのだから分かっているのに、随分と意地悪なことを言う。
「側妃に迎えられてから、随分奥手になったものだなと思いまして。老婆心ながら申し上げてしまい失礼致しました」
その言葉に任深持が視線を逸らせる。
「自分でも理解している。ただ、怖いだけだ。あれの意識はまだ私に向いていない。権力で結び付けている今では、強引に行っても上手くいかないだろう」
「そうですね」
「だから、私が努力して、彼女がこちらを向いてくれる時を待つ」
「素晴らしい心意気と存じます」
第一皇子の日常と言えば、孤独が常に付きまとっていた。しかし今はどうだろう。夏晴亮という太陽が来てくれたことで、前を向いて考えるようになった。次期皇帝として好ましい変化である。
「貴方の我慢が持つようお祈りします」
「一言多いぞ」
「承知しております。脱線してしまいましたが、警備増強、精霊による見回りの件は明日から対応させて頂きます」
誰によって脱線したのか、皇帝の付き人をしていただけあって良い性格をしている。これくらい物を言える人物でないと務まらないのだろう。
「杞憂に終わればいいが」
平和なのが悪いわけではない。その裏付けが欲しいだけだ。
ふいに風が通り抜けた。
「なんだ?」
窓を見遣るが、開いていない。気のせいか。そもそも、窓から誰かが侵入してくることは考えにくい。後宮や宮廷には術師によって法術がかけられており、中から招かない限りは勝手に入れないようになっている。先ほど馬宰相と話したばかりだから、神経過敏になっていたのかもしれない。
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