第35話 偽物の正体

 翌日も本物だった。その翌日は偽物だった。しかし、夕餉の前に王美文ワン・メイウェンが部屋に飛び込んできた。


阿亮アーリァン!」

「どうしました?」


 夏晴亮シァ・チンリァンを可愛がっている王美文だが、個人の部屋をいきなり訪ねてくることはなく、急な用事だと窺える。息を切らした彼女が焦った様子で報告した。


「たった今馬牙風マァ・ヤーフォンが廊下を歩いていたのだけれど、本物だったの。昼餉までは偽物だったのに」

「え! 一日で変わることもあるのですか!」


 さすがにその日で変化するのは想定外だ。彼に何が起きているのだろう。これは悠長なことを言っていられない。


任深持レン・シェンチー様に伺いましょう」

「でも、今は彼も一緒よ」

「今は本物の方ですから、聞かれても平気かと思います」

「そうね。もし、厄介事に巻き込まれているのなら、彼を救わなくては」


 二人の真剣な雰囲気を感じ取り、玩具で遊んでいたユーが立ち上がる。


『わんッ』

「阿雨も付いてきてくれるの? ありがとう」

「あら、前に言っていた精霊さんね? ありがとう、宜しくお願いします」


 正妃と側室、付き人が二人、さらに雨と、大所帯ですぐ近くにある部屋の前に立った。


「行くわ」

「はい」


 なんとなく声を潜めて合図し合う。


「王美文です」


 扉を叩きながら声をかける。中から任深持の返事が返ってきた。


「何の用事だ」

「阿亮もいます」

「入れ」

「んふふ」


 夏晴亮の名前を出した途端の変わりように、王美文が笑ってしまった。しかし、今はこんな和やかにしている時ではない。表情を引き締めて扉を開ける。


「失礼します」

「揃ってどうした」


 任深持が椅子に座ったまま問う。横には馬宰相もいる。正妃曰く、今は本物の。


「失礼を承知して伺います。馬牙風についてです」

「私のですか?」


 思いがけず矛先が向かい、馬宰相がやや瞳を開かせる。


「はい。申し上げにくいのですが、お昼までの彼と今の彼……別人に見えます」

「……別人?」


 任深持が馬宰相を見遣る。馬宰相は真顔のままこちらを見つめている。感情は読めない。


「夏晴亮もそう思うのか?」

「あの、私には同じように見えます。普段馬宰相を細かく観察していないので……すみません」


「だろうな」

「でも、王美文様が嘘を吐いているとは思えません」


 きっぱり言い切った夏晴亮に、王美文が熱い視線を送る。味方はいる。あとは馬宰相がどう出るかだ。


「だ、そうだ。馬牙風」

「そうですね。別人と言われれば別人です」

「やっぱり!」


 あっけなく白状した彼に王美文の心臓が跳ねる。


「なら、昼餉までの貴方はどなたですか?」

あれ・・は私の精霊です」


 あまりの予想外に、部屋が一瞬静まり返る。


「精霊!? 精霊というと、阿亮のわんちゃんと同じということですか?」

「そうですね。私に化けているだけで、元の姿は鷹です」

「鷹!」


 すると、馬宰相が右手を前に差し出した。そこから靄とともに白い鷹が現れた。


「わあ!」


 驚いたのは夏晴亮のみで、王美文と馬星星マァ・シンシンは辺りをきょろきょろさせていた。


「何、精霊が現れたの? 靄しか見えないわ」

「風兄ッ私も視たい!」

「修行してください」

「もう!」


 意地悪でも何でもない。視えないものは仕方がない。しかし、これでは二人は納得しないだろう。馬宰相が鷹に指示を出す。


ユン、私に変化へんげしなさい」

『キィッ』


 短く鳴いた後、雲がに人に変化した。とこから見ても馬宰相そのものだ。見事な変化に歓声が上がる。


「私の名前は雲です。馬牙風様に仕えています」

「わッ声もそっくり。本人と並んでも、どこが違うのか分かりません」

「何を言っているの阿亮。目元が違くてよ」

「全然分かりません」


 二人で言い合っていると、馬宰相を手を一度叩いた。


「お静かに。これで納得して頂けましたか?」

「はい。でも、何故精霊を身代わりにしているのですか? はッまさか、馬宰相も暗殺の危険性があって逃げているとか?」


 その問いに横の王美文が拳を握り締める。彼に危険が及んでいるのなら、率先して戦うつもりだ。馬宰相は冷静に否定した。


「いいえ、単純に忙しいからです」


 思いがけない平和な解答に、張り詰めた空気が一気にどこかへはじけ飛んだ。


「忙しい……」


「私、元々皇帝に仕えておりまして、最近次期皇帝の補佐として任深持様に付くようになったのです。ですから、皇帝に関する仕事も残っておりまして、皇帝に付く日はこうして雲を代わりに付けております」


「なるほど」


 話を聞いただけでどれだけ忙しいのか想像出来る。王族、しかもほぼ二人分の身の回りの仕事をしているのだ。忙しくないはずがない。


「それにしても、精霊は変化出来るんですね。勉強になります」

「ごく一部の高等精霊のみですが。雨も修行を積めば可能ですよ」

「ええッ」


 夏晴亮が瞳を輝かせて雨を抱きしめる。


「阿雨すごい! 変化出来るようになったらお話出来るね!」

『わん!』

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