第31話 妃教育

「はい、そこ。背筋を伸ばしなさい」

「はいッ」


 立派な妃とならなければとは思ったものの、引越しの翌日からさっそく始まった妃教育に、夏晴亮シァ・チンリァンの体は悲鳴を上げていた。


 体力はあると思う。一人で大人に混ざって仕事をしたりしていた。しかし、それらとは全く違う体の使い方が必要なものだった。


 例えば歩き方。立ち姿、顔の向き。上品に見えるよう、常に気をつけていなければならない。今までならなかった場所が筋肉痛になる。そしてそれ以上に厳しいのが座学だった。


 ようやく字の読み書きが出来るようになったばかりなのに、難しい本を渡されて暗記しろと言われた。無理である。


 今日は女官が教師として指導してくれている。いつもは家庭教師が来るのだが、週に三回のため、足りないと判断されて臨時で女官が来た。


 足りないのは重々承知している。宮女から側室が選ばれた時のために指導役が用意されているものの、宮女の中でも一番側室としての知識が無いと思う。


「まだまだ、赤ちゃんね」

「私もそう思います」


 毎日頑張っているが、頑張るだけでは足りないことが沢山ある。女官が夏晴亮の肩に手を乗せる。


「でも、貴方は清い心を持っている。真面目さもある。これは学んだだけでは得られない。続ければ、才国の華となれるわ」


「有難う御座います」

「あとはその顔。顔が良いことだって立派な才能よ」

「えへへ、恐縮です」


 後宮で働くようになって外見を褒められることが多くなった。しかし慣れることはなく、毎回照れてしまう。


「頑張って! それが終わったらお菓子が待ってる!」

「お菓子! 頑張ります!」


 馬星星マァ・シンシンが砂糖菓子を見せながら応援する。俄然やる気が出た。背筋を伸ばして歩き出す。今度は首の角度を注意された。妃の道は険しい。


 どうにか一刻耐え、今日の分を終えた。砂糖が疲れた体に染みる。毎日食べたい。そこへ任深持レン・シェンチーが来た。


「お仕事終わられたのですか。お疲れ様です」

「ああ。終わった足で来た」


 さりげなく夏晴亮の横に座る。馬星星が苦笑いした。


「正妃より大事にしてるって噂されますよ」

「そんなに私を観察している人間はいない。いたとすれば、殺意を抱いている奴くらいだ」


 自虐を言うこともあるのか。馬星星はこの役を与えられるまで第一皇子と会話をしたことはほとんどなかったので、意外性に些か驚かされた。


──いつも高圧的な印象だったけど、どこに暗殺者が隠れているか分からないんだから当然と言えば当然よね。


「これを」


 側室となり、任深持の贈り物攻撃が復活した。ほぼ毎日小物を持ってきては夏晴亮に渡している。


「有難う御座います。でも、お気を遣われないでください。私はもう十分幸せですから」

「そうか」


 仄かに落ち込んだ背中を申し訳なく思うものの、このままでは髪飾りだけで季節を超える量になってしまう。任深持が夏晴亮の問いかける。


「何なら受け取ってもらえるだろうか。私は貴方にこの気持ちを形にして贈りたい」


 夏晴亮を側室に迎え、気持ちを押し殺さなくても問題無くなった途端任深持は箍が外れたらしく、こうして毎日毎日足繁く通い、口説いている。しかし、側室になってから数日、夏晴亮は彼から手さえ握られていない。


「そうですね。あまり高価でなく、身に着ける物ですと私の身が一つなので身に付けられず申し訳ないので……ああ、お菓子とか食べ物がいいです!」


「いいわね。それなら、毎日のお菓子を任深持様に選んで頂いたらどう?」


「馬先輩頭良い!」


 女子たちのきゃっきゃした会話に置いてけぼりをくらったが、たしかにそれならば夏晴亮も気負わず受け取れると納得した。


「分かった、そうしよう」


 とりあえず再び訪れた贈り物問題も解決したところで、扉が叩かれた。


「馬宰相でしょうか」


 一人でやってきたので、任深持を迎えに来たのかもしれない。訪問者を確認すると、予想とは違う者だった。


阿亮アーリァン! 遊びましょ~~~~って、お邪魔でしたか」


 正妃だった。側室の部屋に第一皇子と正妃と側室が揃っている。事情を知らぬ人間が目撃したら、どんな修羅場が繰り広げられているかと思うだろう。実際は真逆の平和な日常だ。


「いえ、お邪魔だなんてとんでもないです」

「いや、お邪魔だ。私は夏晴亮と話をしている」

「え~~、私も阿亮とお話したいです」


 契約結婚だと聞かされていたが、正妃の態度を見てそれが本当なのだと馬星星マァ・シンシンが実感する。実に面白い光景だ。


王美文ワン・メイウェン様、こちら私に付いてくれている馬星星です」

「あら、はじめまして。どうぞよろしくね」

「お初にお目にかかります。以後お見知りおきを」

「ちなみに馬宰相の従兄妹さんです」

「えッッッ」


 王美文の瞳が極限にまで見開かれた。完全に彼女の標的となった印だ。

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