第30話 視えなくても

「知らなかった……」


 しかし、馬星星マァ・シンシンの顔は晴れやかだった。


「亮亮、私、まだ貴方といられるわ」

「嬉しいです。これからも宜しくお願いします」


 側室の部屋に着くと、扉の前でユーが待っていた。


『わんッ』


 自信満々の顔を見る限り、部屋までの安全を確かめてくれていたらしい。言葉は通じないが、言いたいことが段々感じ取れるようになってきた。さりげなく頭を撫でる。雨が満足そうに頭を擦り付けてきた。


──阿雨と会話出来るといいのに。


 人語を操る精霊はいるのだろうか。あとで馬宰相に聞いてみよう。そういえば、彼の精霊も見せてもらおうと思っていたのだ。結局、まだ一度もお目にかかれていない。


「どうぞ」


 扉が開かれる。いつもの二人部屋より広い室内が現れた。大きな寝台に外へ続く大きな窓、ここを一人で使うのか。使い切れる自信は無い。


──そうだ。ここなら阿雨専用の居場所を作れる!


 今までは二人部屋で、自分の寝台かその横で転がるくらいしかさせられなかった。しかし、ここなら自由に歩き回っても構わない。


 荷物を運んでくれた宮女に礼を言い、部屋には任深持レン・シェンチー夏晴亮シァ・チンリァンと馬星星の三人となった。


「あの、馬先輩には阿雨のことを伝えても平気ですか? 私に付いてくださるなら、言わなくても今後知られると思いますし」

「いいぞ」


 第一皇子から許しを得て、ようやく雨のことを話せる時が来た。ずっと二人と一匹で過ごしていたという事実を打ち明けるとなると、少々申し訳なくも思う。


「なあに?」


 二人の会話を聞いて、馬星星が首を傾げる。初めて聞く名前が出てきたからだ。


「阿雨って誰のこと?」

「あの……驚かせてしまうと思うのですが、実は馬宰相から頼まれて、少し前から精霊の犬のお世話をしているんです」

「犬!?」


 予想通りの反応をした馬星星が部屋を散策し始めた。側室の部屋で取るべき行動ではなく、すでに馴染んでいる先輩が面白い。


「申し訳ありません。精霊なので、術師以外は視えないそうで」

「なんだぁ、残念。餌やりしたり遊んだりしたかったのに」


 肩を落とした馬星星を見て夏晴亮が決意する。


「もしかしたら、視えるようになる方法があるかもしれません。馬宰相にお伺いして、私、先輩に阿雨を視てもらいます。待っててください」


「私も視たい」

「はい。任深持様も是非」


 意外にも話題に入ってきた任深持に笑みが零れる。自分はまだまだ知らないことが多すぎる。これから沢山勉強をしていく。夏晴亮に新たな目標が出来た。


『一般の人は精霊を認識出来ません。ですから、いないものと同じです。だからすり抜ける』


──そうだ。


 夏晴亮は馬宰相に言われた言葉を思い出した。


「馬先輩。視えない人は精霊を認識出来ず、最初からいない状態であるから触ることが出来ないそうです。逆に考えれば、いると思い込んだら視えなくとも触れるかもしれません」


「ほんと? やってみるわ!」


 思いつきで言ってみたが、理論上はそうなる。せっかく雨の存在を知らせたので、馬星星にも雨を触ってほしい。


「いるいるいる。この部屋には犬がいる」

「阿雨、馬先輩の前に座ってみて」

『わん』


 夏晴亮か馬宰相以外懐いていない雨だが、指示通りきちんと馬星星の前に座って待てをする。夏晴亮が馬星星に合図をした。


「今です。ここにいるので、ゆっくり手のひらを当ててみてください」

「うん。いるいる、わんちゃん。イイコよ~怖くないからね~」


 視えない相手に話しかけながら手のひらを当てる。馬星星が目を見開いた。


「な、なんかいる……ふわふわしてるわ!」

「やった! この子が阿雨です。視えないけどいつもいるので、この子も含めて宜しくお願いします」

「分かったわ! あ」


 気を抜いた途端、馬星星の手がするりと雨の体をすり抜けた。やはり、術師でなければ認識しても触るのはなかなか難しいらしい。


「残念~」


 役目を果たした雨はさっさと歩き出し、夏晴亮の横に戻った。たった数秒の間であったが、雨の存在を実感出来て馬星星は満足したようだった。


『くうん』


 任務を達成して甘え出した雨を撫でながら部屋に持ってきた荷物を配置していく。といってもさして物は無いため、あっという間に完了した。


「足りない物は言ってくれ。何でも用意させる」

「とんでもないです。こんな広いお部屋を頂いただけで十分です」


 そう言うと任深持は口の端を上げた。


「ふ、欲の無い妃がいたものだ」


 任深持が帰り際に髪飾りを一つ渡した。側室になることを了承した際にもらった、今も頭の上で光り輝いている物よりは素朴な、しかし以前もらった物よりは華やかな髪飾りだった。馬星星がそれを見て笑う。


「愛されてるわね~」

「こんなに頂いていいのでしょうか」


「いいのいいの。きっと本当はもっと上げたいのよ。くれるものはもらっておきなさい。それに、側妃は身なりをきちんとしておかないと」


「そうですね」


 馬星星の言う通りだ。これからは一介の宮女ではない。才国の恥とならないよう、立派な妃とならなければ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る