第19話 私の気持ち

 夏晴亮シァ・チンリァンの喉が鳴る。


「私の、気持ちですか」

「そうです」


 自分が問われているのに、全く実感が湧かない。まるで遠くで聞いているようだ。夏晴亮は頭を抱えた。


「一度も考えたことがなかったです。食べ物も無くて、毎日生きるので精一杯だったから……!」


 誰かのことを想うなど、一緒来ないどころか、そういう思考になったことすらなかった。頭の片隅に置かれたことすらない。それだけ他人事だった。


「なるほど。失礼ですが、貴方は一人で生活してきたと伺っています。些か不躾な質問でした。申し訳有りません」

「いえ、私は気にしたことがないので平気です。こちらこそ任深持レン・シェンチー様のお気持ちを真剣に考えず申し訳ないです」


 最初はただの形式上の妻だと思っていた。しかしそれが違うとなると、ただ断るだけでは失礼に値する。


「では、今のところ貴方の気持ちは未定ということで宜しいでしょうか」

「えーと、はい。そうですね。ただ、私自身結婚したいと思ったことがないので、未定から変わることはまだ難しそうです」

「率直な意見有難う御座います」


 馬宰相としても、自分の上司の未来に関することであるから心配だろう。いつか、第一皇子に見合う素敵な相手が見つかるといいと願うばかりだ。


「ところで、犯人の件に戻りますが、雨を調理場に配置して観察してもらいましょう。会話は出来なくともこちらの言っていることは理解していますから、料理人以外の人物がやってきたら報告時にこちらが質問して鳴いて答えてもらう。これでどうでしょう」


「それは良いですね。阿雨だけなら誰にも視えませんし、私がその場にいなくても把握出来ます。これで誰かが来た日と毒が入っている日が重なったら」


「その人が犯人と仮定していいでしょう」


 危険の少ない方法だと思う。雨に第二皇子親子の顔を覚えてもらえたら、さらに精度は増す。さっそく夕餉から実行することにした。


「貴方の毒見場所も夕餉から変更でお願い致します」

「はい、分かりました」


 こちらは場所が変わるだけでやることは同じだ。毒見という仕事をするだけ。任深持のことは気にしない。夏晴亮は何度か深呼吸し、馬宰相の部屋を後にする。


「はッもう昼餉の時間が過ぎてる! 急がなくちゃ!」


 一日三回の楽しみが過ぎていることに気付いて小走りで食事場へ向かった。昼餉の時間が終わってしまえば、夕餉まで我慢しなければならない。せっかくの無料で温かく美味しい料理をもらえる貴重な時間なのに。幸い、女官も食事場へ行っていたため、誰にも廊下を走ったことを咎められることなく昼餉にありつけた。



 おかわりを二回して満足していた夏晴亮だったが、夕餉について思い出し、腹の辺りを寂し気に擦る。夕餉ももちろん楽しみだ。しかし、その前にやるべきことが増えた。


阿雨アーユーに教えなくちゃ」


 部屋で待っている雨の元に向かう。


「阿雨」

『わんッ』


 雨は一匹で大人しく遊んでいた。馬宰相が与えてくれた毬がお気に入りらしく、ころころと転がしている。これを馬星星マァ・シンシンが見たら、勝手に毬が動いているように見えるのだろうか。


「おすわり」

『わん』


 遊んでいた雨が、夏晴亮の一声で綺麗におすわりする。夏晴亮が二番目の引き出しから王族の似顔絵一覧を取り出した。


「これから見せる紙に描かれた顔を覚えてほしいの。二人だけだけど、出来る?」

『わんッ』

「難しかったら教えて。出来なくても怒ったりしないから」


 似顔絵を見せながら名前を伝える。その後、紙を床に置き、名前を言うと正解の紙を持ってきた。とても賢い。自分より早く覚えられ、なんとなく気まずい気持ちになった。

 正解するたびに頭を撫でると、雨はとても嬉しそうに鳴いた。


「全部正解。すごい! 実は今日から重要な任務があるの。私は一緒じゃないけど、終わったら沢山遊ぼうね」

『わん』


 少し寂しそうであるが、きっとしっかり任務に就いてくれるだろう。


 雨には出来る限り、最小限のことを伝えた。調理場にいること、教えた二人が来たかどうか、この二点のみだ。あまり細かいことを伝えて、大切なことを見逃したらいけない。犯人がいつ狂暴化するかも分からない。たまに毒を入れる程度で済まされている内に捕まえる。これが一番の目標だ。


 本当は、王族ではない、誰かも分からない第三者が犯人だったらいいのに。そうは思うものの、第三者が易々と忍び込める場所ではない。捕まえたら皆幸せという結末にはならないだろう。


 しかし、捕まえなければならない。


「さて、あとは私の問題か」


 雨と毬を転がし合いながら夕餉の時を思う。何か会話した方がいいか、業務中だから淡々とこなす方がいいか。人の気持ちというものはこんなにも難しい。


「阿雨、これから午後のお仕事してくるけど、一緒に行こうか。調理場に行く時間になったら教えるね」

『わんッ』


 掃除の仕事中も雨は任務を意識してか、夏晴亮の見える範囲でうろちょろして辺りを観察しているようだった。逞しい相棒を持って心強く思う。


 夕餉の半刻前、調理場が作り始める時間になり、雨を調理場近くまで送る。夏晴亮も宮女の業務を終わらせて、馬宰相に教えてもらった部屋へと歩いていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る