第18話 調理場にて

「任先輩が思っているようなことは起こってませんからご安心を」

「そうですか。では、存分に私を主張出来ますね。さすがにあの方が相手では敵いませんから」


 にこにこ笑う任明願レン・ミンユェンを見て、この男はどこまで知っているのか寒気がした。

 一人きりになって、改めて自分に問う。


「こっちの気持ちは考えないのかな」


 そう思うと、本当に想ってくれているのか分からなくなった。調子を乱され、やるべきことが出来なくなる。これは恐ろしいことだ。


「よし、とりあえずこの件を悩むのは止めよう。誘われても断る。これだけ」


 夏晴亮シァ・チンリァンは課された任務をやり遂げるため覚悟を決めた。


 この一か月、何もしなかったわけではない。第二皇子はあまり後宮をうろつくことはないが、たまに廊下で見かけること。そして、一度だけだが、調理場に行ったことも確認出来ている。つまり、彼は母と同じ行動をしていたのだ。


 わざわざ調理場に出向く理由は無い。親子して何が目的なのだろう。毒を入れる隙を狙ってか、他に料理のことで見ておきたいことがあるのか。夏晴亮は思い切って料理場へ行くことにした。


 何も用事が無いのに調理場へ行くのは不自然なので、馬宰相に頼んで、毒見用の盆を持つ役目を自分ですることにした。


「こんにちは」


 料理人たちが忙しく動いている。まだ昼餉には早い時間だが、後宮全体の料理を任されているので今から動き出さないと間に合わないのだろう。もっと暇な時を選べばよかった。夏晴亮が帰ろうか迷っていると、近くにいた料理人が答えてくれた。


「こんにちは。見ない顔ね。あ、噂の美少女!?」

「そんな噂は無いので別人だと思います」

「そうかな~そうかな~」


 ぐいぐい来る料理人は三十代程の女性で、眼鏡を光らせながら近づいてくる。


「あの、私、毒見用のお盆を受け取りに参りました」

「ああ、馬宰相の代わりにって子か。ちょっと待ってて」


 料理人が机に置かれていたお盆を持って帰ってくる。


「じゃあ、君が毒見師?」

「そうです」

「毒見師の邪魔をするな。持ち場に戻れ!」


 どこかで会った男性が料理人を叱咤する。たしか、毒見師となったばかりの頃に見た料理人だ。おそらくここの長だろう。


「あらら。ばいば~い」

「確かに受け取りました。有難う御座います」


 手を振る料理人に頭を下げ、調理場を後にする。


──調理場は料理人が忙しく働いていて、王族の方がゆっくり出来る場所も無い。何故あそこに、一人で……。ただ、あれだけ忙しければ、たった一人が毒をこっそり入れたとしても気が付かないかも。


 あるいはこうして毒見をしたとしても、その後に第一皇子の皿に毒を盛られたら、いっそ皿に元々塗られていたらどうだろう。万が一実行されたら、毒見をしても無駄になるのではないか。


 むしろ、毒見後では当然安全だと思い込んで、一口目から大口を開ける。そこを狙っての下見かもしれない。


「すみません、第一皇子の昼餉はどなたが持っていかれますか?」

「ああ、それなら私だ」


 第一皇子の食事管理は料理長自ら行なっていることを確認し、夏晴亮シァ・チンリァンは馬宰相の部屋へ向かった。


「どうぞ」

「失礼します」

「お疲れ様です。どうでした」


 その場で毒見をし、毒が無いこと、またこの時点での推測を報告し相談した。

 馬宰相も調理場の人の出入りを懸念していたらしく、打開案を提案された。


「取り分けた後に、または皿に直接毒をですか。確かに、毒見師を雇ったことで毒を入れても無駄だと分かったら、次の行動として考えられなくはないです」

「やっぱり」


「ただ、任深持レン・シェンチー様のお食事は料理長が鍵付きの棚で管理していますので、そこに仕込むのは難しいでしょう」


 料理長が信頼のおける人間であれば、毒見後に機会は無いらしい。逆に考えれば料理長なら可能ということになるが、犯人がすぐ絞り込める方法で入れるなんて危険は侵さないだろう。


「まあでも、そうですね。何が起きるか分かりませんから、毒見は任深持様が召し上がる直前であればある程いいです。これからは貴方が任深持様のお部屋で毒見して頂きましょう」


「へっ?」


「宜しいですね?」


 夏晴亮に拒否の権限は無い。かくして、想定外に第一皇子の部屋へ訪問することが決定した。

 毒見したら帰っていいというのが不幸中の幸いか。


 どこで毒見をしてもこちらとしては問題無いが、二度も求婚を断っているのであちら側がきっと気まずいに違いない。


 求婚についても報告しておいた方がよいか迷っていると、よほど挙動不審だったのか、彼の方から手を差し伸べてくれた。


「貴方は何も気になさらなくて結構です。任深持様の奇行にお困りなのでしょう」

「奇行……」


 馬宰相も知っていたらしい。それならもっと早く話しておくべきだった。


「私は低い身分の人間です。馬宰相からも正妃は他の方にするよう進言してくださると有難いです」

「そうですね。一度申し上げてみます」

「助かります」


 ほっと胸を撫で下ろしていると、馬宰相が意外なことを訪ねてきた。


「身分のことを考えなかったら、貴方の気持ちはどうですか」

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