第17話 返事は変わりません

 一瞬の迷いもなく拒否を示した夏晴亮シァ・チンリァンに、任深持レン・シェンチーはひどく狼狽した。当然受け入れると思っていたからだ。大声が出そうな体をどうにか落ち着かせ、深呼吸してから問いかける。


「何故、断る」


 正妃になれば、宮女とは比べものにならない手厚い待遇と高い位が与えられる。側室は何人も持てるが、正妃はたった一人の相手。それを断る人間がいるとは。


「私は低い身分の出。家族もおりません。婚姻は家と家との繋がりです。私がそこに入るのは皆様にご迷惑がかかるかと」

「そんなもの」


──関係無い!


 とは言い出せず、任深持は次の言葉を紡げずに終わった。


「分かった。それは飾っておけ」

「有難う御座います」

「ふん」


 任深持が夏晴亮から視線を外し、どかどかと歩いて出ていく。夏晴亮はそれを申し訳なく見送った。


「ちょっとちょっとちょっと~ッ」


 入れ違いに馬星星マァ・シンシンが入ってきた。扉の後ろにでも隠れていたかのような速さだ。


「わッびっくりしました」

「いや、さっきの第一皇子の求婚の時にもっと驚いてよ!」

「あ、そっか。いちおう求婚だったんだ」

「求婚じゃなかったら何と思ったのよ」


 花束を指差され、夏晴亮もそれを見つめる。


「ええと、妃が必要になったら、でしょうか」

「うう~ん……まあ、いらないわけではないだろうけど、今回は誰でもいいわけじゃないと思う」


 そうだったのか。失礼な言い方をしてしまったかもしれない。今度会ったら謝ろう。それでも、夏晴亮の返事は変わらないけれど。


「話は聞いたから言わせてもらうと、亮亮の言い分は正論だと思う。特に相手は次期皇帝だからね。でも、本人の気持ちも大事よ」

「廊下にいたのに聞こえたんですか? もしこの話が他の人に耳に入ったら任深持様の威厳が……!」


 顔を真っ青にさせる夏晴亮の肩に手を置いた馬星星が首を振った。


「それは大丈夫。私が扉に耳をくっつけてようやく聞こえたくらいだから」

「そうですか、安心しました」

「ね」


 馬星星の野次馬根性には気付かず、夏晴亮にようやく笑みが戻った。


──あ~~~焦った。亮亮には優しい良い先輩でいたいもの。


「そうだ、毒見がまだでした」

「早く済ませて夕餉にしましょ」

「はい」


 幸い、その日は毒入りではなかった。帰ってしまった任深持に代わり盆を下げに来た馬宰相に伝えると、控え目な笑顔でそれを受け取られた。



 馬星星の言う通り、翌日になっても噂は全く広がらなかった。どんな意図で自分を選択したのかは分からないが、正妃になろうが拒否しようが、どちら転んでも良い結果にはならなかったように思う。これでいつも通りに戻ることを願うばかりだ。


「毒見の時間だ」


 全然いつも通りではなかった。夕餉の少し前、昨日と同じく任深持が盆を持ってきた。夏晴亮が僅かに構える。

 毒見役は人手が足りないらしいから、彼の機嫌を損ねたからといってすぐ解雇とはならないだろうが、減給くらいはあり得る。


 盆を受け取り、毒見をする。ずっと任深持が見てくる。緊張する。せめて視線だけでも外してはくれまいか。軽い拷問は毒見が終わるまで続けられた。


「毒は入っていませんでした」

「ご苦労」


 任深持が夏晴亮に近づき、盆を持つ。


「これを」

「はい」


 反射で両手を差し出す。そこに小さな袋がころんと転がった。

 なんだろう、これは。礼を言おうとしたら、すでに任深持が扉を閉めるところだった。


「あの、有難う御座います」


 聞こえはしただろう。誰もいない室内で手の中のそれを見つめる。顔に近づけると、ほんのり花の匂いが漂った。


「匂い袋かな」


 今まで縁の無かった贈り物を最近何人からももらってしまった。家無し、家族無しの自分にはもったいないことだ。大切にしよう。夏晴亮は引き出しの奥に仕舞った。


 任深持の気まぐれはその日だけではなかった。彼は一日置きに来た。そして、盆を回収する際、小さな贈り物を置いていった。


 一つ一つは片手に乗る何気ない物であったが、あっという間に引き出しを占領した。おかげで一番上の引き出しは第一皇子専用となった。これを彼が聞けばどうだと言わんばかりの表情で笑うのだろう。


 当然馬星星も状況を把握しており、最初こそわくわくした瞳を夏晴亮に送っていたが、二人が全く進展しないことを悟り何もしてこなくなった。


 そして一か月が過ぎた頃、任深持がいつもと同じように部屋に入ってきて言った。


「正妃になってくれ」

「お断りします」

「……分かった」


 とぼとぼ帰る後ろ姿が気のせいか儚げに見える。断るなら、引き出しの中たちも返した方がいいだろうか。しかし、返すと失礼な気がして、使えないままただただそこに置いてある。


 ここまで来ると、鈍い夏晴亮でも理解した。


 任深持が本気なのだと。


 そして、それを嗅ぎ付けた者がいた。


「女神、私にもどうか貴方を欲する機会を与えてくれませんか」


 任明願レン・ミンユェンだ。夏晴亮は頭が痛くなってきた。自分の今一番しなければならないことは毒を入れた犯人を見つけることなのに、何故こうも次々と違う問題が起きるのか。


 好意を持たれるのは嬉しくないわけではない。しかし、あちらが望むことは自分には出来ないので申し訳なくなってしまう。

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