第五話 不気味なのはどちらだろうか

 ✣*✣*✣



(さて、どうしようかしら。これ)

 少し整えたとはいえ。ボロボロで、足の間から血を流した跡を残した自らの姿を鑑みながらどうしたものかと思案顔。……無表情だけれど。

(このまま戻ったら……うん。大騒ぎされそう)

「はぁ……」

 今の自分の姿を見たときの両親を想像してため息ひとつ。

 娘を元気にしようと思っての旅行なのに、はぐれて合流した頃にはまるで男に乱暴されたような姿をした娘がいたら腰を抜かすどころじゃ済まない。首を吊りかねない。

 現に、時折向けられる視線には憐憫れんびんが含まれていて。それが両親がするであろう想像上の反応に確信をもたらす。

(本当に……どうしよう?)


 ――トクン


(え? あ、ごめんなさい。別に責めてないの。困ってるだけ。言ったでしょう? さっきのでおあいこだって)

 カテリィンの謝罪を感じて、同時に考えても仕方ないと開き直りつつ歩を進める。

 けれど悩む時間は長くなく。結論は早々に。

(ま、いっか。なるようになるわ)

 ただ考え込むなんて時間の浪費でしかなく。そこに意味はない。

 それに今は初めての友人ができたこの高揚に酔っていたいと、彼女は思う。

 しかし、その友人も同じかと言われればそういうわけでもなく。


 ――トクン


(え? 本当? それが本当なら助かるけど……)


 ――トクン


(じゃあ、お願いしてみようかな)


 ――トクン


 カテリィンがキャサリンに提案したのは、血の処理。出血はしていないけれど、それでも出血したときの汚れは残っている。主に、下着に。

 下着の血を見て浮浪者は勘違いをした。ならば両親にも同様の勘違いが起きるのは想像に難くない。

 なら、その要因を取ってしまえば良いのだ。

 カテリィンとしては未だ人の世界はわからないことも多いけれど、人間が美味しいモノで、同時にっても恐ろしいということはわかっている。キャサリンの物言いからしてもそう。実験だのなんだのをされたくはない。故にキャサリンの目立たない方が良いというのはわかるし同意見。なればこそ、その為に努めるのは当然と言えば当然といえよう。血を残せばそれがなにかしらの痕跡、体を隅々まで調べるための口実になってしまうのだから。

 まぁ、提案されたキャサリンからするとできるかは半信半疑だけれど。

(と、言っても。実際どういう理論カラクリなのかしら? そもそも今もう始めてるの? 感覚がなくてわからな――)

「……っ。うぷっ」

 感覚がほしいのかと思い、カテリィンの粋な計らい。に接触している部分しんけいへの刺激を開始。

 圧迫感が這いずり回るような。腹の中を優しく指でなぞりながら時折マッサージするように押していくような。または外側から全体を包み、少し捻るような。そんな腹部の違和感に一瞬戻しそうになるも、なんとか堪える。

(そ、そういうことね。な、なるほど。も、もういいわ。ありがとう……。そうなの。アナタは質量や圧力をある程度自由にできるのね……。フフ。興味深いわ)

 おおよそ動物のできることの範疇を超えた次元にあるカテリィンの離れ業に幾度目かの昂りが腹だけに飽き足らず胸の奥を刺激して止まない。

 カテリィンはソレを身体の異常かと一瞬捉えるも、興奮とわかるや無視。作業の続行……と、言っても既に終わっているけれど。

(あら、終わったのね。それじゃあ人気ひとけのいない場所へ行きましょう。ちゃんと確認したいわ)

 キャサリンは再び裏路地へ行き、空き家の中へ入る。スカートを持ち上げて下着を確認すると。

「スゴいわ」

 思わず感嘆の声が。

 それも仕方ない。何せ血でベットリだった下着が完全に乾き、汚れも消えていたのだから。

 カテリィンがへ入る時、破きはしなかったものの無理矢理入り込んだことで多少伸びてしまっていたけれど。それでも血がついてるよりかはずっと良い。これならいくらでも誤魔化しようがあるというもの。

(下着は破けてないし、服は……揉みくちゃにされてたの見られてるし。きっと信じてくれるわよね)

 そこまで深刻に悩んでいたわけではないけれど、解決の目処が立つならそれに越したことはない。

 まぁキャサリンからすれば、そんなことよりもカテリィンのシミ抜きのほうに興味がそそられる。

(よく見れば鏡もあるし、抜いているところを見ていれば良かったわ……。失敗)

 ほんの少しの後悔と共に鏡へ歩み寄り、改めて身だしなみを確認。

 鼻水とよだれは乾いているけれど、触るとペタつきがあるのでハンカチで拭きつつ。髪もまだ乱れているので手櫛で整えつつ。服は……どうしようもないので盛大に揉みくちゃにされたと言うしかない。

「……うん。こんなものかしら?」

 服を除けば見れる程度にはできた。あとは持ち前のポーカーフェイスと声の演技でどうにかなる範囲。これなら言い訳を押し通すことができると確信を持って戻れるだろう。

(それじゃあ今度こそ戻りましょうか)


 ――トクン


(まぁどこに行けば良いかわからないんだけどね)


 ――…………


(ふふ。大丈夫よきっと。だってカテリィンがいるもの。また、守ってくれるのでしょう?)


 ――トクン


(でしょう? なら心配ないわ。行きましょう。とりあえずホテルに戻れば良いんじゃないかしら? もしかしたら覚えてもらってるかもだし。言葉は……何故だかわかるのよね。だから問題ないんじゃないかしら)


 ――…………


 人混みを見ながら耳を傾ける彼女を感じながらカテリィンは悩む。キャサリンがこの国の言葉がわかるようになった理由を教えるべきかどうかを。

 もし教えてしまったら、拒絶されるのでは……と。は恐れている。

(どうしたのカテリィン? なんだか不安そうな感じがするわ)


 ――トクン


(……別に気にしないわよ? アナタが原因でも)


 ――……トクン


(何故って……だってソレ以外あり得ないもの。消去法よ)


 ――…………


 冷静に語るキャサリンに戦慄すら覚えるカテリィン。

 よくよく考えればわかること。

 化け物を観察する好奇心の強さと肚の据わり方。内臓はらを食い破られて尚、受け入れる度量。

 そんなの、普通じゃあり得ない。普通の感性ではありえない。

 これらを明確に、言語化するように具体的に理解しているわけではないけれど。カテリィンは得も言われぬ気持ち悪さを覚える。

 でも、それ以上に。そんなキャサリンを食欲のまま最後まで食べなくて良かったと。安堵すら感じていた。

 なんなのだろうこの不思議な感覚は。他の人間からは感じないこの感覚は。

 もしかしたら。そう、もしかしたら。化け物よりも化け物らしいキャサリンのその思考回路に身を委ねようと決めて、カテリィンは少女のはらに大人しく身を潜めて成り行きを見守る。

 この心地良さの招待を探るために。


 侵されているのはキャサリンか。


 それとも――。



 ✣*✣*✣



「なぁ、ちょっと良いか?」

「ん?」

 ホテルへたどり着き、受付へ話しかけるキャサリン。

 服は破けていたり、まだ砂埃が残っていたりとパッと見は怪しい……が、受付は見覚えのあった顔だったのでとりあえず話を聞いてみることに。

「えっと〜……お嬢ちゃんは……」

「あぁ、今日チェックインしたイングリスだよ。さっき来たんだが、覚えてないか?」

「あ〜、そういえば家族三人で……」

 記憶を辿ればすぐ手の届くところに答えはあった。偶然本日は子連れの客によるチェックインが一件だけというのも理由のひとつだけれど、なによりも。

(やっぱりこの顔……まったく動いてない。気味が悪いな……この子供……)

 チラッと見ただけでも残る印象。それは服装の違和感よりも彼にとっては強かったようだ。

 なんにせよ受付はキャサリンをきちんと認識していたようで、キャサリン側として悪くない状況。

「覚えてくれていてありがたいねぇ。それで両親はいるかい?」

「……いや、見てないよ。はぐれたのかい?」

「あぁ、だから参ってんだよ。部屋で待たせてもらえるか?」

「…………名義が君の父親だからちょっと難しいかな。椅子を持ってくるから座って待ってると良いよ。暇なら適当に本でも持ってくるよ。それより」

「ん?」

「なんかしゃべり方が……変だね?」

「…………そうか」

(しゃべってて違和感あったけど、やっぱりおかしいのね) 

「まぁさっき町を歩いてる時に覚えたから。声のデカいおっさんの口調が一番耳に残っちまったんだよ。だから仕方ないって思ってくれや」

「そ……れは……また……」

(さっき言葉を覚えたってことか? つまりこの子はこの騒ぎの中歩きまわって聞いただけで覚えたって? 冗談にしては度が……)

「疑うのはわかるよ〜。でもよ? 冗談言ってる場合じゃねぇってわかるだろ? なぁに、俺に関しちゃただの天才だ。気にすんな。本当のことが知りたきゃ親にでも聞きな。あ、天才なのになんでちゃんとしゃべれねぇんだよって? ハハ、こいつぁ痛いとこをつかれちまったなぁ」

「あ、あはは……。そうかい……。すごいね。じゃあちょっと椅子もってくるから待ってな」

「おう。ありがとさん」

(顔は全然動かないのによくしゃべるなぁ……。それに声だけは元気で、余計気持ち悪い……)

「…………」

(ん〜。やっぱりあんまりウケないわね。頑張ってしゃべったのに。残念だわ。とっても残念)

 苦笑しながら一度椅子を取りに裏に引っ込む受付を見送るキャサリン。内心ほんの少しだけ落ち込みつつ、またいつものことだと言い聞かせつつ。大人しく待つことに。

 それにしても。

(変には思われたけど、意外とコミュニケーションは困らないのね。でも話し方が違うのはわかるけど、どう違うのかしら?)


 ――トクン


(話し方って大事よ? 話し方、振る舞い。それで相手の教養はある程度見て取れるわ。教養の有無以外でも正確とか傾向とかね。わたしは落ち着いた話し方が好きだけれど、明るい話し方も好き)


 ――トクン


(ん〜……。アナタとはニュアンスで会話やりとりしてるから口調でなく感情パッションで通じ合ってる気分だわ。でも、優しい鼓動で嫌いじゃないわよ。ううん。好きよ。とっても落ち着くわ)


 ――トクン


(フフ。ありがとうカテリィン。あ、ところでなんだけど)


 ――トクン


(わたしのさっきの言葉遣いなんだけど、心当たりとかある?)


 ――…………


(怯えなくても良いわ。検討は大体ついてるから確信がほしいだけよ)


 ――……トクン


(そ。やっぱりそうなのね。ありがとう。教えてくれて。アナタについてまたひとつ知れて嬉しいわ。でもそうなっちゃうのね、口調まで反映されるのは……わたしのさじ加減でどうにかなるかしらね? これもまた今度考えましょ)


 ――トクン


(フフ。さぁどうかしらね。もしかしたらわたしもアナタを色々してしまうかもしれないわね)


 ――トクン


(あら、脅かしたつもりなんだけど。嘘ってわかるのね。不思議。あ、そもそもわたしの中にいて、頭の中で会話してるのだから嘘も本当も筒抜けなのかしら? それなら冗談の言い甲斐がないわね。困ったわ)


 ――トクン


(あら? 今度は冗談が通じたわ。本当に不思議ね。確定じゃないんだ。ふぅん。面白いわ。とっても。とりあえずわかってるのは人間を食べるということ。質量、質感を消せるということ。人間に……寄生かしら? できること。人間を食べるとその人の言語を使えること。今はこのくらいかしら? どう?)


 ――トクン


(あらそうなの。……たしかに、ここに戻るまでの道も困らなかったわね。土地勘……知識もある程度得られるのね。それはわたしもカテリィンも……というよりカテリィンが得たモノをわたしに共有してくれてるって感じかしらね。お陰で迷わずここまで来れたわ。ありがとう)


 ――トクン


(……あぁ、アナタ自身もわたしの知識を得た……と言って良いのかしらね。そうね。うん、そう。友達ってきっとそういうものよ。たぶん)


 ――トクン


(仕方ないわ。わたしだってはじめてなんだもの。でもそうね。お友達なら気にしなくて良いかも知れないわね。だからわたしもがんばってアナタのご飯用意するわ。人間ひとりでいつまで持つかわからないしね)


 ――…………


「よいしょっと。ほら持ってきたよ。こっちついて来て」

「おう」

 ホテルは大して大きくないものの、それでもラウンジくらいはある。その隅の邪魔にならないところに椅子を置いて振り向く。

「ここで座って待ってな。あとこれ絵本……あ、言葉はわかっても文字がわからない……かな?」

「おう。ありがとさん。文字なら論文でちょろっと読んだこともあるし大丈夫だよ。そんじゃ待たせてもらうぜ」

「……あ、あぁ、そうなの。じゃあ俺は仕事で構えなくて悪いんだけど、しばらくそこで待ってな。あぁ、でも困ったらなんでも良いな」

「おう、わかった。恩に着る」

「……うん、それじゃ」

 不気味に思っているのが顔にでつつも心優しい店員が仕事に戻るのを見送って。キャサリンは椅子に座って渡された本を開く。

(この本を読めば少しは矯正できるかしら? さすがに幼すぎる? でも今よりはマシよね。あのおじさんのしゃべり方、たぶんかなり崩れてるもの。スラングたくさんなのかそれとも訛りなのかはわからないけれど。う〜ん……できれば直したいのだけれど……)

 本で顔を隠しつつ、上からチラリ。さっきの受付へ目を向ける。

(あの人を食べたらマシになるかしらね? フフ。イケないイケない。これはイケないことだわ。友達を利用して楽しようなんて。今は切羽詰まってるわけではないもの。自重しましょ。カテリィンもきっとお腹いっぱい……かはわからないけど。最初と比べると余裕もありそうだからきっとお腹空いてないわ。イケないイケない。それに、受付の方が急にいなくなったら大騒ぎになっちゃう。イケないイケない。悪い子キャサリン。フフフ)


 ――…………


 本へ目を戻したキャサリン。故意に反応をしないカテリィン。

 カテリィンもキャサリンとは違う方向性だが賢い生物。だからキャサリンの思考と道行く人々の様子や会話からをあらかた学習し終わっている。

 だからこそ理解わかる。キャサリンの異常性。

 普通の人間は人間を餌にしようなどとは考えない。仮になにか理由があったとしても躊躇する。罪悪感を覚える。時には快楽だろうか。なんにせよがそこにはあるはず。

 けれど、キャサリンにはソレがない。まるで鶏に餌をばらまくように。池の魚にパンくずを投げるように。彼女は人への価値を、思い入れをその餌程ていどにしか感じていない。

 異常。あまりにも異常。表情や知性だけでなく。その価値観までも。

 普通の人間ならこの思考を知れば恐怖を覚えるだろう。無表情も相まって悪魔の子だと。

 きっと、親ですら見捨てることだろう。


 ――…………


 でも、普通の人間じゃないカテリィンはまた食べれるならいいやと置いとくことにした。

 今のところは、だが。

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