第四話 はじめてのおともだち
✣*✣*✣
「ふぅ! く、ふぅ! は……っ! ぁ……! か……っ!」
あの生物を余す事なく下腹部へ押詰められたキャサリン。
腹はまるで孕んだかのように膨れ上がり、服も少し破れてしまっている。
が、服なんて些細な問題。未来を予想しての恐怖は現在襲い来る苦痛によって塗り替えられて。腹部への圧迫感が思考を許さず。呼吸も許さない。初潮を迎えたばかりの娘が、一瞬にして妊婦のごとき腹にされて、陣痛よりも気の遠くなる感覚を得ているのだから。服なんてどうでもいい。
「ふ……っ! く……ぅ……ぅぅ! ぁあ…………!」
加えてあの生物は
効率が良いのかなんなのかは本人ですら知り得ないが、やられてる方はたまったもんじゃない。
いつも無表情なキャサリン。お人形のようなキャサリン。つい先日までそんな印象を抱かせていた彼女は今現在大量の汗をかき、髪は乱れて涙と鼻を垂らしてしまっている。
ある意味、この姿を見れば両親も安心するかもしれない。
別の心配が勝って気にかける余裕もできない可能性のが高いだろうけれど。
さて、先も申し上げた通り初潮というのは比較的出血が少ないことが多い。
で、あの黒い生物は正直瀕死だった。飢餓状態だった。
ならばどうなるだろうか。出血が少なく。今の量で物足りないとしたらどうなるだろうか。
それはもう。起こり得るはたったひとつ。とてもシンプルな事。
――ブチ……ミチュッ!
「……!?」
小さな……そう。ネズミくらいの小さな動物が。もしお腹の中からかじりついたら。きっと、今キャサリンが感じてる鋭い痛みと同じなのだろう。
まぁ、彼女が感じてるのは。
――ブチブチュミチグチュくちゅビチミチチッがじゅぐじゅちゅッビチチッ!
「……かっは! ぅ……………………。っ!? ん……ぁ……っ。……ふひゅっ。は……ぁ! ………………」
痛みによって気を失い、痛みによって無理矢理叩き起こされる。
控えめに言って拷問。嗜虐趣味の極悪人が行う児戯。その極悪人への極刑。そんなレベルの苦痛。
生きたまま食われるだけでも酷たらしいというのに、それが内側からだなんて。本当に、気の毒なキャサリン。
そんな拷問。感じている当人は一瞬に感じているだろうか。はたまた永遠に感じているだろうか。
――ぐちゅちゅっぶちゅっグチチ…………ミチ………………
本人にしかわからないけれど、少なくとも一時間ほど食事を味わいまして。黒い生物はようやく動きを止めた。
理由としてはさっきまで痙攣していたキャサリンが完全に動きを止めてしまったから。釣られてしまっただけ。
――…………
黒い生物は考える。どうしたものかと考える。
夢中になってかじりついてしまったが、それによって今度は彼女が死ぬ寸前。長く楽しむ為、血が止まらない程度に留める為、小一時間子宮をちまちま
むしろ、内臓一つ完全に食い尽くされるまでショック死……ないし失血死していないキャサリンが丈夫過ぎる。または運が良すぎる。
――…………
このまま骨の一片。髪一本残さず食い尽くしても良いかもしれない。そうも思うけれど。
でも、何故だろう。彼女のあの視線が忘れられない。この体内の心地良さも離れ難さがある。
ならどうしよう。どうしよう。どうしよう。
――……ぐじゅる
この脳がどこにあるかもわからない生物が考え、選んだのは。
――ぐじゅじゅじゅるるるるるるるるるるるるっ
寄生だった。
全身がキャサリンの体内でうっすら紫の光を帯びると、どんどん縮んでいく。
圧迫されていたキャサリンの腹部はいつもと変わらぬ大きさに戻った。
そして、次に子宮の再生。自分の体をキャサリンと融け合わせて、急速に治していく。
自分とキャサリンを同化させることで。キャサリンと接触している部分を
最後に、縮んだ自らの体から質量を奪い。キャサリンに重さという負荷を与えないようにする。これで彼女が起きて、この生物を抱えたまま歩いても違和感すら覚えることはない。
これで、キャサリンへの寄生。そして共生の準備は整った。あとは。
――ドックン
「……………………………………? あ……れ……?」
一つ。大きな鼓動を与えると、キャサリンが目を覚ます。
(いつの間に……気を失って…………………………っ)
バッと布が風を切る音を立てながらうずくまっていた半身を起こしてお腹を触る。けれど、膨らんでいる様子は微塵もなく。
(夢……? いいえ、それはないわ)
服が無理に広げられて解れたり破れたりしている部分があるし、髪も乱れてるし顔もなんだかペタついてる。スカートの中へ手をやってみると下着も完全に破れてしまっていて、何かが起きたのは間違いない。
その何か。きっとあの気を失う前に見て、感じた生物が原因だろう。
夢か現なのかもわからないし、その判断をしたいのは山々……ではあるが。
(……頭、ボーッとする。考えがまとまらないわ)
大きく体力を消耗してしまっている。頭だけでなく体はダルいし、喉は乾いている。立ち上がるのも少し……難しい。
(あ、パパとママも心配しているわ……)
どれくらい時間が経っているかもわからないけれど。目的だった生物は周りに見当たらないし、早く合流したほうがいい。でも体が動かない。
(どうしたらいいかし――)
「お嬢ちゃん。こんなところでなにしてるんだい?」
「え?」
回らない頭を懸命に回していたところに誰かが話しかける。
キャサリンが振り向くとそこには酒瓶を手に持った灰色の髭にボサボサの汚れた白髪をした浮浪者の男。
「ずいぶん……ボロボロに見えるけど。酷いことでもされたのかな?」
(どうしましょう。なにを言ってるかさっぱりだわ)
困り顔を浮かべているつもり。けれど浮浪者からすれば無感情な顔を向けられてるだけ。
ボロボロの姿と相まって、それはここではよくある結論に至る材料。
「チッ。こりゃ他の誰かが先に手出したな。あ〜あ〜そうじゃなきゃ久々に小綺麗な女だったのに。病気、移されてなきゃいいな〜」
頭をポリポリかいてそんなことを呟く。キャサリンにも聞こえてはいるが言葉はわからなければ反応もできない。
「ま、いいか。今更一つ二つ増えたところで変わらんだろ。これも大人しいし。一発終わって身も心もヤッちまって楽にできそうだ」
口角を上げると汚い歯垢まみれ虫歯まみれの黄ばみ、黒ずんだ歯が見える。それでもキャサリンは汚いな〜くらいの感想しか抱けなくて。
「ほら、そこ寝転べって」
「……?」
「ん〜? あぁ、外国人か。言葉そのものがわからんのか。でも男を見て逃げねぇってこたぁどっちにしろ壊れちまってんだろ。言う事わからないのは面倒だが、まぁいいや」
「なに、するの……? あ」
――ドサッ
足を掴まれてひっくり返される。スカートも持ち上げられて中を見られ。
「やっぱり。外国語にこの下着。済んだ後か。へへ」
酒瓶を煽り、口を拭う。
その瞳は熱さを帯び始め、ここでようやくキャサリンも危機感を覚え。
(これ、いけないわ……っ)
抵抗しようにも体に力が入らない。できるのは浮浪者の男に手を向けるだけで。
「あん? やっと頭がおっついたかい? でももう遅いよ。そら、足広げて」
「や……め……」
「抵抗しようがしまいが同じなんだよ。それに、一回も二回も変わら――」
――ボトボトッ
「…………」
「……………………え?」
突然。足をつかんでいた手の力が抜けた。
不思議に思い後ずさりながら体を起こしてみると。
「――――」
「こ……れ……」
目の前にあるモノがわからない。いや、どんなモノがどんな風になっているかは理解できる。
ただ、何故そうなっているのかが理解できない。
キャサリンの目に映るモノとは。理解しがたいモノとは。先程まで自分を襲おうとしていた浮浪者……だったモノ。
上半身を丸々綺麗に切り取られたような。そんな様。
足元には腕が落ちていて、腕まで認識すると遅れたように断面から血が滲み出す。
(何か落ちたような音がしたけど、腕だったのね)
普通の子供なら発狂ものの光景。けれど血や臓物は他の動物の解剖で見慣れていて、先程の苦痛や体力の消耗による思考低下などなどが影響して逆に冷静に受け止められる。
(でも、なんでこんな――)
「……っ。な……に……?」
突然スカートの影が濃くなった。いいや、スカートの中から黒い液体が出てきた。
液体は最初地に染みていくインクのように広がるが、やがて厚みを持ってヘドロのようになっていく。
「こ……れ……さっきの……」
見覚えがある。見覚えがあるだろうとも。
何故ならそれは先程熱心に観察していた生物なのだから。
(どうしよう……下手に動かないほうがいいかしら……?)
さすがに内側から食われる苦痛が夢でなく、あんなのを味わった後だと警戒してしまう。緊張してしまう。
故に見に回り、動向を見守る。
できれば、捕食の矛先がこちらに向かわないように――。
(あれ? でも……)
ふと、気づく。
どうしてスカートから出てきたのか。目の前の浮浪者がこうなったのはこの生物の所業ではなかろうか。だとすれば近くの自分でなく浮浪者を襲ったのは何故なのだろうか。いや、まずは浮浪者を襲ったと断定するのは早計――。
――ズルズル……
黒い生物が腕をスカートの中へ引きずり込み、血の跡に被さると綺麗になっていて。断定は早計でもなかった模様。
やがて黒い生物はキャサリンの様子を伺うようにスカートから出てきて、そして。
――ノコリモイイ?
「ぅ……っ。な、に……?」
――ノコリモタベテイイ?
実際に聞こえているわけでなく。そんなニュアンスの思念が頭の中で響いてくるだけ。
突然頭に別の意思が響けば混乱してしまうが、返答を保留するわけにはいかない。内容が内容だけに、焦らしてはいけないと。キャサリンの危機感が警鐘を鳴らしているのだから。
「い、いいわよ……。全部。残さないで……ね」
――バッ! バクン!
「……!?」
瞬間。スカートから大量の黒いヘドロが飛び出して浮浪者の残された下半身を包み込んでしまう。
そしてヘドロはやがて影のように厚みを捨てて、スカートの中へ戻っていく。
最早浮浪者は跡形もなく。この世から消え去ってしまった。
「…………」
呆然とするキャサリン。どうしたものかと。思考を巡らせる。
そう。思考が、できている。
(あれ? 不思議。さっきまでボーッとしてたのに。それに、体も不思議と軽いわ)
思考が戻った理由はわからない。体力が戻った理由もわからない。わからないけれど。一先ずそのあたりは良いとして、問題を片付けなくてはいけない。
(……やっぱり、最初は確認よね)
腹部に違和感はない。足を恐る恐る動かしてみても特に何かがあたる様子もない。スカートの中には何もいないはず。けれど確かに黒い生物はスカートの中に入っていったのを見ているから、確認しなくてはならないだろう。
「……っ」
ゴクリと唾を飲み込み、思いっきり足を閉じる。なにもない。
「すぅ〜……はぁ〜……。…………。……っ!」
今度はスカートを持ち上げて手を中へ。そこに恥を感じる余裕はない。
そして、手には自分の肌の感触しかなくて。なにも、いない。
(どこに……いるのかしら……)
――ドクン!
「……ぅ!?」
(な、に……?)
腹部に鈍く響く鼓動。
痛いわけではないけれど、初めて感じる違和感。
(……もしかして)
「そこにいるの?」
――ドックン!
「……ぅ!」
返事をするように鼓動が起こる。ようやく、どこに隠れているのかわかった。
まだ、子宮に隠れていたんだと。キャサリンは気づいてしまった。
(じゃあやっぱり全部……)
「すぅっ。はっ。ひゅぅ! はぁ……!」
夢じゃなかった。そう思うとあの痛みを思い出してしまって、全身から汗が溢れる。でも、驚くほど全身に冷たさを感じていて。それを恐怖と認識することすらできない。
彼女の頭にあるのは痛みの記憶だけ。
――トクン
「え」
優しく一つ。鼓動が響く。
――トクン……トクン……トクン……
温めるように。慈しむように。赤子を寝かしつける為に奏でる規則正しい母の手のような。そんな鼓動を感じる。
「…………」
落ち着かせようとしているような。そんな意思を感じて、キャサリンは冷静さを取り戻せた。
それに、よくよく考えてみれば本気で食べようとすれば先の浮浪者のように一瞬で終わる。痛みもなく。
けれどこの生物は痛みを与えこそすれ殺そうとしていない。そして、襲われたところを助けてくれた。
その行動の意味する所。キャサリンが出した答えは。
「助けて……くれたのね……」
――トクン
今度はキャサリンに負担がないように優しい鼓動でお返事。思わず彼女も自分のお腹を優しく撫でる。
それから、いくつか質問を投げてみることに。きっと今なら答えてくれるだろうと思ったから。
「お腹の中に……いるのよね?」
――トクン
「そう。なんでお腹膨らんでないの? 重い……とかも特にないのはどうして?」
――トクン
「あぁ……わたしが苦しんでたから……。そう。ありがとう。気を遣ってくれて。じゃあ、わたしを食べないのはどうして?」
――トクン
「へぇ。はじめてよ。そんな風に思ってもらえるのなんて」
――トクン
「え? そうね。嬉しいのかもしれないわ」
――トクン
「どうして……と、聞かれても。う〜ん。なんて言ったら良いのかしら。えっと、あのね? わたしは理解者というのに出会ったことがないの。不気味がられてたり哀れに思われたりはしてるけれど。落ち着くだとか、痛がっていたから気を遣ってもらうとかいう経験がなかったの」
――トクン
「そうよ。だから嬉しいし、おしゃべりしてて楽しいわ。最初入って来た時はとっても苦しかったし、その後はとっても痛かったけど」
――トクン
「ふふ。意地悪を言ってしまったわ。ごめんなさい。でもね、これもはじめてよ。ジョークは嗜んでいるけれど、意地悪を言ったことはないの。本気に取られるのもあるけれど、軽々とそういうことができる人が周りにいなかったのよ。だから、おあいこにしましょ? アナタはわたしに痛いことをした。お返しにわたしは意地悪をした。ね? これで対等よ」
――トクン
「ありがとう許してくれて。これが噂に聞く仲直りかしら? じゃあこれでわたしたちはおともだち?」
――トクン
「どういうものかと言われても知らないわ。定義があるのかしら? たぶん……漠然としたものよ? おともだちって。でも、そうね。しいて言えば一緒の時間を過ごして、その時間が楽しいと思えればおともだちの条件って満たせるのではないかしら? わたしは楽しくなってきているけれど、アナタはどう?」
――トクン
「ほんと? 良かったわ。じゃあこれでわたしたちおともだちね♪」
――トクン
「アナタも喜んでくれて嬉しいわ。……そういえばお名前を聞いてない。わたしも自己紹介を忘れてしまっていたわ。いけない。改めて、わたしはキャサリン。キャサリン・イングリスよ。アナタは?」
――トクン
「そうなの。お名前がないのはとっても不便ね。じゃあわたしがつけてもいいかしら?」
――トクン
「うん。そうね、じゃあどうしようかしら? アナタは今わたしの中にいるわけだし、わたしの名前からつけましょ」
――トクン
「そのままだったり、キャシーとかはつけないわよ。キャシーはわたしの愛称だもの。混乱してしまうわ」
――トクン
「えぇ。だからカテリィンなんてどう? スペルは同じよ――」
(あれ? どうして別の読みがわかるのかしら? ……まぁ、今はいっか)
「どう?」
――トクン
「ふふ。喜んでくれてわたしも嬉しいわ。……ところで、カテリィンはずっとお腹にいるの?」
――トクン
「えぇ、わたしはかまわないわ。せっかくできたおともだちと離れるのは辛いもの。じゃあ一緒に行きましょう。まずはパパとママと合流しないと」
――トクン
「え? もちろん紹介する気はないわ。カテリィンが困るでしょう?」
――トクン
「良かったわ同じ意見で。アナタは珍しい見た目をしているから、きっと酷い目に合わされるわ」
――トクン
「そうね。解剖。実験。観察。色々とね。わたしのパパはお医者さんだからそこまでだけど。知り合いに研究職の方は多いと聞いてるから。そっちに引き渡すとか言い出すと思うの」
――トクン
「わたしだって困るわ。だから言わないのよ。しばらくはお腹にいてもらって。後のことは後で考えましょ」
――トクン
「方針はそれでいい? じゃあ話は終わりね」
――トクン
「なに? 終わりよ。おしゃべりを続けてるとあぶない子に見られてしまうもの。独り言にしてはちょっと……ごまかしづらいわ」
――トクン
「…………」
(そういうことは先に教えてほしかったわ)
――トクン
(良いの。一方通行と勘違いしていたわたしがいけないの。じゃ、おしゃべりしながら行きましょうか)
会話に一段落つけて、キャサリンは立ち上がり服をはたく。
ひとしきり汚れが落ちると髪を軽く整えてから大通りへ向かう。
その身に、はじめての友人を抱えながら。
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