第二話 キャサリン・イングリス
✣*✣*✣
キャサリン・イングリスはとても変わった少女。それは先の出来事を観ればわかっていただけるだろう。
けれど彼女のおかしさを理解するには、少々足りないと言わざるを得ない。
故に、少しだけ彼女の生い立ちによって補足させていただきたく思う。
なに、あくまでかいつまんでお話するだけ。だからあまり身構えなくてもいいかと。
個人的に、聞いておいた方がこれからの彼女の歩む人生を見届けやすくなるだろうから。
では、本題へ。
✣*✣*✣
キャサリンは生まれながらとっても賢い。生後一週間頃にはある程度言葉を認識していたし、なんなら生まれて間もなくから視力もあって、まん丸に見開いていたくらい。
そして、泣かずに周りの観察をしてしまっていた。だから。
――バチン! バチン! バチン!
「……!? ……!!? ……!!?!?」
尻を、叩かれた。何度も。何度も。叩かれて。叩かれて。痛くて。痛くて。どうしたら良いか分からなくて。
「全然泣かない……。泣いてくれ……元気な声を聞かせてくれ……!」
――バチン! バチン! バチン!
「んでゃあああ! んぎゃあああああ!」
その言葉でようやく泣けば良いんだと察して。大声を上げてみると。
「ほっ。良かった。ほらローラ元気に泣いているよ」
喉は痛くなったけれど、尻の痛みは止んだ。
痛みからの解放による心からの安堵。
けれど安心はできない。黙ればまた叩かれるかもしれないから。
「えぇ……聞こえてるわ……。それで、男の子かしら……? それとも……女の子かしら?」
「可愛らしい女の子だよ。ほら」
「まぁ……。こんにちは。女の子だから……キャサリンね。キャシー……愛しい私達の娘……」
清潔な布に包まれた赤ん坊を見て、抱きながら顔を寄せる一仕事終えたばかりで疲れ切っているローラ。それを穏やかな顔で眺めているのは産婆もなしに一人で取り上げて、これまた一仕事終えた父チャーリー。
二人共目に涙を浮かべて産まれてきたことに感謝し、祝福している。
普通の赤ん坊ならまだ本能に任せて泣いているか、疲れ切って眠っているか、母に抱かれて安心しているか、そのあたりだろうか。
けれど、キャサリンは少々異なる。
(もう……やめてもいいのだろうか……?)
言葉はまだあまりわからないが、言語化するならこんなところ。
目を見開いたまま父母を観察し、泣き止む機を窺っていた。
✣*✣*✣
「ぅぎゃああああ! んぎゃああああ! ああああぁああぁぁぁあ!」
生後数週間程度のこと。夜泣きをしていたキャサリン。
至って普通。普通のこと。むしろ元気の証拠で、喜ぶべき事。
けれど、町で唯一の医者であるチャーリーはすでに頭を抱えていた。
唯一であるが故に頼りにされるので昼間はほぼほぼ外せない。新しい医学会で発表されたレポートにも目を通したいから夜にできるだけ頭に叩き込む。そして時間が来たら速やかに寝る。これがルーティーン。日常。
しかし、赤ん坊が産まれたばかりでそんなことができるわけもない。夜泣きがあるから。
理由は様々。夢か、ミルクか、おむつか。
どれを取っても赤ん坊からすれば大事。大人にとっては些事。
だから、チャーリーは最初の方はよくても数週間も経った頃には――。
「……うるさいな。邪魔をしないでくれよ」
思わず、そう口から溢れてしまった。
それを聞いたキャサリンが思ったことは。
(あれ? 泣いてたら喜んでたのに、今のは怖い)
ついでに要望も通っていたけれど、今一瞬感じた自分より強い生物の怒り。
(これは……よくない)
その日を境にキャサリンは夜泣きをやめる。怒りは危険だと判断したから。
どんなにお腹が空いていても気まぐれにやってくる母を待ち。どんなに気持ち悪くても、軽くかぶれることがあっても翌日か向こうから気づくのを待つようになってしまった。
突然夜泣きがやめば違和感も覚えよう。しかし、疲弊していたとしたらどうだろうか。
ものすごく眠い時。いつもうるさい隣人が急に静かになった時。人は安眠を選ぶのではなかろうか。
理由は知らないが都合がいいと。いや、理由なんてどうでもいい。静かになったことが大切だと。
だから、その変化を両親は放置した。
自分たちの安眠の為に。
そしてこれは、キャサリンの人生において小さな分岐点の一つと言えよう。
✣*✣*✣
何事も、おとなしい方が面倒がないことに気づいて早五年。
この頃には文字も大体覚えて家で父の医学書を読んで暇つぶしをしていることがほとんど。
同時におとなしくしすぎて表情筋が固まり始めてしまったのもこの頃。
笑えば喜ぶのはわかっていたので二、三歳あたりまではよく笑っていたのだけれど。おとなしい良い子な所為でほっとかれることが増えて。頭も良いのはバレてるので本を与えておけば勝手に覚えるし、とっても大人にとって都合の良い子に仕上がってしまっていた。
そして六歳の誕生日。ようやくチャーリーとローラは気づくことに鳴る。
「誕生日おめでとうキャサリン。六年間元気でいてくれてありがとう」
「今年も元気でいてね」
「うん。ありがとう! キャシー、とってもうれしい!」
「「――――」」
元気な声とは裏腹に、キャサリンの顔に笑顔は浮かんでおらず、それどころか無表情なまま。
やっと、娘の異常性に気づいた瞬間であったのだけれど。
残念ながら、こんなのは副産物のようなもので。実際はこんなのは比にならない。
でも、二人にとっては手間のかからないお利口さんが笑わない子供になっていたのだから。とても……ショックだったことでしょう。
✣*✣*✣
キャサリンが産まれたところは小さな町。買うのにも困らない程度に流通はしているし、治安も悪くない。豊かな暮らしはできないものの、のどかな生活を望むならピッタリな場所。
そんな町でも、全員が全員優しいわけでもない。特に、子供というのは。
「あ! キャサリン・ドール! また来たのかお前!」
「人形のくせに勉強して意味あんのかよ!」
「そうだぞ! さっさと帰れ!」
「あ……」
(
日曜学校へ向かう道中。悪ガキ共に見つかるキャサリン。
この町は治安が良いため弊害として親が送り迎えをしない。子供だけで教会へ向かって、勉強をしたら勝手に帰っていく。
つまり、止めてくれる大人が基本的に近くにいない。
周りにも大人はいるものの、子供のじゃれあいとしか思っていないし。たった今押され、手を怪我した小さな女の子を気に留める人間は出てこない。
小さい。というのは子供だからというのもあるが、なによりも比較してという意味で小さい。
この町の日曜学校では十歳から十二歳が通い、簡単な文字と計算を覚える。けれどこの時のキャサリンは八歳。子供の二年は果てしなく大きい。
何故二年も早く日曜学校に通っているかといえば、頭の良いキャサリンならば勉強で遅れをとるわけもないし、友達ができやすいのではと両親が考えたから。年下だから世話も焼いてもらえるだろうと。
けれど、優秀過ぎるキャサリン。何一つ困ることなく。なんならすでに日曜学校で学べることもなく。勝手に持ち込んだ医学書や哲学書などを読んでいる。
それだけでも子供たちのプライドを刺激してしまうのに、褒めても喜ばない。いや、顔が動かない。
不気味。気持ち悪い。癪に障る。そう感じたらどんな動物でも排除したくなってしまう。
けれど、だいそれたことができるわけでもない。だからいじめる。せめてもの慰めに。
最初は言葉だけだったし、軽く小突いたりする程度だった。
でも最近は押されたり足を引っ掛けられたりとエスカレートしてきて、キャサリンとしてもこれ以上被害が出るのは望ましくない。
だからどう報復しようか考えているのだけれど。
「ほら立てよ! そんでさっさと帰――」
「こらぁ! あなたたち! またね!? いじめたらダメでしょうっていつも言ってるでしょ!」
髪を掴んで引っ張ろうとしたところで駆け寄ってくる少女がひとり。
「げっ。モーヴだ! 逃げろ!」
女の子とはいえ自分たちよりも背の高い相手だと分が悪いと踏んでか、少年たちはそそくさとキャサリンを置いて走っていく。
少女のほうは後追いはせず、キャサリンの方へ。
「まったく……。大丈夫? キャシー」
「うん」
助けに入ったのは日曜学校では最年長のモーヴ。
普段は柔和で優しくお節介。正義感も強い。日曜学校に通う子供たちからすれば頼れるお姉さん。
「大丈夫なら……って、ケガしてるじゃない! 急いでシスターのところへ行きましょ?」
「あ」
返事は聞かずにキャサリンの手を引いてズカズカ歩き始める。ここ最近ではいつもの光景。
キャサリンに限らず、モーヴはいつも誰かに優しくしていて。そんなモーヴを嫌う人は滅多にいない。
いるとすれば擦れたかこじらせた大人か、いじめっ子連中。それか。
(今日もか……)
このキャサリンくらい。
助けてくれるのはありがたいけれど、会話ができない相手は苦手。
その基準だといじめっ子もモーヴも変わらない。
少なくとも、彼女の中では。
「シスター! キャサリンがケガしちゃったの!」
教会につき、シスターのいる部屋へ一直線に向かって元気よくドアを開け放つモーヴ。
最早慣れたもので、シスターも動じず対応する。
「あらあら。最近多いわねリトルキャシー。ま! おてて擦りむいちゃったのね。こっちへいらっしゃい」
「はい。シスター」
椅子に座り、手の治療が始まる。
最初は必要ないと言っていたけれど、聞いてくれないのでもう好きにさせたほうが早いとなすがまま。
「ねぇ、キャシー。辛かったら泣いてもいいのよ? 我慢しなくてもいいんだよ?」
「えぇ」
そう言われても、泣いたところでいじめをやめてもらえた子を見たことがないし。赤ん坊の頃泣いていたら怒りを誘ったことも印象に残ってるし。なにより疲れるし喉も痛くなるから正直嫌というのがキャサリンの気持ち。ようは小突かれる方がマシ。
「なにかあったら今度はちゃんとわたしのとこに逃げてくるのよ? 大きな声で呼んでもいいから。どこにいたって駆けつけて助けてあげるから!」
「ありがとうモーヴ。本当に困ったら助けてもらうわ」
「約束よ? ちゃんとお姉さんを頼りなさいね!」
「えぇ。約束するわ」
結局。この怪我が原因で日曜学校に行くときにはローラが送り迎えをすることになり、いじめも起きなくなっていった。
けれど友達はついぞできることもなく。イングリス夫妻の願いは叶わず。キャサリンの表情は固まったままで。
「ねぇ、キャシー。もしお友達ができたら一番大事にしてちょうだい」
「お父さんとお母さんとの約束だ。なによりもお友達を大事にしなさい」
「うん。わかったわ。おともだちが一番ね」
日曜学校に通う前にはこんなやり取りもしていたのに、全ては無意味。
だから、町に新しい医者が居着いたことを機に家族旅行を計画して、外国へ行ってキャサリンに刺激を与えれば。心動かすものがあれば。もしかしたら笑ってくれるのではと。
そんな、希望を込めて。
彼らが良い親かどうかはそれぞれ感想が異なることだろう。事の発端は赤ん坊に怒りや不満を一瞬でも向けてしまったことなのだから。子育て疲れを理由にお利口なキャサリンをほっとく時間を作ったことなのだから。
けれど、それでも。
キャサリンを思う彼らの心はどうか、認めてあげてほしい。
でないと、浮かばれない。
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